たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

ICチップ付き免許更新

2012年08月21日 | 日記

朝、喫茶店のチケット特売日なので早めに、店の裏口駐車場から入ろうと裏道を通ったら、入り口一つ前の交差点で軽自動車同士の衝突事故に遭遇しました。たいした事故ではありませんが警官3人が来て実地検証していました。片方2車線と1車線の無信号交差点です。

よく事故の起きる交差点で、帰りにはレッカー車2台が来てそれぞれの事故車を積んで帰って行くところでした。表通りのコンビニのお姉さんも、ここはしょっちゅうだと言いました。
おまけにレッカー車が矢印誘導版を置き忘れて行ってしまいました。呼びかけましたが気づきませんでした。コンビニの姉さんに貰っておいたら・・と言っておきました。

午後から隣の市、関市にある中濃運転者講習センターへ免許更新に出向きました。
案内ハガキは岐阜センターへでしたが、距離的に大差ないこと、岐阜は人が多く混む為です。
出掛けるのが遅れたのと、少し遠回りして時間いっぱいに入りました。もうロビーには20人くらいが列を作っています。窓口を確認していたら、事務所の扉から一人出てきて案内を始めました。なんと私が立っていた位置が2列に並ぶ1番の位置だったのです。
こういうラッキーもあります。一通りの案内を聞き1番窓口へ誘導され、先ず2,500円の更新手数料を払い申請用紙を貰います。

2番で交通安全協会費を、高齢者は3年なので1、000円、5年の場合は2,500円を払います。今回は案内の時、拠出は任意だとの説明はありませんでした。
1番バッターなので皆が見ていましたが、「辞退します」と断りました。係りの女性は何も言いませんでした。(せこい!と、神の声が聞こえました)

記入台で申請書を書き、次の視力検査室前で書類の点検を受けます。今回は病気で気を失ったことがあるか、とか身体上の病歴をチェックする欄がありました。もたもたして3~4人に抜かれました。その次ぎが視力検査です。

席につくとメガネをかけているので「運転する時メガネをかけますか?」と聞かれ、「運転中はメガネです、免許証は眼鏡の条件はありません」と言うと、初めに裸眼で検査され、ついでメガネをかけるように言われて矯正視力の検査でした。
心配したとおり二重に見えてよく判読できません。係りの女性は「眼鏡着用になります。原付や小型特殊車(農耕トレーラー)以外の軽・普通車に乗る場合はメガネが必要です」と、予想通りでした。

検査値を聞くと矯正で左右がそれぞれ0.3、両眼で0.6だと説明されました。講習会では0.8でしたが限界値です。
昨年春の眼科医の診断で、白内障は始まっているが手術の必要まではいってないと、レンズは作り変えていてこの有様です。

後は写真の撮影、それが済むと2階の高齢者控え室に上がり、交付を待ちますが全員が終わるまで20分ほど待ちました。高齢者は10名ほどでした。

今回からICチップ付きになり、暗証番号を2通り用意してくるようになっています。その理由の説明があり、「プライバシー保護の観点から本籍地をICチップに記録し、券面には記載をしていません。なを、ICチップには、氏名、本籍、写真等が記録されており、何かの必要でこれらを読み取るには暗証番号が必要です」と、概要を説明されました。この記事では高齢者講習で貰った交通ルール教則にあるのを、そうアップしたが現地説明はもっと省略されました。

交付が終わって個人的に「本籍の必要性ってあるの?」って警官に聞きましたが、「よく分らない」と返答に窮していました。どこそこの機械にかけて暗証番号を投入するのかも分りませんでした。帰宅後警視庁サイトでようやく理解する始末でした。

いわゆる「お役所仕事」です。こんなふうなので、協会費は辞退したのです。拒否というべきでしょうか。隣席の老人の男女に話すと「任意なんて知らなんだ」とおっしゃいました。会費を払った人の希望者には団扇と、免許証入れをくれたそうです。
協会費を出さなくても、次回更新の際、高齢者講習や更新手続きの案内はチャンと来ますのでご心配なく。ただ、1,000円くらいはお守り代わりと穏やかに拠出すべきかもしれません。


