それでは、” 何故おシャカ様の法、あるいは道元禅師の法を求めなければ
ならないのか” ということになります。
求めるのではありません。
そういうお方のお話を「承って(それを入り口として)」、人人の分上
ゆたかにそなわっているところの「自分の法」を把握することです。
「私は、おシャカ様や道元禅師のようにはなれないよ」という考えを持つ
のは間違いです。
何故ならば「法」というものは比べることが出来ないものだからです。
「自分の法に自分が目醒める」のです。
「分上ゆたかに」というのですからそれぞれの人そのものです。
小さい人は小さい、大きい人は大きい、それが「この法は人人の分上
ゆたかにそなはれり」ということです。