ふるさとの冬 夕方は冷え込みが厳しい
昨日、毎月定例のゴルコンペのある第二火曜日と思い込んで、勇んでゴルフ場へ行ったら誰もいない。フロント嬢が笑って今日は第一火曜日です。何と!トンボ帰りして家に居たら珍しく電話、在所の兄だった「母危篤すぐ帰れ、今朝老婆の様子がおかしい、救急車を呼ぶか思案したが大袈裟になるし、病院の救急外来へ電話しておいて自分の車で病院へきている。一番で診てくれてDr は”肺炎を起こしているし、喘息発作が激しい、症状は軽くない、このまま入院させます”という具合なのですぐ帰れ」何ということだ!
昔は電報で「ハハキトクスグカエレ」だった。タイヤがノーマルなのでどうかと聞いたら「除雪はしてあるが朝夕は凍てつくし駄目」。近くのタイヤショップへ電話し冬タイヤを予約し、葬式になってもいいように喪服なども積み込んだ。タイヤ店で冬タイヤに履き替え50,400円。事故の無いよう135kmをゆっくり帰郷した。
まず、実家へ寄り甥の嫁っ子に様子を聞いて、中へ入らずそのまま病院へ行った。病室に入ると母だけがベッドに寝ていた。兄は食事に行っているとメモが置いてあった。話しかけるが勿論反応せず、鼻に酸素チューブ、胸からはいっぱいのチューブに巻かれて枕元には、監視モニタが立ててあって緑色のランプが点滅していた。
肩で大きく息をし心臓は脈打ち、時々激しく喘息する。苦しそうだ。昨年9月同窓会で帰宅した際会ったきり。大分弱ってきていると電話で聞いていた。
私にはまだ母が健在だったのです。今日、枕元にあった病院の救急時の伝票には年齢、明治37年2月28日生107歳11ヶ月と書いてありました。後20日ほどで108歳です。
明治、大正、昭和、平成と4代を生き抜き、今日人生で初めて入院し今夜初めて病院のベッドで眠ることになったのです。名古屋から先着していた弟や実家の隣の姉等は一旦帰宅したとか、今夜くらいは親孝行しようと兄と二人で看護ることにしました。観察モニタが異常を検知し、ランプは黄色に変わり、ピーポピーポと昨夜は何度も警報が鳴ってナースさんを呼んだ。病院第二夜の今夜は穏やかに過ごせるだろうか。
翌日の今日、姉の家で甥の息子のアップルを借りてアップしました。Windowsと勝手が少し違うが何とか。今夜は私の代わりは弟が看護ります。