料理番組

2012年08月20日 | 日記

おかげさまで歯痛は何とか納まった。欠けた歯や神経を抜く根の治療をした歯は勿論痛々しい。堅い物や右側では噛まないように注意している。
お盆だからといって何か美味しい物を食べる気もしない。数日前夕方生協へ行き半値に値引きされたチラシすしと巻き寿司は各々200円だった。その二つを3晩かけて食べた。
後は冷蔵庫の残りものだ。たんぱく質は残っている牛の焼肉は硬くてそのまま、いつも買うのは魚が多く、アジ、さば、さんま、鮭は定番だ。生はめったに買わない。

数日前NHKのEテレで料理番組を見た。朝、昼、晩としっかりした食事を取ろうという内容だった。「万能あんかけ」による、豆腐や野菜を使った簡単料理を和食の料理人が教えていた。万能あんかけという素が売ってあるのかと思ったら、レシピは

めんつゆ、砂糖、お酢、片栗粉であんかけベースを作って、煮込んだ豆腐や野菜にかけるだけだったかな。こんな簡単レシピなら一度挑戦してみよう。

今年の夏は「麻婆ナスの素」による、なすの炒め焼、中華料理が多かった。スーパーで買う麻婆ナスの素と生協で買う同じ素は少し違い、生協はほとんど、あじ味噌だけ、スーパーのは味噌ベースに唐辛子やひき肉の味付けで、この方が美味しい。いづれも見栄えしない料理だ。

15年も主夫をやっていると、日本のスーパーはよくこうも年中同じ商品の規格品しか並べないのかと呆れている。
外食も似たような店とチェーン店ばかり。メニュー豊富で美味しい、一度行ったタイの国がうらやましい。
第一食欲がないのと空腹にならないので困る。朝、昼兼用の喫茶店のモーニングは食パン半切れ、小茶碗蒸し、キャベツの胡麻だれサラダとかの日替わりで済んでしまう。
ゴルフ場でも昼食は無料サービス品なので、中華そばとかカレーとかご飯は半分にしてもらい、餃子2つやピクルスなどのつき出しは断っている。


尾崎家の結婚式

2012年08月19日 | 日記

テレビで、プロゴルファー尾崎健夫と女優坂口良子の結婚披露宴を見た。
健夫の出身地、徳島・宍喰町の生母に良子と前夫の間の娘、女優坂口杏里がテレビ局のアナウンサーと結婚挨拶に出向く実況から始まり、現地で健夫が出迎える設定から始まった。

このアナウンサーが司会を頼まれ、田舎の宍喰町の小さなホテルでの披露宴がよかった。
58歳と57歳のカップルで、付き合い15年の末の結婚式だった。
長男ジャンボこと尾崎将司、三男ジョーこと尾崎直道に姉二人、老いた生母、親戚など一家が揃った披露宴は感動的だった。
余興で3人が歌ったが、直道の「チャンピオン」、将司の「山河」など、この3人とも玄人はだしで歌もうまいね。

最後に杏里が「おじさん」と、呼びかけた祝辞がよかった。彼女が小学生の頃からの付き合いなので、おじさんに「帰って・・」といったり「茶碗を投げたりして」拒否したと・・。嫌いでそうしたのではなく大好きなママを取られてしまうと思ったからだと・・。皆涙を拭いて聞いていたね。

ネットで見ると良子も前夫のことで苦労したことが分った。あるサイトでは危険なのでこの動画を見てはいけないと、セキュリティ・ウイルスバスターが反応した。良子と前夫に関する情報のようだった。

神田正輝と西田敏行のお祝いビデオメッセージもよかった。ほろっとした2時間番組だった。
どうか末永く幸せに。夫婦は歳取ってこそなのだ。熟年カップルなので幸せに過ごしてほしい。
おめでとう。


お盆は歯痛の闘い3

2012年08月18日 | 日記

お盆中痛みに苦しんだ歯痛の治療を受けるため、朝、喫茶へ行ったついでに歯科医院へ行きました。電話でもいいのですが近くなので予約を取るためです。
救急外来の治療を受けたことを話すと、「ちょうど患者が空いているので今診察して上げます」と、好都合に初診を受けることができました。

