無駄話

2010年12月20日 | 風の旅人日乗
さてさて、本日の仕事に掛かる前にここのところの日々の記録の整理をば。

永井荷風は、毎年年末とか、あるいは年始に、その年(あるいは前年)の日記を整理して、削除したり書き足したり、清書してたそう。
つまり、それだけ大事にして、しかも後年人の目に触れることを意識した日記だったわけだ。
人の目に触れることを意識したという意味では、大正、昭和の時代に、永井荷風はすでにブログを書いてたのだな。
でも、それを言えば、ブログ的日記は紫式部とか清少納言の時代まで遡っていく。

永井荷風の『断腸亭日乗』という日記があるお陰で、大正・昭和の時代の、東京の人たちの暮らしや習慣、使っていた単語や風俗などを知ることができる。
そういった、歴史本や教科書では欠落してしまう人間の体温を伴うディテールが、プロの文士が書いた日記には盛りだくさんに残る。

関東大震災の様子を、臨場感と恐怖感に溢れるプロフェッショナルな簡素な文章で読むこともできるし、その大地震の前に関東では不気味な小規模地震が続いていたという、科学的な分野の情報まで知ることができる。
そうそう、荷風は、その時代の新聞記者たちのボキャブラリーの貧困さや一般常識の知らなさ加減についても嘆かわしいと悲嘆し、日本語の将来を危惧している。



永井荷風にとって、自分の日記を残すことの何が最大の狙いだったのかは知らないが、
少なくとも、彼が生きた明治・大正・昭和の時代の日本・東京を感じてみたい向きには、おそらく大満足の読み物になっていると思う。

荷風らしい、ちょいとエッチな書き込みなんかも、花鳥風月を愛でる日々の記述の中に紛れていたりして、歳甲斐もなく、ちょいとドキドキさせられることもある。
たとえば、たとえば。
『妓八重福を伴ひ旅亭に帰る。この妓無毛美開、閨中○×すること、すこぶる妙』
なんてことが、引越しの忙しい最中のついでに、って感じで書き留められている。
開高健の文章を暗記するほど読んだお陰で『開』の古意は知っていたけど、実用例を見たのは初めてで、大いに感動。

こんな無駄話を書いていたお陰で、ここ数日の記録に行き着く前にブログ割り当て時間超過せし故、本日はこれにて失礼。

12月19日(日)のつぶやき

2010年12月20日 | 風の旅人日乗
07:18 from web
今日は東京湾浦賀水道航路出口南辺りの海域でリグ・チューニング予定。寒そだけど、立てたばかりのマストには最適の風に恵まれそう。
08:07 from web
昨日は保育園のお遊戯会。皆、天使のように可愛い。それぞれが、とろけるような眼差しで彼らの仕草を愛でる親たちの、溢れんばかりの愛情に包まれている。だけど、天使たちが長ずるとマザーテレサにもなれば残忍な犯罪者にもなる冷酷な現実もある。子供たち全員が幸せな大人になれる国はないものかな。
by KazuNishimura on Twitter