12月20日(月)のつぶやき

2010年12月21日 | 風の旅人日乗
02:43 from web
えらく寒かったけど、昨日の東京湾でのセーリングも大いに収穫あり。
でも正直言うと、今の季節は南半球かハワイでのセーリングがとっても恋しい。
今日は『霧笛記念日』『シーラカンスと鰤の日』だそう。なんでまた?
04:37 from goo
人の目に触れることを意識したという意味では、大正、昭和の時代に、永井荷風はすでにブログを書いてたのだね。 #goo_compass-nishimura http://bit.ly/i0EQ2o
15:37 from web
やっと机仕事一段落。もう日が傾いている。焦って着替えてちょいと浜を走ってくる。冬至は明後日だけど、太陽が伊豆半島に沈む時間は、もうすでに夏に向かって遅くなっていってんだよね。知ってた? 夏ちゃん。知らないふりしないでさ、待ってるからね、急いで帰っておいで。
17:35 from web
穏やかな相模湾のいい日没と月出。太陽が伊豆半島に沈む瞬間を見届けて、くるりとふりむいたら、森戸神社の木立の隙間に小望月が掛かってた。明日は今日よりも1時間ばかり遅れて、月齢15.4日の満月が地球の影に入ったまま出てくるわけか。そんな訳で、肩の治療受けに病院に行く時間がなくなった。
by KazuNishimura on Twitter

無駄話

2010年12月20日 | 風の旅人日乗
さてさて、本日の仕事に掛かる前にここのところの日々の記録の整理をば。

永井荷風は、毎年年末とか、あるいは年始に、その年(あるいは前年)の日記を整理して、削除したり書き足したり、清書してたそう。
つまり、それだけ大事にして、しかも後年人の目に触れることを意識した日記だったわけだ。
人の目に触れることを意識したという意味では、大正、昭和の時代に、永井荷風はすでにブログを書いてたのだな。
でも、それを言えば、ブログ的日記は紫式部とか清少納言の時代まで遡っていく。

永井荷風の『断腸亭日乗』という日記があるお陰で、大正・昭和の時代の、東京の人たちの暮らしや習慣、使っていた単語や風俗などを知ることができる。
そういった、歴史本や教科書では欠落してしまう人間の体温を伴うディテールが、プロの文士が書いた日記には盛りだくさんに残る。

関東大震災の様子を、臨場感と恐怖感に溢れるプロフェッショナルな簡素な文章で読むこともできるし、その大地震の前に関東では不気味な小規模地震が続いていたという、科学的な分野の情報まで知ることができる。
そうそう、荷風は、その時代の新聞記者たちのボキャブラリーの貧困さや一般常識の知らなさ加減についても嘆かわしいと悲嘆し、日本語の将来を危惧している。



永井荷風にとって、自分の日記を残すことの何が最大の狙いだったのかは知らないが、
少なくとも、彼が生きた明治・大正・昭和の時代の日本・東京を感じてみたい向きには、おそらく大満足の読み物になっていると思う。

荷風らしい、ちょいとエッチな書き込みなんかも、花鳥風月を愛でる日々の記述の中に紛れていたりして、歳甲斐もなく、ちょいとドキドキさせられることもある。
たとえば、たとえば。
『妓八重福を伴ひ旅亭に帰る。この妓無毛美開、閨中○×すること、すこぶる妙』
なんてことが、引越しの忙しい最中のついでに、って感じで書き留められている。
開高健の文章を暗記するほど読んだお陰で『開』の古意は知っていたけど、実用例を見たのは初めてで、大いに感動。

こんな無駄話を書いていたお陰で、ここ数日の記録に行き着く前にブログ割り当て時間超過せし故、本日はこれにて失礼。

12月19日(日)のつぶやき

2010年12月20日 | 風の旅人日乗
07:18 from web
今日は東京湾浦賀水道航路出口南辺りの海域でリグ・チューニング予定。寒そだけど、立てたばかりのマストには最適の風に恵まれそう。
08:07 from web
昨日は保育園のお遊戯会。皆、天使のように可愛い。それぞれが、とろけるような眼差しで彼らの仕草を愛でる親たちの、溢れんばかりの愛情に包まれている。だけど、天使たちが長ずるとマザーテレサにもなれば残忍な犯罪者にもなる冷酷な現実もある。子供たち全員が幸せな大人になれる国はないものかな。
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12月17日(金)のつぶやき

