たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

九万九千日縁日

2012年08月10日 | お寺参り

昨日は継鹿尾(つがお)の観音様、犬山寂光院の九万九千日の日です。1年で一番暑い日8月9日の縁日です。酷暑のお参りで功徳が九万九千日お参りしたと同じ功徳がある日とされます。
朝、定例のブログを投稿し午前10時の護摩供養に出発が遅れ、途中スーパーで昼食の稲荷寿司を1パック求めました。
境内は急峻な山の中腹にあり駐車場も狭く、下の木曽川沿い公共駐車場に車を止め、歩いて20分ほどで庫裏前、受付事務所です。
300円の志納で護摩札にご朱印を押してもらい護摩木に名前を書いてもらいます。

そこから山の上の本堂前までが胸突きの300階段です。昨年この階段に閉口して1本レールのモノレールが作られました。レールの基礎は建築工事現場で見るパイプ足場で構成されています。定員は6人、最大荷重は360kgで2人は立って4人は座席と小さなワゴン車に乗れるようになりました。正月に行ったときはおじいちゃんのお手伝いが運転されましたが、今度行ったら全自動のデパートのエレベーター式セルフシステムに改善されていました。
それと片道200円を乗車前に志納するようになっていました。
肺を3分の1切除の身で肺活量が8割なので登りはモノレールに乗せていただきました。
本堂では11時からの2度目の護摩供の般若心経の真っ盛りで、少し唱和しました。

午後から「ひろ さちや」氏講演会です。1時からなので300段の急階段を歩いて降り、500円の整理券を求めます。3千円以上のご祈祷をお願いし、記念品を貰った参詣者と千手会員は無料です。講演会場の聖徳殿へ移動し1階の休憩所で持参の弁当を遣いました。
小1時間ゆっくり休憩して、講演会は先生の到着が送れ12分遅れで始まりました。聴衆はいつもより少なく300~400人くらい。

演題は特にありません。先生の妹さんと同居の母親が1月15日に96歳で亡くなったことに由来し、浄土について、奇しくも手次寺の盆会のお説教と同じ演題になりました。
ひろ先生は大阪の浄土宗のお寺の出自で、浄土は氏の宗派本来の宗教思想です。

母上は戦死された夫の50回忌法要をやられたそうで、連れ添いの50回忌の法要をやるケースは少ないとのこと。
すなわちご母堂は夫とは30歳のとき死別、夫は兵隊に取られ強制労働に駆り出され生死不明で、昭和21年に戦死したことにされた、というご不幸を背負って生きてこられた。

ある時大阪のお墓が戦火をくぐり、割れて針金で括ってあるような墓なので、ご母堂が造り替えたいと希望されましたが、「そんなとこに父ちゃんはいませんでぇ。浄土へ行っておられる。お墓の作り替えは必要はない」と、大阪から京都のあるお寺へ墓を移された。

その寺はひろ先生の講演会もやってくれていて、その縁で2千万円を寄付した。「なに、後で20回も講演会に招んでくれれば元は取れます」と、あっけからんと話されました。ここで聴衆は少しどよめいたが、先生クラスとしては妥当な額でしょう。

ボケる前にと、96年ご母堂80歳の頃親子の間で、浄土へ何をお土産を持って行くかと話した。他家を訪ねる場合も手土産を持つ、さて浄土へ何を持っていくか・・と。

今日のお話しのメインでした。倶会一処(くえいっしょ:ともに一つのところで会う)、浄土へ帰って、夫と会うとき何をお土産にするか?

講演の最後に種明かしをされ、物や金を持っていくことは出来ない。土産にもっていくのは「思い出」、この世での苦労の体験をお土産に持っていく。
20歳で夫と結婚、21歳でひろ先生を、さらに5人の子を産み育ててきた、この世の苦労の思い出を土産に、夫のいる浄土へ持っていくのであると・・。
実際生活では、浄土も地獄もこの世の心の中につくると話されたが、数日前のてつぎ寺の説教でも同じ内容でした。
てつぎ寺の参詣者のおばあさんは「今日ここにいることが極楽や」と問答されました。それが正しいと僧が答えられましたが、浄土(極楽)も地獄も心の中にある。この世の心の中に浄土を持ちましょうと結論された。
キリスト教徒は天国・仏教徒は浄土へ往生する。「往きて生きる」のである。往相回向、還相回向(げんそうえこう)で、仏教は「人間は生まれ変わり、死に変りして、やがて仏になる」(歎異抄入門:梅原猛)教えなのです。