先ず、治療椅子に座り歯科衛生士に事細かに経緯を話しました。そこで衛生士はDrに概要を説明、他の一人だけだった患者の治療が終わりDrの初診となり、また同じ事をくどくど話しました。
先に、レントゲンで全体の歯をぐるっと回転する撮影で全部の歯を撮影されました。
その写真を見ながら、歯の点検、欠けた虫歯も確認されました。上も下も4,5番の右が虫歯になっていること、全体を治療する必要があると診断されました。

痛みを無くすため先ず、神経の検査をピリッとくる機械で調べて、衛生士がカルテにDrの二度繰り返される診断数値を書きとめ、先ず下の4,5番の根の治療が必要になりました。
すなわち初っ端に麻酔注射して神経を抜かれたわけです。初期治療の痛み止めです。

同じ痛みで6月初めに緊急予約して診ていただき、部分的レントゲンを撮ってもらったのですが、2晩痛んで予約の日が来た診察の日には痛みは治まっていたので、また痛んだ時にと、治療を先延ばしして失敗でした。

神経を抜かれたので激痛は治まりましたが、神経を抜いた歯や上は未だ少し鈍痛があります。
予約だけのつもりで行ったので保険証も持って行ってなく、喫茶の帰りで歯磨きもせずにいきなり治療してもらい、終わって家まで保険証を取りに往復して、支払いを済ませました。

帰宅すると、大学病院で救急外来を受けた治療費の請求書と、診察券が郵便で配達されていました。銀行振り込みでも、窓口支払いでもいいのですが救急の時間外は後払いです。
Drは「銀振りの場合は手数料が取られます」と、説明されました。

すぐ団地内の銀行へ行ってATMに向かうと、銀行カードが必要でまた往復し、再度ATM機に向かうと、通帳を挿入の案内が出ます。
そこで窓口へ行き聞くと、「振替え」のところにタッチした間違いと分り、「振込み」が正解と教えられました。振替はA通帳からB通帳へというケースの振替で、振込み詐欺の「振込み」でした。この歳になって世の中のことに無知で、また一つ勉強しました。

窓口で頼むと手数料が高くなると、ATM機での扱いを以前実地説明を受けたことがあるのです。治療費は5,000円くらいと想定していましたが、暗に相違して500円でした。それに対し振り込み手数料は420円でした。

銀行は儲かるはずだなぁと、しかも法人税をほとんどの銀行はここ10年ほど払っていない、ケシカランと週刊誌で読みます。何故なら過去の欠損が、「金融機関のための繰越欠損」が認められ控除されるせいです。
この不景気に別格待遇でおかしな制度よ、と、貧乏人はまた銀行嫌いになりました。

とにかく歯痛と歯の劣化が急速なのに困っています。昨年9月に全体の治療を終えたばかりなのです。歯は「歯無しにならない話」とかで、とにかく抜くな、80歳までに20本自分の歯を残せと教えられます。

全部で歯は、親知らずが4本これは役立たずの歯なので、虫歯を誘引し抜いた方がよいと全部抜いてあり、残っているのは7本×2×2=28本です。義歯は未だありません。抜いた親知らずのうち2本くらいは亡妻の遺骨とともに墓の中に納めてあります。今度欠けた歯の切れ端も2片手元に残したので墓に納めます。
保険外治療のインプラント(人工歯根)はやっておられない、良心的?オーソドキシーな治療のDrにお世話になっています。


お盆は歯痛の闘い2

2012年08月17日 | 日記

私の住む岐阜市周辺には休日診療所、小児夜間急病センター、岐阜市小児救急二次輪番病院(交替制)等が整備されているのを、市のチラシで知りました。
この中に歯科は岐阜市休日急病歯科診療所があり、このチラシにはないが、岐阜市の隣の市、瑞穂市に朝日大学付属病院歯科救急外来という24時間対応の救急機関が30分圏にあるのはありがたいことです。

