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宗教で争わない日本の良さ(3)

2015年02月16日 | 相対主義の国・日本
今回は、「なぜ日本では宗教間の対立が起こりにくいのか」という問題を、本ブログの柱である「日本文化のユニークさ8項目」に沿って考えてみたい。この8項目を(1)から順にではなく、逆に(全部ではないが)たどると分かりやすいかもしれない。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

あれほど西欧の文物を崇拝し、熱心に学び、急速に吸収していったにもかかわらず、日本でのキリスト教の普及率はきわめて低かったし、今も人口の0.8パーセントを占めるにすぎない。キリスト教だけでなく、イスラム教なども含めた一神教そのものが日本では普及しない。それはなぜなのか。縄文時代以来の日本人の文化的「体質」によるというのが私の考えだ。そしてその「体質」こそが、宗教間の抗争が生まれにくい背景ともなっている。では、それはどのようなもので、なぜ現代にまで引き継がれたのか。次は三つの項目に沿って考えよう。ここは少し順番を変える。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、ほぼ一貫した言語や文化の継続があった。
(7)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

まず島国日本は、大陸からの本格的な侵略、征服を経験しなかった。民族間の熾烈な抗争を経験することなく、大帝国の一部に組み込まれることもなかった。それは日本が大陸の「普遍宗教」による一元的な支配を受けなかったということをも意味する。「普遍宗教」とはキリスト教、イスラム教、仏教、儒教などだ。もちろん日本文化は、仏教、儒教の影響は大きく受けたが、支配をともなう外部権力による押し付けではなく、自分たちの文化的「体質」に合わせて改変しながら吸収することができた。だからこそ縄文時代以来の「体質」を失わずにすんだのだ。

「普遍宗教」は、それ以前の各地域の伝統的な多神教とは対立する。伝統社会の多神教は、日本では縄文時代の信仰や神道のようなもので、大規模農業が発展する以前の小規模な農業社会か狩猟採集社会の、自然との調和の中に生きる素朴な信仰である。大陸では、それらの多神教と抗争し、あるいはそれらを抹殺しながら「普遍宗教」が成立していった。

ユーラシア大陸のほとんどの文明では、異民族の侵入や民族間の戦争、帝国の成立といった大きな変化が起こり、自然と素朴に調和した社会はほとんど破壊されてしまう。その破壊の後に、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教といった「普遍宗教」が生まれてくる。そういう「宗教」が生まれてくる条件が、日本にはなかった。それほどに幸運な地理的な環境に恵まれていたともいえる。仏教の流入時に神道との小さな抗争はあったが、やがて日本の文化的「体質」にあわせて神仏習合が行われる。

このように日本では「普遍宗教」と伝統宗教との深刻な対立・抗争がなかった。抗争がないし、「普遍宗教」の一元的支配もなかったから、社会を一律に統合する絶対的・宗教的な理念への関心も薄かった。理念や原理への関心や執着が薄ければ、それをめぐって争い合う気にもならないだろう。争うどころか融合してしまう。宗教をめぐる日本人のこうした「融合体験」や、絶対的な宗教理念への執着の薄さが、教義を振りかざした深刻な宗教的な対立ほとんど生じさせないのだ。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。その一つの理由は、縄文時代が1万年以上も続き、その心性が日本人の文化的「体質」の一部となったからだろう。もう一つの理由は、日本が大陸から適度に離れた位置にあるため異民族による侵略、強奪、虐殺やその宗教の押し付けによって、自分たちの文化が抹殺されなかったからである。だからこそ、「普遍宗教」以前の自然崇拝的な心性を、二千年以上の長きにわたって失わずに心のどこかに保ち続けることができたのである。

つまり現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、アニミズム的な傾向が、ほとんど無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教・イスラム教など一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。縄文時代からの自然崇拝的・アニミズム的「体質」が、一神教に馴染まないのだ。

一神教は、砂漠的な風土の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教だ。それは父なる神を中心に一元的な男性原理システムを構築した。一神教はまた、しばしば暴力的な攻撃性をともなって他宗教・他文化と対立・抗争を繰り返した歴史をもつ。

男性原理的な一神教に対して、それ以前の農耕社会は、一般に地母神信仰に見られるような母性原理的な傾向をもつ。母性原理は、対立・抗争ではなく、多元的なものを包含し、相互に融和する傾向をもつ。農耕以前の日本の縄文的な基層文化も、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質をもっている。

母性原理的な縄文文化とその後の稲作文化とを基盤にして長い歴史を過ごした日本人にとって、父なる神を仰ぐ一神教の異質さは際立っていた。だからこそ一神教は日本では広がり得なかった。絶対的な宗教理念への執着も薄かった。その結果、宗教相互の熾烈な争いに巻き込まれることもなかったのだ。一神教な男性原理や、他宗教とのあくなき抗争を受け入れがたいと感じる日本人の心性は、縄文時代以来の日本の地理的・歴史的な条件によるともいえるだろう。


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日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

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