「坐禅は坐禅なり」とは、坐禅はもとより結果にして、手段・目的
ではありません。
即ち、「坐禅が坐禅を教えてくれるのです」。
坐禅に師なし。
坐禅の真師は坐禅なのです。
しかし、最初から「丸呑み」をしてはいけません。
その間多少の距離と時間とを要することを忘れてはいけません。
坐禅は「仏行(ぶつぎょう)」ですから、「悟未悟」にかかわらず
日常茶飯事として生より死に至るまで、坐禅をする事を忘れては
いけません。
経に「法喜禅悦を食(じき)となす」ということがあります。
「食なくんば命なかるべし」です。
深くこれを思っていただきたいと思います。