受付の世話から呼び出し、初期診察まで一人の若い研修医が担当され、患者の準備が整うと上の階から教授が降りてこられ、本診察される。青い冠帽子に白衣という臨床スタイルです。
亡妻の末期入院中、正月を病院で過ごし、ナースさんは「病人は盆も正月のない」といいましたが、この先生も16日まで開業医は休診を、「ああ、そうか」という具合で、大変親切でやさしいDrでした。

昨日の日中は暑い日ざしが戻り、不快日になり、さらに歯が一日中痛んで、ロキソニンを4錠も飲んだ。氷を口に含むこと絶え間なし。教授もロキソニンは歯痛に通常使うと言われたし、数年前通院した精神病院の院長先生は肝臓を痛めるので過剰摂取はよくないと言われたことがあります。この薬が効いているのか、よく分らないのです。

歯茎が痛むというより、上顎、しかも下顎がズキズキでなく、ツーンと痛む。診察時に歯肉炎では?と自己申告しましたが歯痛は我慢できません。
昨夜は日中ほどでなく、ようやく落ち着いてきて、痛みは少なくよく眠れました。

今日は、かかりつけ医の歯科へ予約を入れます。
平成9年にこの医院からやはり似たような痛みがあって、歯が原因か特定できず紹介状を耳鼻咽喉科へ持たされました。

一度行ったことがある評判の耳鼻咽喉科開業医の診察で、頬が腫れていること、触診で頬を押されると鈍痛があるなどで、10代の終わりに蓄膿症(副鼻腔炎)の手術をやっているので、レントゲンを2枚撮り、思いもよらなかった術後性頬部嚢腫(のうしゅ)と診断されました。

両頬に副鼻腔という空洞があります、この空洞に細菌が入り化膿して慢性化し膿が溜まる病気が蓄膿症です。この手術は局所麻酔で、ハンマーで上唇の軟骨をかんかん叩いて割る痛く厳しい手術でした。

この手術後空洞は潰されていますが、たんぱく質の液が溜り圧迫して歯痛となって現れたと診断されました。局所麻酔され太い注射針を刺し、穿刺吸引廃液で5ccも排出し、それですっきりしたことがあります。
40年も50年経っても出る後遺症と説明されました。数年前やはりこれを疑い、二度目の穿刺廃液を受けましたが異状無しで、初見で腫れていないと診断されたことがあります。

この後遺症が原因ではありませんでしょうが、時々この右側歯茎の歯痛が発生するのです。
歯科救急外来に行き問診表にこの旨書いて提出し、教授からも聞かれました。

がんの骨転移でもないでしょうが、7月は大腿部に異常な痛み、神経痛か発疹が化膿したせいか不明ですが、治ったらこの始末です。 


お盆は歯痛の闘い

2012年08月16日 | 日記

お盆の間は地獄の釜も休むと言われるのに、日本の国も我輩も最低のお盆だった。

13日の夕方買い物をして、ピーナッツと角砂糖を買って口にしたところ、歯痛が発生した。
右上に最奥歯2枚くらいのところがツーンと痛む。だんだんひどくなり夕食もほどほどに、冷蔵庫の氷ブッロクをなめると痛みが納まる。
終に夜中まで繰り返し、まともな睡眠は取れなかった。夕刻から振り出した雨はこれもだんだん夜中にかけてひどくなってきた。とうとう朝方まで歯痛と格闘した。

平成5年末退職後、歯科医院も通院しない期間の方が少ないくらい歯も悪くなってきている。親知らずは4本とも抜き後は一応自分の歯ばかりだが、冠を覆った歯が多い。

14日朝、朝食も取らずゴルフ場へ行く。仲間内のゴルフコンペで半分はマナーというより義理なのだ。雨は降っているが幹事はやるという。エントリー11人中5人は欠席らしい。うち現場へ来たが2人は止めるという。一人は名古屋からきた。
歯痛もやや治まっていたので、参加することにした。スタートする頃から雨は止み、そのうちラウンド中は降らなかった。

