「観念」というものは凡てのものを思想上に置いてのみ観る先入観念であって、「事実」と遊離するから問題が起こるのです。
人間は何時でも「こうあるべきだ」と考えているものです。
「理想」ということでもそうです。
「自分の理想としての事実」は何処に有(在)るのかと問われたら皆行き詰まってしまうのです。
それは「観念の生活で夢を見ていて事実を知(識)らない」からです。
それなのに、どうも頭で考える「自由の力」というものを追いかけているのです。
しかし、どんなに考えても如何ともすることは出来ません。
制約されるというと、苦痛を感じ苦しみが起こるのです。
苦しみの源は、「観念生活を中心として事実にとどまっていないから」です。