たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

暁天講座

2012年08月01日 | お寺参り

今朝は真宗大谷派・岐阜別院の暁天講座でした。毎年夏に県下数箇所で陽が上がる前、涼しいうちに東本願寺のお朝事(あさじ)が行われます。朝早いので今まで行ったことはありません。
先日、手次寺のご配慮で入場券をいただいたのでありがたく行ってまいりました。
開始時間を6時半と思い込み6時についたらすぐ、真宗宗歌につづきお勤めが始まりました。6時開式だったのです。

やはり夏の早朝、陽があがったばかりのお寺の本堂のひんやりした空気は格別でした。
暁天(ぎょうてん)とは、暁(あかつき:あけぼの)のこと、爽やかな初夏6月の田んぼをいうそうです。明るくさわやかなイメージです。

親鸞は比叡山に9歳で入り20年間修行して29歳になったとき比叡山に別れを告げます。
彼は“建仁元年(1201)、京都・吉水の六角堂に篭ります。そして、六角堂で百日の祈念をしていた95日目に、当時、聖徳太子の化身と考えられた六角堂の本尊、救世観音(くせかんのん)の導きによって、専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教えに踏み切り法然の門をたたいた。“(歎異抄入門 梅原猛 PHP文庫)

”山を出でて六角堂にこもらせ給て、後世(ごせ)を祈らせ給けるに、95日のあか月聖徳太子の文(もん)を結びて、示現(じげん)にあづからせ給て候ければ・・・“と、
「親鸞絵伝」にありますが、このあか月は夜中の2時頃のことで、今の明け方とは違うと、2010年の仏教講座で、歴史学者(鎌倉・平安時代専攻)の筑波大名誉教授今井雅晴先生の講演を聴きました。

さて、今朝の講師は大垣教区の養老町から51歳と未だ若い、あるお寺の住職さんでした。
この方は一般大学を出て10年間の会社員生活を経て、仏道の道へ入られたと紹介されました。親鸞と同じように、生きることの迷いがあったのでしょうか。

講話の題名「己が分を思量せよ」で、親鸞の教行信証からとったと最初に説明があり、メッセージは「東日本大震災・福島を経て私たちは何が変わったのでしょうか、何が変わらなかったのでしょうか・・・」と、親鸞の生きた時代も今生きる私たちもこの濁世(じょくせ)を生きる方向を確かめましょう。というお話でした。

最近の仏教講座はこの発災前・発災後のテーマが多いですね。「おおい」とキーボードを打つと大飯と変換されるような按配です。
講師は野坂昭如氏が週刊誌で発言した『災後』という造語が印象的で、「戦後」となって民衆の考え方も価値観も変わって、平和・民主主義が定着したように「災後」は何か変わらなければいけない、何も変わらなくていいのかという問題提起でした。

石原都知事は傲慢すぎた日本人への天罰と発言して、被災者に不愉快な発言として批判されたが、私への天罰と私物化して反省すればよかったのに、日本人は・・と大上段に構えられたので・・と話されました。
災後を際(きわ)として変わっていく、それにはまず懺悔(さんげ)を、変らんとこ、止めとこは、楽であるが、歩みを朋に『同朋』に、「いじめ」は無かったことにではなく、真実に目をやり、不退転で生きて行こうとの講話でした。
明日もあります。当地区は2日間です。

付録)昨晩はNHK・BSプレミアム 山田洋二監督が選んだ日本の名作100本
『二等兵物語 女と兵隊・蚤と兵隊』福田晴一監督 伴淳三郎、花菱アチャコ、宮城野由美子を観ました。
終わって解説はお馴染み軽妙な山本晋也、マドンナには最近とみに女盛りの小野文恵さんだった。
彼女は入局後山口放送局勤務となり、野球のルールも知らず高校野球県予選のアナウンスを放送し、あっ投げました、あぁ打ちましたって、やってたと何かで読んだなぁ。
同職のアナと結婚したがバツイチだったと思うなぁ。相変わらず好感を持って観ている。伴淳とアチャコおもろくほろっとしたね。