14日の夕方から夜にかけてまた前夜同じ歯痛に悩まされた。
市の発行した「救急病院のご案内」を見る。お盆は開業医は休みだが休日ではない。
市役所へ電話してみると、歯科の開業医のお盆中の当番医は把握していない。昨日も一人問い合わせがあったが、どうしても痛めば岐阜県瑞穂市の朝日大学・歯学部付属病院の歯科救急外来が24時間受付なので、行って見てくれと案内された。自宅から15kmくらいか。

救急も大袈裟だと、様子を見て亡妻の実家・美濃加茂市へ墓参に行くことにした。
実家は寂しく91歳の家の中でも杖をついた老義母と義弟の二人の住まい。後は皆お星さまになった。地続きに長男夫婦と小2になった男児が住んでいて助かっている。
義弟のニ男は東京で、今春結婚してつい10日前女の子が生まれ、写真を見せてもらった。
小1時間いてお暇し帰宅するとまた歯が痛む。

前立腺肥大の夜間頻尿は、昼間はどってこともないが、夜就寝すると頻回するのと同じ現象だ
。思い切って大学病院の救急歯科へ行った。受付のガードマンさんの案内ですぐ分った。

待合ロビーには付き添いと患者が4~5組、呼び鈴を押すシステムで、研修医らしい医師が出てこられ、2~3時間待ちになるがよいかといわれた。
持参した弁当箱の氷ブロックをなめて根気に待った。最後に呼び出しがあり診てもらった。
はじめは研修医が、そのうち教授の診断だった。問診表には詳しく書いて提出する、いつもの癖でそのための資料をバッグに入れ初診を受ける。

診断は痛む歯のあたりを叩いたりしてどれが痛むか診られた。ところがこういう時に限って痛まないのだ。次に真綿を噛ませて順次調べ、少し違和感がある歯が分った。
教授は「ちょとおかしいぞ、虫歯になっている、割れるかな」とピンで撥ねると、「やはり虫歯です」、「むし歯が欠けました。舌で触ってごらん、引っかかるでしょう、レントゲンを1枚撮ります」と、診断され写真を見ながら4番、5番、特に5番が大きい。「夜中に痛むようなら神経を抜く必要があるが、歯が割れるかもしれない、そのときは抜くことになる」と言われた。

救急医療は応急措置だけなので、今後の治療はこの病院の初診からかかるか、かかりつけ医かは、どちらでもいい、後者でよいでしょうということだった。
痛み止めのロキソニンは、7月の神経痛の整形外科で貰ったのが残っていて、2日間で6錠を飲んだが効かなかったと書いて出していた。追加するか聞かれてもう一つの薬品名も言われたが、貰い置きも残り少なくロキソニン6日分を貰った。痛み止め注射は歯科では出来ないといわれた。終わったのは夜10時、7時に行ってちょうど3時間だった。
帰宅して食事したらさらに歯が欠け、小豆大半分くらいが穴になった。
2晩格闘してよく眠れたが、やはり夜中に激痛が一度来て氷を頬張った。

お盆や正月に病気になると悲劇です。


いい国つくろう何度でも

2012年08月15日 | 日記

写真は2011.9.2日の朝日新聞の全面広告、出版社「宝島社」の公共広告です。
「いい国つくろう何度でも」、印象的でいいキャッチコピーですね。昨年、東日本大震災で打ちひしがれた日本人に訴えたものです。

その紙面に、終戦後の1945年(昭和20年)8月30日、降伏文書調印に先立ち、専用機「バターン号」で厚木海軍飛行場に到着したマッカーサー元帥の写真を掲載しました。
懐かしいですね。とうもろこしの芯をくりぬいたコーンパイプをくわえ、アルミパイプのタラップを降りるマ元帥のこの写真、その後なんどもなんども見ることになりました。
印象的広告だったので、保存していたのがこんなことで役立ちました。

今日は第67回終戦記念日。あの終戦当時に比べれば、日本人は暖衣飽食、贅沢三昧で堕落して、極楽トンボのような豊かな生活をしています。昨日の私はゴルフコンペでした。
こんな贅沢な生活ができることに感謝しなければなりません。

