たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

寒気が厳しい

2012年12月10日 | 日記

昨日夕方5時前にとうとう雪が降りました。朝起きたら日陰に雪が掃いたようにほんの少し残っていましたけれど・・。初雪です。 夜は積もりました。

日曜日の昨日は、NHKは午後から3時間にわたって、先日亡くなった故中村勘三郎さんのアーカーカイブス放映でした。 これは見なかったけれど、BSの夕方の番組、1時間半の「大人の学芸会 中村勘三郎さんと映画の仲間達 夢の映画誕生」を見ました。
夜はEテレが追悼歌舞伎の番組と勘三郎一色でした。

歌舞伎はよく分らないけれど、中村勘三郎さんという役者はすごい人だったようですね。
BSの番組は柄本明とのコンビ「やじきた道中 てれすこ」の撮影風景でした。こんな映画があったの。「てれすこ」って?予告編を見ると、干物のお魚、万病の薬、それを二人が探しに出る。古典落語だった。それにしても台詞ひとつに監督は細かい指示を出していた。
10日の今夜9時からBSでこの映画を放映するので、勘三郎さんの弥次、芸達者の柄本さんの喜多、小泉今日子さんの花魁と一緒に旅しましょう。
下北沢のある飲み屋で柄本と二人で飲んでいるところへ、旧知の平山監督が顔を出し、楽しい映画を作ろうと云う話から映画化されたとか。

勘三郎さん死去の第1報のネットの見出しは「中村勘三郎逝く、癌晴った」とあって、記事を読んでも「癌晴った」の字句説明はありませんでしたがすぐ、「頑張った」の意味だと理解しました。
遺族がマスコミにファックスで送った、死亡通知の文面「来年4月の歌舞伎座柿(こけら)落しに出演することを、心の拠り所とし、癌晴って参りました」の一節だったのですね。

それにしても57歳とは亡妻と同じで早過ぎる。7月27日に12時間に及ぶ食道がん手術は成功したようですが、急性呼吸窮迫症候群という肺の合併症は性質が悪いと週刊誌で読みました。二度にわたる転院をされたとあります。食道がんは歌手桑田圭介も患い、互いに励ましていて、名古屋で公演中の桑田さんが弔意を送信したと読みました。

追悼のテレビで、長男6代目中村勘九郎と前田愛との間に生まれた孫、2歳になった七緒八ちゃんが、テレビを見ながら、もう舞台で足を踏む所作を、自然に真似ているのを放映して可愛いかった。勘九郎さんは9歳くらいになったら舞台に登らせたいといっていました。ご冥福を祈ります。