たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

身近な史跡・遺跡

2012年08月05日 | 日記

昨日は古代の伝承史跡について述べました。記録に残ったものでは、東大寺正倉院文書の日本のもっとも古い戸籍が有名です。
・現在の各務原市那加に当る「大宝二年御野国各牟郡中里戸籍(たいほうにねん・みのこく・かかみぐん・なかのさと・こせき)」、
・現在の加茂郡富加町羽生(はにゅう)あたりとされる「大宝二年御野国加毛郡半布里戸籍(たいほうにねん・みのこく・かもぐん・はにゅうり・こせき)」が、よく知られています。

富加町は小さな町ですが、この戸籍を誇りにして、ネットで分りやすく紹介されていました。
富加町の半布里の戸籍 その1その2その3その4

わが市は文化都市創造をかかげておられますが、市のサイトにこのような解説記事はありません。さびしい限りです。
各務原市の中里戸籍 その1その2その3その4 

長良川鵜飼いは有名ですが、木曽川の犬山側でも鵜飼いを楽しめます。この中里戸籍に鵜飼いを生業とする名前が記録されているのです。1300年前から鵜飼いをやっていた証しだそうです。
市の観光案内には”美濃国では702年(大宝2年)の各務郡中里の戸籍「鵜養部目都良売(うかいべめづらめ)の記述が最も古い資料です”とあります。
長良川の鵜飼いの歴史を岐阜市のある旅館のHPで紹介されています。

わたしは、柄山古墳(からやまこふん)の前を、毎日のように通っています。そのすぐ西に、行政区は岐阜市ですが、琴塚古墳があります。
この二つの間に南塚古墳があったようですが、戦時中の食料不足の折、つぶして開墾し畑にしてしまったようです。南塚は現存していなく10年ほど前、この一画が宅地造成され、文化住宅に姿を変えました。前面の通りは前方後円墳のカーブのままの道路になっています。
市内にはいくつもの古墳が現存しています。