兵隊にとられ、人間扱いされず、立派に戦って死ぬことを美徳として戦死していった多くの兵士や、戦争で犠牲になった多くの一般国民、いうまでも無くこうした犠牲者の上に、今の私たちの暮らしがあるのです。

67年前の、私は国民学校(小学校)の2年生でした。その日、夏休み中だったはずで、臨時登校を召集されたのか、確かな記憶ではありませんが先生から、「正午に天皇陛下が大切なお話をなさいます。家へ帰ったら、ラジオを聞くように・・」と、言われて異様な雰囲気でした。

2kmくらいを歩いて帰宅し、当時ラジオのある家は集落でも限られていたので、その家へ「ラジオを聞かせて下さい」と、大人も子供もたくさん集まりました。
その家は縁側を開け放し、子供は外で「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・と例の玉音放送を聞いたのです。大人たちは異様な雰囲気で、戦争が負けたことを知りました。
占領軍が上陸すると、女子供はみな岩に叩きつけられて、殺されてしまうのではないか、などと、恐ろしいことを話していました。

国民学校の同級生は40数名で、その内2名の女生徒の父が戦死されています。ひとりは私の亡母の甥でした。高校の同級生にも何人か戦争遺児がいます。
遺児たちは戦後苦労して育ち、そして生きてきました。そのうちひとりは、いま遺族会などの世話役などの活躍をしています。

野田総理が今日靖国参拝をされないのは残念です。国のために戦死された兵士の御魂の鎮魂のため参拝するのは当たり前です。中国や朝鮮に何の遠慮が要りましょう。政治宣伝や内政干渉は無視すべきです。

私は8月15日の正午の慰霊祭の実況放送にあわせて、いつもこの級友達の父の御魂に黙祷をします。

「いい国つくろう何度でも」、私達の世代は残り少ない人生になりましたが、いい国を次世代のためにつくらねばなりません。 


お盆 市営斎場

2012年08月14日 | その他

瞑想の森 市営斎場

お盆です。この建物は何でしょう?
これはこの世で最後にお世話になる公共施設です。市営火葬場です。正面に見えるのは遺族休憩室です。時に音楽会・ミニコンサートが行われます。

名称 岐阜県各務原市 瞑想の森 市営斎場
主要施設 火葬部門 火葬炉:大型人体炉5基 動物炉1基
待合部門 待合室(和1、洋2室)炉前ホール
設計・監理 株式会社 伊東豊雄建築設計事務所
構造設計 佐々木睦朗 氏
周辺環境デザイン 慶応義塾大学教授 石川幹子
完成月日 平成18年6月

この特徴ある屋根はシエル構造といって貝殻様式です。
世界的建築家伊東豊雄氏は代表作に仙台市図書館 せんだいメディアテークがあり、半日ほどこのガラスの城を見学したことがあります。

そんなこともあって当時伊東事務所のメールアドレスがホームページに公開されていましたので、現世で最後にお世話になる大事な施設なので完成を楽しみにしています、とメールしました。
伊東先生からご丁重な返信があり、この特徴のある屋根構造は2005年に福岡で緑化フェアがあり、そのテーマ館で採用され、その館は以後温室で利用される予定と、福岡の建物の写真3枚が添付されていました。
開所式を見学に行きましたら、そのメールのやりとりを式で先生から紹介され恐縮しました。
その後の一般見学で、先生に自己紹介し失礼を詫び、先生とツーショットの写真を撮りました。

前庭の池は前から農業用ため池がありましたのを改装され、蓮の花は羽島市のお寺、(名前は忘れましたが)から株分けしていただき、石川先生が移植されたものです。
このことも石川先生が返信してくださったのです。

この斎場の一円が市営墓地で運良く亡妻のお墓を建てることができ感謝しています。家からも近く散歩や買い物の途中によく行く施設です。

開所式には当時、2チャンネルに「○○市を語ろう」という、掲示板のスレットが立っていて、そこに自慢したら早速「煙のゆくえ」というサイトの管理者の目に止り、この管理者がわざわざ開所式見学に東京からバスで来てくださったようです。掲示板にそうあとがきしてありました。


