言葉ほど扱いに注意を要する者はないと思います。
例えば「そのまま」という歴代の覚者が表現するお言葉は「そのまま」という厳然たる状態が有(在)るわけではありません。
私たち衆生が「そのまま」というレンズを通して見て「錯覚」を起こしているだけです。
そうあるべき好ましい姿を想定し、そうあるべき好ましい姿という目的志向の文脈でこの言葉を使う時は本質から離れて隔てが有(在)ることになります。
覚者がそのままという時は、これは「そのままその物と一つである状態」です。
即ち「そのままの無い状態」が前提になっていることが、このお言葉の本質です。