「虚迷(きょめい)自照心力(しんりき)を労せざれ」とのお示しがあります。
今此処で原稿を執筆していても外の車の音が聞こえます。
一体この音は何処で分かるのでしょうか。
考えたからこの車の音が有(在)るのではありません。
私たち衆生が問題にしてもしなくても車の音はそう有(在)るのです。
問題にしてもしなくてもそれ相応な「動き(働き)」が有(在)るのです。
「此の物」に何処でそういう車の音が分かる「動き(働き)」が行われる
のかと尋ねても分からないのです。
「自照」とはそれ自体の事です。