哀切な遺書 円谷選手

2012年08月13日 | 日記

昨日の朝と昼のテレビで520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落から27年、慰霊行事の報道を見た。もう27年かと感慨にふけった。
墜落時刻は午後6時56分とあるので、この少し前かジャンボ機が行方不明との一報を、車のラジオで帰宅途中に聞いて、事故なら大変な事故になるなと、心配しながら帰宅した。

家についてテレビで続報を見ていると大変な事故に発展していった。
当時の私の職場は家から近くで、お盆休みを社員に取らせ、最低の保安要員で公共サービスのプラントや家庭機器の保守を担当していた。特定地域の責任者だったのでお盆期間中に雷や事故のないことを願った。

昨晩の夜7時のテレビはニュースも飛ばして、オリンピックのマラソンを放映した。中本健太郎選手の6位入賞はご立派です。おめでとう。

マラソンを観て27歳の若さで自ら命を絶った長距離ランナー円谷幸吉(つぶらやこうきち:1940~1968)選手を思い出した。

そこで、昔の新聞の切抜きを引っ張り出して再読した。いつの朝日新聞か不明ですが「時の墓碑銘(エピタフ)」で朝日コラムニスト小池民雄氏の記事です。その概要の引用です。

“ ・円谷選手は東京五輪のマラソンで、エチオピアのアベベ選手が独走し優勝、2位に円谷選手が国立競技場に苦しそうに現れるが、英国のヒートリー選手がスタンド前で追い抜き、円谷選手はもう追い返す余力はなく3位に入賞する。
・これが日本陸上界唯一のメダル獲得だった。彼は輝かしいヒーローに祭り上げられ「次ぎのメキシコ五輪を目指します」と宣言した。
・その4年後、メキシコ五輪の年、円谷選手は自ら命を絶った。故郷の福島県須賀川市で一家そろって正月を過ごし、東京の自衛隊体育学校宿舎に帰ってからのことだった。その遺書には
「父上様母上様 三日とろゝ美味しうございました」と始まり、「敏男兄姉上様 おすし美味しうございました、勝美兄姉上様 ぶどう酒、リンゴ美味しうございました」と延々とつづく。
しそ飯、南ばんづけ、ブドウ液、養命酒、モンゴいか、と挙げていく。

・須賀川市の円谷幸吉記念館にこの遺書が保管されている。コクヨの便箋に万年筆で、達筆とはいえないが、流れるように、よどみなくつづられている。甥や姪の名前を列挙していくなかで、2ヶ所書き直しがあった。ひとりひとりの顔を思い浮かべながら書いていったのであろう。
こう結ばれている。「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません、何卒 お許し下さい」「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」

・死の原因がさまざま取りざたされるなか、「傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であった」と記したのは三島由紀夫である(産経新聞)。
・遺書を読んだ川端康成は「千万語もつくせぬ哀切である」と評した。
「美味しうございました」という繰り返しを「ありきたりの言葉が、実に純ないのちを生きている」。
いつまでも心の奥深くで反響をやめない長距離ランナーの生と死である。” と、日本中が泣いたのです。 

最近見た映画、「三丁目の夕日64」の映像と重なってきました。
マラソンを最後まで見て、その後の女子団体新体操が、健康美そのものの女性たちの集団演技で見応えがあった。ちょっとしたサーカスのようだった。ロンドン五輪ももう終わる。


医療費はいくらかかるのか

2012年08月12日 | その他
  H22肺摘出 H21直腸摘出 その他
入院期間 9日 17日  
保険点数(点) 179,752 123,905 1点10円
保険給付外(円) 47,030 41,790 差額ベッド・病衣
一部負担金(円) 46,960 156,917  
食事負担金(円) 5,200 6,500  
       
患者負担額(円) 99,190 205,207 病院窓口負担金(高額療養費還付後の金額)
保険負担割合 1割負担 3割負担 H21年は個人年金有り3割
雑費(円) 3,600 6,800 テレビ代400円/日

