たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

大河ドラマ・平清盛

2012年12月30日 | 日記

昨日のお昼過ぎNHK大河ドラマの平清盛最終回の再放送を見ました。大河ドラマもテレビ小説も見ません。根気が続かないからです。

最終回は平清盛が病床に伏し死を迎える場面と、壇ノ浦で清盛の正室時子が娘徳子と高倉天皇との間の子、安徳天皇を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)、と共に両腕に抱き、弓矢が飛んでくる中を入水する場面でしたね。
幼い安徳天皇は、「これからどこへ行くの・・」と無邪気に聞き、祖母である平時子は無言で、間もなく船べりから入水しました。
安徳天皇の母(清盛と時子夫妻の子)徳子(建礼門院徳子)は生き延び、のち仏門に入り一族の菩提を弔ったとテレビは解説しました。

天叢雲剣は三種の神器の一つ。 熱田神宮のご神体です。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされます。時子と共に水没説、熱田神宮に安置説とか諸説あるようです。草薙の剣ともいう。
スサノヲ命(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀。(wiki)

脱線しますが平氏は私には遠い祖先に繋がっていくのです。
4月の母の葬儀の後の記事にもしましたが、郷土の町史では、私の祖先は小田原城主、北条早雲こと、伊勢新九郎長氏(いせいしんくろうながうじ)の4代目、氏政の末族とか家来だったとかの伝記があるのです。

紋所も北条紋の三つ鱗です。早雲と同じです。
村の鎮守も、早雲の妹が嫁いでいたという駿河の国今川家の守護神、富士浅間(せんげん)大明神(今川家の総社)の御分霊を奉戴して鎮守としたとあります。
この祖先の妻が、あるとき病むところとなり、代参祈願し帰りに御分霊を奉戴して帰り、その名も富士浅間神社といいます。

早雲は出自がはっきりしないようです。Wikiや小田原市のホームページでは、戦後の研究で備中伊勢氏の伊勢盛定のニ男盛時とする説が有力のようです。

「人物日本の歴史 巻9」(小学館)では早乙女貢氏が、伊勢の関氏は平清盛の子、重盛、その子の資盛(すけもり)を祖とするとあります。清盛の祖先は桓武天皇です。
平氏略系図こちら  伊勢平氏 はこちらで、北条氏(鎌倉幕府執権:北条時政)、後北条氏(北条早雲)とも系譜はとにかく桓武平氏です。

えらいこっちゃ!なに何も心配要りません、20代前、およそ1050年前まで遡ると、血の繋がる爺ちゃん婆ちゃんは計算上約1億800万人余りとなり、皆親戚になるそうですから、源氏も平氏も子孫は国中にごろごろいるのです。

北条早雲略系図