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日の女神の輝く国:『神話と日本人の心』を巡って(1)

2015年04月04日 | 母性社会日本
◆『神話と日本人の心』河合隼雄、岩波書店

ユング派の心理療法家として著名だった河合隼雄のこの本については母性原理と男性原理のバランス:神話と日本人の心(1)以下5回に渡るシリーズとしてすでに取り上げている。ここで再度取り上げたいと思ったのは、この本に学びながら、もう一度じっくりと『古事記』を読んでみたいと思ったからである。この本の内容を章を追って紹介しながら、著者や他の著者の関連する研究やテーマにも随時触れていくという形になるだろう。前回よりももっと長いシリーズで、しかも間隔をあけながら2年から3年かけて終わる長期戦になると思う。さっそく「序章:日の女神の輝く国」から始めたい。

《日の女神の誕生》
数多い日本の神々のなかでアマテラスは、際立った地位を占める。古代日本人が、天空に輝く日輪に女性をイメージしたのは、世界の神話のなかでもかなり特異だ。アメリカ先住民の神話を除いて、ほとんど太陽は男性神である。

イザナギは、死んだ妻を連れ戻そうと黄泉の国を訪れるが果たせず、この世に戻って身のけがれをおとそうとみそぎをし、その際にアマテラスが生まれる。彼女は父から生まれたので、母を知らない女性だ。

男女の区分と太陽と月という区分を考えるとき、男-太陽という結びつきが一般的で、女-太陽とする文化はより女性優位の文化と考えられる。しかし、そう考えるとしても、どうしてわざわざその女性が父から生まれたとするのか。女性が男の骨からつくられたとする旧約聖書と似て、男性優位を物語るともとれる。ちなみにギリシア神話のアテーナーもまた「父の娘」であった。

アマテラスは日本神話のなかで重要な位置を占めるが、その誕生においては「三はしらの貴き子」の一人として生まれ、唯一の貴い神ではない。では中心を占めるのはどの神か。この問題はのちに触れるが、ともあれ日本神話は、世界の神話のなかで特異なところと、他と大いにつながる特性とを備え、一筋縄ではいかない。この問題は、のちに詳しく検討されるだろう。

ここでさっそく、他の研究を参照しなければならないのは、太陽を女性神とするのが本当に日本とアメリカ先住民だけかという点だ。環境考古学者の安田喜憲によると、長江文明の人々は、何よりもまず太陽を崇拝した。そして重要なのは、その太陽が女神だったということだ。それは、日本のアマテラスが女神であることとどこかでつながるのかもしれないという。。漢民族の太陽神は炎帝という男神であったのだ。長江文明の、日本列島への影響について詳しくは、このブログの記事長江文明と日本を参照されたい。これは、日本文化のルーツのひとつとして無視すべきではないだろう。


《神話の意味》
続いて河合隼雄は、神話の意味について語る。ある部族が部族としてまとまりをもつためには、それに特有の物語を共有することが必要だ。その部族がどのように形成され、今後どこに向かっていくのかを物語る「神話」によって、部族の成員は自分たちのよって立つ基盤を得、ひとつの集団として存続していくことができる。「神話をなくした民族は命をなくす」と言われる所以だ。

中村雄二郎は、「科学の知」が対象を細分化し、対象への働きかけも部分的なものにするのに対し、「神話の知」の基礎にあるのは、「私たちをとりまく物事とそれから構成されている世界とを宇宙論的に濃密な意味をもったものとしてとらえたいという根源的な欲求」であるという。

「これは先祖様が300年前に植えた木だ」という「物語」は、その物語を共有する一族を「つなぎ」、その木に共通の意味や親しみを与える。木や土地の由来が共有されるとそれが「伝説」になるのだ。伝説が特定の事物や時を離れると「昔話」になる。

神話も人間にとっての物語であるが、ひとつの部族や国家との関連で、伝説や昔話より公的な意味合いをもつ。伝説や昔話が、より素朴な形で人間の深い心のはたらきを示している一方、神話は特定集団の意図が関連している。


《現代人と神話》
現代人は「神話の知」の獲得に大きな困難を感じており、それが現代人の心の問題に深く関係する。「科学の知」がつぎつぎと「神話の知」を破壊し、その喪失に伴う問題が多発するようになった。たとえば援助交際に走る思春期の少女たちの根本問題は「居場所」がないことだという。それは、現代人の「関係性の喪失の病」の一症状ともいえる。「居場所」がない少女たちが、援助交際をきっかけに街の仲間とつき合いを求めていくのだ。

「死」に関する神話も失われ、老いや死は苦痛以外なにものでもなくなる。その苦しみから逃れるには、ボケる以外にないのか。どのような民族もかつて死についての神話をもち、それによって生と死が「つながり」、生者と死者がつながっていた。

一方、自爆テロの犯人は自分の信じる神話によって救われるかも知れないが、犠牲者の苦痛は計り知れない。かつて日本でも、上から押し付けられた神話で多くの人が不幸に陥ったため、神話のもつ負の面を意識しすぎ、戦後は神話を強く否定した。が、それによって困難もかかえるようになった。

では、現代人の生き方を支えてくれる神話はないのか。キャンベルは「各個人が自分の生活に関わりのある神話的な様相を見つけていく必要があります」と述べ、解決は個人にまかされているという。集団で神話を共有した時代は、神話による支えが集団として保証されたが、その代償として個人の自由が束縛された。今われわれは、各人にふさわしい「個人神話」を見出さねばならないのである。

最後に宣伝めくが、私自身、生と死を巡って自分なりにその意味を探求し続けた。その成果としてまとめたのが『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』である。多くの臨死体験者が、体験後、人生を劇的にプラスの方向に変えてしまうことに注目して、そこに「科学の知」では割り切れない臨死体験の深い意味を探ったのである。私自身にとっての「神話の知」の復活の試みともいえるだろう。


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