難産また難産の消費税増税が決まりました。嫌なことですね。2014年4月に8%に、翌年2015年10月に10%に引き上げですから、先ずそれまで生きていられるかな?
上の表は私が実際に治療を受けた入院期間中だけの療養費の実際です。転移しました、再発しました、と言われれば私はもうお仕舞いです。でも人間は勝手なものでそんな事はありっこ無いと思うんですよね。

お国の財政は今でも1人あたり2千万円の借財を背負っているので、これ以上つぎの世代に借りを残すなんて無責任極まります。

今回の消費税増税で社会保障に使われるのは、主に年金と高齢者医療、介護の三つの社会保険の赤字穴埋めで、あとは子育て支援を加えて地方にもお金が行くようにした程度と解説されています。

私は年金暮らしで、家内に先立たれ、70才前後からとみに健康が衰え、ここ8年間に年1回の6度の入院手術を余儀なくされています。その療養費が、がんという恐ろしい病気で、しかも直腸がんとか肺がんと言う代表的がんに冒されました。その費用が上の表のようになったのです。
H21,22年は未だ後期高齢者でなく、国保の世話になりました。日本の財政が急速な高齢化で立ち行かなくなって、一般会計が半分以上を借金で予算を組む有様とか、まったく私人として申し訳なく思います。

アメリカのように、医療保険制度が十分でなく、歯の治療に一般の保険に加入してない貧乏人は、メキシコへ歯の治療に行くとテレビでやっていました。
日本は今のレベルの社会保障を維持するためと、消費税を10%にされるなら、不承不承でも私個人は賛成しなければなりません。

増税反対の政治家は前回選挙の時、増税なんて公約に全く無いのでだまし討ち、景気をさらに冷え込ませ失業が増える、等々もっともなことを言われますが、少子高齢化が急激に進む日本には、今のシステムを支える財源はないのです。
選挙の公約なんて、すぐペロッと剥がれる膏薬くらいにしか国民は期待していないのです。
民主党の小沢さんや鳩山さんに言いたいのは、政権を取っても、子供手当や高速道路無料化、農家の個別保障なんて、やろうにも財源が無くって出来なかったじゃないですか。
組み替えすれば幾らでも出てくると言ったのは誰ですか。

この時期、増税がベストな政策かどうかは別にして、野田佳彦首相はやはりその点立派ですね。自民党元幹事長野中広務氏が読売新聞に、演説はうまいし、閣僚が首相を助けるのが通常なのに、閣僚を首相がカバーして助けていると、70点をやれると高評価していました。ぶれない、嘘をつかない、それだけで十分というのが首相就任直後の人物評でしたが、人格・見識は十分評価できるでしょう。

自民党は相も変わらず権限も無い解散を声高に叫ぶばかりで、谷垣総裁にはガッカリです。最後の党首会談で何が話し合われたか、「近いうちに解散」の中味は、会期末9月8日通常国会会期末までに解散が正解でしょうし、私もそれを望みますね。9月21日民主党代表選ですが、それまではもたないでしょう。

私は長く勤労者として旧社会党、次いで民主党を、船が傾き過ぎないよう、くらいの政治意識で投票して来ましたが、今度行われる選挙にはどの政党を選ぶか迷っています。
民主党は政権脱落確実でしょうし、野田総理も「一将功なって万骨枯れる」ことになるでしょうし、この3年間の無様さはまだ政権党として未熟でした。

税と社会保障の一体化の、社会保障のあり方はこれからです。大震災復興、原発、TPP、景気回復、外交と政治課題は山積してるのに、自民党はこっそり「国土強靭化基本法」なんて、新聞も全く書かないうちに、10年間で総額200兆円を社会資本整備に回そうとする法律がちゃっかり成立したようです。こんな自民党にも一票を入れたくありません。

大阪維新の会は関西を中心に40数名を当選させるだろうと言われています。雑誌が書くように橋下大阪市長にも維新の会にも全国制覇は望んでいません。
ッたくもう!私が投票で入れたい政党は日本にひとつもありません。