2010年12月18日 | 風の旅人日乗
08:56 from web
朝一番にきれいな富士山も見られたし、今日も楽しい一日になりますよーに。
10:55 from web
豊洲でセーリング体験イベント開催要望あり。江東区水辺に親しむ教育推進組織からのお話も棚の上に上げたまま。船の科学館での催しとうまく組み合わせることできないか、一所懸命アタマ絞り中。
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12月16日(木)のつぶやき

2010年12月17日 | 風の旅人日乗
09:52 from web
昨夜は保育園から連れ帰った娘に夕飯を食わせ、空手教室へ。御本人の発案。空手そのものよりも礼儀や相手を思いやる心重視の教え方に親は好感。日本版ホクレア号で海でも同じことできないものか、空手見学後家で日本酒飲みながら夢想。夢から覚めたら仕事に集中すべき一日が、もう始まっとった。
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2010年12月15日 | 風の旅人日乗
9月のジェネカー・ジャイビングで痛めた肩がずっと思わしくないまま、それでも騙し騙し過ごしていたのだけれど、
2日前のお話会中に演台から落ちそうになったペットボトルをナイスキャッチしたときにすごい痛みが走って、
以来、常時その痛さが肩に居残り、夜中も熟睡することができなくなった。

さすがに我慢できなくなって、今日ついに病院へ。怪我をしてから3ヶ月も経っている。
肩の捻挫だと思ってください、とのこと。
痛めた後も、筋肉が落ちてしまうのが怖くて、痛いのを我慢して腕立てとか懸垂とかクロールとかを続けていたのだけれど、それは、捻挫した肩にはとんでもなくイケナイことだったらしい。

今日行った病院は、13年振り。
前回の怪我は、劇症椎間板ヘルニアというやつで、足の痛みと麻痺で車の運転もできず、バスに乗り合わせたお客さんたちに迷惑をかけながら、松葉杖で通っていた。

あの怪我では、もう現役のレーシング・セーラーとして活動するのは無理かもしれないし、正常な歩行ができなくなる恐れもある、とまで言われてたんだったな。今思えば、あのときの前途は真っ暗。
そこからなぜか全面的に回復して、今もバリバリレースに出られているし、腰の具合はその怪我をする前より良くなった。残ったダメージは身長が1cmほど低くなったくらい。診てもらっていた複数のお医者さんたちから、奇跡だね、とも言われた。ヨットレースの世界に戻りたいというパッションが勝った、ということだろうか。

今回の肩にも、奇跡的な回復をお願いしたいじょ。


今にも雨が降り出しそうな葉山にて

2010年12月13日 | 風の旅人日乗


セーリングで海に出るには最高のコンディションだった昨日は、船の科学館のフローティング会議室で、ホクレアの話。

ハワイ人にとってのホクレアの存在理由や日本への航海の意味や願いを、ナイノアがDVD(ハワイ州観光局制作)で語るのを改めて観ながら、
そしてその後、ワタクシ自身が自分の口でホクレアや太平洋の伝統航海術について話をしながら、
ホクレアの存在理由を日本の人たちに理解してもらうことの現実的な『壁』を、ドシン、と改めて感じていた。



望んでいないのに、土足でいきなり入り込んで来た他文明から、無理やり自分たちの文化を奪われた惨めさを知っているハワイの人たち。
無理やり他文明から強制されたわけではないのに、西洋文明に触れたとたんに、自ら進んで、自らの祖先たちが生み出し育んできた日本の文化の善きところまでを捨て始め、捨て続け、今現在も捨てつつある日本の人たち。

