法が残る1 2020年07月29日 | 法理 多くの場合「人我(にんが)【自分】」は取れても、「法が残る」という事があります。 こんな事は有り得ない事ですが、「修行をする」と自分というものは無くなったと思っても「法」というものが残るのです。 このことを「信位」といっています。 「人(にん)」が無くなれば、「人、法」共に無くならなければいけないのですけれども、立派な者、仏らしい者、菩薩らしい者が残るのです。 このことを「人は無くなったけれども、法が残る」といいます。 « 修行の道理3 | トップ | 法が残る2 »
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