ところが、「自由」をもう一つ跳び越えてみれば、今度はどんな「約束(規則)の世界」へ放り出されても何も別に問題はありません。
これが大事なのです。
みんな「自由」というと勝手放題な事が「自由」だとばかり思っています。
しかしそうではありません。
どんな世界に入っても「平気」でいられれば何の心の動揺もなければ「矛盾」も起きてこないのです。
しかし、何か自分に一つの特殊な考えを持っているとそれがすぐに中心になるから、こんなつまらない事は嫌だということが出て来るのです。
そうするとそれが「苦悩・煩悶」を起こすのです。
これさえ無ければ問題は無いのです。
それですから私たち衆生が「自分の真相」を本当に知(識)っていれば楽になります。
そこで「今の因縁」というのは想い集まって組み立てられたものですから「そのもの」は暫定的に「ある時間ある空間」という「物の約束(規則)の範囲」「恩縁の法」に留まっているのが「物の存在」ということになるだけの事なのです。