この歴史の違いを考えると、ハワイ人にとってのホクレアを、現代日本人が本質的な部分で理解できることは非常に難しい、ということに、今更ながらに思い至る。
タイガーが日本でぶち当たって越えられなかったのも、同じ壁だ。



お話会が終わったあと、東京湾を、遥か富津崎辺りの遠方まで見渡すことができる会議室で、お茶も飲まずに、
今後の予定をチームニシムラ・プロヘクトのみんなと船の科学館の担当者の方とで真剣に話し合った。
そうして電車とバスを乗り継いで、夕方葉山に帰りついたら、なんだか立っていることができなくなって、勉強机に1時間ほど突っ伏した。

しばらくは、この件から頭を切り離しておくことにする。
そうしないと、昨日の経験からすると、身体まで壊しそうだ。
この件に関して自分が悩んだところで、この件は自分の小さな頭に委ねるにはあまりに巨大すぎて、どうともできるものではない。
どっち道、今年のクリスマスの翌日には、K子ちゃんやK太郎先生とホクレア絡みのことで鎌倉でググーっと深く話さなきゃならないのだから、その数日前までは、一切このことについては考えないでおこうっと。

ということでこの先の1週間は、仕事以外の自由時間に、来年度の『セーリング体験付き海と船の博士塾』のステップアップ・カリキュラム案を提出する準備をする。こっちのほうはとても楽しい時間になりそうだ。








10年前

2010年12月12日 | 風の旅人日乗
今日は東京の船の科学館で、子供たちとそのお父さんお母さんたちにホクレアの話をする日。

その資料を作るために、ホクレア資料箱の中をあさっていたら、しわくちゃになったポジフィルムが出てきた。

それは、2001年に初めてワタクシがホクレアに乗せてもらったときに、
ステアリングやセール作業の合間に、遠慮しつつコソコソ撮らせてもらったものだ。
あの頃は、ホクレアに乗るにも、デジタルじゃなくてフィルムだったんだなあ。

ナイノアが写っていたり、いい夜明けを撮ったりしたコマは、切り抜いてマウントにして雑誌社に渡してしまい、
そっちのほうはその後、行方不明になった。
それ以外の残りのコマが、スリーブのまましわくちゃになって箱の隅にあったのだけど、
それをゴミ箱に捨てる前に光に透かして見ていたら、
ンー? この人知ってるかも!というクルーが写っていた。
それがこの写真。



現在はホクレアのキャプテンの一人であり、年明けにも進水するカウアイ島の外洋航海カヌー、ナマホエのキャプテンであり、
カウアイ短期大学の教授であるデニス・チャンの、約10年前の雄姿。
早速デニスにメールで送ったら、すぐに返事が来て、
「10年前にもう一緒にホクレアに乗っていたとはなあ。光栄だぜ。」
いえ、コチラこそ。

このときホクレアは、モロカイ島とラナイ島の間のチャンネルを抜け、マウイ島のラハイナに向かって曳航されている。
ホクレアを曳航しているエスコートボートを運転しているのは、タイガー・エスペリ。
だから、この写真のデニスの視線の先には、エスコートボートを運転している、まだ生きているタイガーの背中がある。

そのタイガーを補佐するために、ナイノアはこの日の夜が明けるずいぶん前に、ホクレアからエスコートボートに泳いで乗り移っていった。

この日は、カホオラヴェ島がアメリカ軍からハワイ人へと返還されるセレモニーが行なわれる日で、ホクレアはそれに参加する。
オアフ島のハワイカイから出航したホクレアは、
カホオラヴェ島に行く前に、セレモニーに出席できないハワイ人以外のクルーをマウイ島で降ろすために、ラハイナに向かっている。

ぼくらハワイ人以外の見習いクルーたちは、一晩中ずっとマカ先生から丁寧に、かつ厳しく、ホクレアのクルーワークを教わった。
そのマカは、今も新人たちに厳しくホクレアのクルーワークを教えている。
ぼくは最近やっとマカから新人扱いされなくなったが、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ち。

