たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

ブログ開設1周年

2012年12月03日 | パソコン

心もよう ♪井上陽水

祝 ブログ開設365日目 1周年記念日です! 右サイドバーの閲覧数ごらんください。

この長い駄文に多くの方のご訪問ありがとうございます。いゃー、早いものですね。市図書館主催のブログ講習会に参加し、「ブログ開設しました」の一行をアップして、はや1年経ちました。入院期間を除き一日も欠かさずつづきました。孫が「えらいものにはまったね」と。

”つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしゅうこそものぐるほしけれ。(徒然草 つれづれなるままに-序段)

現代語訳) 退屈で手持ちぶさたであるのにまかせて、一日じゅう、すずりに向かって、心(の鏡)に映って(は消え、消えては映って)いくつまらいことを、とりとめもなくかきつらねてみると、妙に気違いじみていることだ。

「徒然草」は、僧正徹(しょうてつ)(長禄2年、1458年没79歳が、永禄3年、1431年に書写した「徒然草」(正徹本、静嘉堂文庫蔵)、これは現存している年代明記の「徒然草」のうち最古の写本とされているが、これに「兼好法師作也云々」とあり、作者が兼好法師であることは間違いない。
兼好法師の本名は、卜部兼好(うらべかねよし)京都の東、吉田の感神院に住んで吉田氏を称したことから、吉田兼好ともいう。出家後、俗名を音読して兼好(けんこう)といった。“(川上四郎著 文研出版 1981.3刊)

"「徒然草」が自然と人生との両面にわたる、兼好の随想記であることはいうまでもありません。日本の歴史の中世変動期に生きたさまざまな階層の人間と自己とを語って、いかに生きるべきかを説いた、いわば兼好の哲学論叢でさえもある。古今を通じて愛読されるゆえんである。" (監修者 佐々木八郎)


長男が高校生の頃の学習参考書を私の蔵書にしています。著者はご存知、兼好法師、吉田兼好(1282,1283?~68歳没?)ともいいます。

つれづれに、という言葉がブログタイトルの一部になりました。なんとなく気にいっていたからです。それとブログ開設2日目に「ブログタイトル」の記事、井上陽水「心もよう」 ♪ さみしさのつれづれに・・♪ です。

ネットは見るだけでなく、参加すると断然面白いですが、内容やネチケットが難しいですね。それと目が痛くなる、悪くなるのが難点です。ブログは講習会など不要で誰でも簡単に作れます。あなたもいかがですか。最近、90歳のお婆ちゃんのブログが人気のようです。2006年2月から・・、華麗な水彩画が2千点以上・・、「なにこれ珍百景」に・・だって、センスあるなぁ!参ったなぁ!さっちゃん、おばあちゃんに乾杯!