マカは、今、返還されたカホオラヴェ島に住み、アメリカ軍の何十年にも渡る爆撃訓練で破壊され尽くしたカホオラヴェの自然体系を元に戻す活動に余念がない。それに疲れたら時折ホクレアに乗りに来て、心を癒している。

ホクレアの日本来航が実現するのは、この写真を撮ってから6年後のことだった。





ボツ原稿 『頑張れ、日本』

2010年12月11日 | 風の旅人日乗
中間依頼者の勝手極まりない都合によりボツになった紙&ウエブ経済誌用原稿800字を、
このブログに来てくださる皆さんにだけは読んでいただきたくて、未練たらしくここに掲載。

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頑張れ、日本

企業研修などの場で、私が仕事としてセーリングや航海で体験してきたことのお話をする機会を時々いただきます。

四国の、あるトップ企業の、幹部候補として選出されている若い社員の皆さんが対象になっている定例研修では、
太平洋横断セーリングスピード記録に挑戦したときの経験と、
日本からアメリカスカップに挑戦した組織での経験の、二つのお話をさせていただきました。



太平洋横断記録では、まずサンフランシスコからハワイまでのセーリングスピード記録を塗り替え、
そのままハワイに寄らずに、連続してサンフランシスコ~日本間の記録更新をも狙いました。



順調なペースでセーリングを続けて日本に接近したのですが、大幅な記録更新が目の前に迫った八丈島沖で、
丸二日間の無風に見舞われました。



艇は進まないどころか、黒潮に押されて後戻り。
乗組員の誰もが記録更新に不安を覚え始めたとき、指揮官がどのようにして乗組員たちの心を束ね、
艇全体をマネージメントし、最後まで諦めず、ついには太平洋横断最短スピード記録(当時)を達成したか、
の部分では、幹部候補の皆さんが特に身を乗り出して聞き入ってくださいました。




アメリカスカップ挑戦では私は下部組織員でしたので、
組織のマネージメントがうまくいっているか否かは下から見上げたときに意外とよく見える、という体験をしました。



この話にも、皆さんとても興味を持っていただきました。

そのときに強調させていただいたことは、敗因を正確に分析できさえすれば、負けた経験は必ず勝利につながる、ということです。

日本のアメリカスカップ挑戦はその後資金調達の目処が立たず、途絶えたままです。失敗は生かされないままでいるのです。
お隣の国が、皆さんご存知の二大企業と政府が手を携えて次回のアメリカスカップ挑戦を真剣に検討中、という噂が漏れ聞こえています。



アメリカスカップはその国の技術力と国としての民度を競う場でもあります。
それに再挑戦しようと考える熱い日本企業は、ないのでしょうか?

12月10日(金)のつぶやき

2010年12月11日 | 風の旅人日乗
03:59 from web
浜まで出て、雲ひとつない空を見上げる。南への航海をイメージする。あと2時間弱でオリオン座のミンタカが真の西に沈む。それ以外は、これから数時間で仕上げなければいけない仕事頭を離れず、架空航海できず。こんなことで、日曜日ホクレアのことをちゃんと人に話せるか。不安だじょ。
06:48 from web
あかつき君、まだ元気か? 金星周回軌道突入失敗、さぞ無念だと思うぞ。削減され続ける予算の中での開発、そこから派生する理学系と工学系の軋轢もあるそうだな。でも、失敗を生かして次の成功に繋げてほしいぞ。
14:16 from web
コンピュータの高度専門技術者であるヨットのオーナー氏に瀕死のパソコンを救っていたきお昼を共にする。その最中にこちらの好意を踏みにじる失礼極まりないヨットのオーナー氏から不愉快な電話。どんな世界にも、いい人もいれば悪い人もいる、ってことだけど、楽しかった昼飯の時間を返して欲しいよ。

アメリカスカップ ホクレア サンディエゴIPA

2010年12月10日 | 風の旅人日乗
第34回アメリカスカップACRMのスタッフから電話。
道路工事中の道を歩いていた上に、相手の声が割れて聞き取りにくく、
ごめんなさい、私が何をすればいいのかを改めてメールして下さい、
と伝える。
切れ切れに聞こえたのは、開催地候補…、20箇所以上…、日本開催でのに興味を持つ人は…?、どこに連絡したら…?



なんだか、今月末に迫った次回アメリカスカップ開催地決定期限を前に、風雲急を告げるかのような迫力が伝わる電話だった。
次回アメリカスカップのコアは、かなりグツグツ煮立ってきているのだろう。


ホクレア号の航海学校開校に漕ぎつけるまでの、何年かかるか分からない長い長い道作りの道連れ参謀になってもらっているH田さんと、東京・新橋で打ち合わせ。

場所は、H田さんの経営する『新橋ドライドック』。東京近郊のビール好きには広く知られた店。

店内はいつものように混んでいたが、入り口近くの場所にスペースを見つけ、先月のニュージーランドで考えていたホクレア絡みのことについて話す。



ワタクシにとってのビールは、通常は、その後喉を通ることになっている日本酒の滑りを良くする目的で、最初に1杯だけいただく飲み物。しかしこの日は、ホクレアの話を最後まできちんと進めるために酔う訳にはいかなかったので、チビチビと飲む。

ビールをチビチビと飲むのはいくない!ビールはグーっと飲め、グーッと!というあれも食いたいこれも食いたい東海林さだお氏の主張にまったく同意する普段のワタクシなのだが、この日に限っては、上記理由でビールチビチビ飲みに徹した。

そのようにチビチビと飲んでいたら、突然、生まれて初めて、ビールの味、というものに目覚めた。
ニュージーランドで、スーパーで大量に仕入れたビールを毎日ガブガブ飲んできた直後だったこともあるのだろうが、最初に飲んだアサヒ・スーパードライの透明感に優れた味に、ナンダコレハッ! と舌が唐突に気付いたのだ。

新橋ドライドックが淹れるスーパードライは東京一だ、というビール通もいるらしいが、ビールはビールやろが、という不遜な態度を取る傾向にあったワタクシには、正直言うと興味のないことだった。



しかし、チビチビと味わうと、ここのスーパードライは、今まで知っていたつもりのスーパードライではなかったのだった。
ビールは、こういう奥深い味を隠し持った酒だったのか! という驚きでした。

2杯目以降は、サンディエゴはグリーンフラッシュ・ブリュワリー製の数種類。
このビール会社のビールは以前にもここで飲んだことがあったけど、そのときは、
サンディエゴだから、グリーンフラッシュを見る機会は確かに多いだろうから、だからグリーンフラッシュって会社名ってワケだね、いいんじゃない、という見当違いの感想を持ったのみ。

チビチビ飲みのこの夜は、このビールから立ち上がるホップの香りが、緑の木の実の上品な強い香りとして確かに感じられ、一旦グラスをテーブルに置き、気をつけ!の姿勢を取って改めてグラスを傾けた。タダモノではなかったのだよ。
サンディエゴ産のビールということで、サンディエゴのことや、昼間のアメリカスカップ電話のことを思い出したりもした。





チビチビ飲みのお陰で、ビールという新しい酒にも出会えたし、いつものようにグズグズにならずに最後まで四角いまま(酒飲みは、ヤッコ豆腐にさも似たり。はじめ四角で、あとはグズグズ)、シャープな話ができたし、帰りの電車の中でもホクレアのことをじっと一直線で考え続けることができた。


12月8日(水)のつぶやき

2010年12月09日 | 風の旅人日乗
06:39 from web
あかつきクン、意義ある仕事任されてるんだね、頑張れよ。お金が余っている時代じゃないのに、地球人みんなのためにこういう事業を地道に続けている国に生まれたこと、ちょいと自慢に思うよ。
10:33 from web (Re: @miranira
@miranira なぜ日本人が、自分たちと関係ないはずのハワイの人たちの舟なんかのことが気になってしまうのか? ワタクシも含めて、そんな疑問に答えられずにいる大人たちの姿を次世代の前にさらしつつ、もがき続けたい。そう思うのであります。
by KazuNishimura on Twitter