8月17日 深川八幡本祭り

2008年08月19日 | 風の旅人日乗
3年に一度しか行なわれない、東京は門前仲町の、
富岡八幡宮の例大祭。
通称、深川八幡本祭り。

赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに
『江戸三大祭』の一つだ。
大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、
その中でも大神輿ばかりの56基が勢揃いして連合渡御する。

深川一帯は祭り気分一色になり、
東京下町衆が、3年間溜めに溜めたエネルギーが爆発する。

山本一力や宮部みゆきや杉浦日向子の、
深川下町ものの作品世界を愛する人たちには、
江戸時代の深川がいきなり現代に蘇る、たまらない世界だろう。
ぼくもたまらない。

特に祭りの後半、
クライマックスに向けて
永代橋から永代通りを八幡様に向かって神輿を担ぐときは、
あの永代通りが完全に閉鎖され、
下り車線が56基の神輿と担ぎ手と控えの担ぎ手たちで埋まり、
上り車線はそれを見ようとする観衆で埋まる。

自分で神輿を担いでいても、その光景を見ていて鳥肌が立つほどだ。

今回の「そのとき」は8月17日。

3年前、肩と腰が痛くて思うさま担げなかった反省を胸に秘めて身体を鍛え、
待ちに待った3年に一度のこの日をやっと迎えたというのに、
なんと言うことだ、ちょっと二日酔い。
理由はよく分かっている。

こども神輿を無事終えた、昨日8月16日の夕方、
深川・木場に高級マンションを買って引越す前に自分の手で内装をリフォーム中の、
友人一家を訪ねた。
30年も昔、小笠原諸島父島で、ぼくが一方的に非常にお世話になった御一家だ。

リフォーム中の室内で、軽くビールで始めた飲みだったのに、
ちょっと恐れていた通り、いつの間にか盛り上がり
本祭り前夜の門前仲町に繰り出して、
先方御家族全員が揃う大宴会になり、
楽しくて楽しくて、
翌日の使命の重さを、完全にではないが、少し忘れたのだった。

でも大丈夫。
その二日酔いは最初の一担ぎの一汗で霧消し、
この日は一日江戸人になりきって、
家族ともども、
今年の深川八幡本祭りを完璧にエンジョイすることができた。

ぼくが担がせてもらっている牡丹二・三の神輿は、
今回参加した56基の大神輿の中でも最も古い立派な神輿で、
とても重い。
その重さが、3年前はとても辛かったのに、今年は肩に心地良かった。
祭りから2日経っても両肩は真っ赤に腫れて、擦り傷にかさぶたができているが、
その痛みに顔をしかめつつも、何とも心地良い。

今年は特に、2度通る富岡八幡宮の前で、2度とも担ぐことができた。
このことが、とーっても、うれしい。

神輿が富岡八幡宮の前に来ると、
鳥居の前で各町内の神輿を迎える宮司の方たちに神輿の正面を向け、
われらの差配の笛の合図と共に神輿を一気に差し上げて、
神輿の担ぎ棒を真上に伸ばした片手で支え、
「差せ、差せ、差せ」と掛け声をかけながら、
もう一方の手で担ぎ棒をリズミカルに叩くのだが、
(この瞬間、神様が自分の背中を走り抜けていきますよ、ホント)

このときに神輿の担ぎ手でいることは、とても名誉のあることで、
昨日今日の町内の新入りは、
なかなか担がせてもらえない。
また実際の話、このような、その町内の威勢を見物衆に見せて、
一級の見得を切らなければならない大切な場所で、
特に神輿を威勢よく揉んで、カッコよく担ぐためには、
ベテランの担ぎ手勢が揃ってなければならないのだ。

事情も知らず、礼儀もわきまえないヘッポコ新入りが
この重要なポイントで無理やり担ぎに入ろうとすると、
大抵の場合、町内青年部の警備担当から引っ張り出される。

よその町内だけど、引っ張り出されまいと抵抗して、
殴られている人も見たことがあるよ。

だから今年も、このパートに関しては、
担ぎに入るのは遠慮して、
神輿の横で、控えとして掛け声をかけるだけにしていたのだけど、
毎年の町内の祭りで地道に顔を売っていたのが良かったのか、
富岡八幡に近づく前、門前仲町の交差点辺りで、
2度とも、
青年部の人たちがぼくの顔を見て、
花棒に引っ張り入れてくれたのだ。

嬉しかったなあ。
神輿を取り囲む控えの衆が、
必死で棒の隙間を見つけて、八幡様の前に神輿が着く前に
なんとか担ぎに入ろうとしている中にあって、
その人たちを入れないようにしてまで、
ぼくを選んで引っ張り込んでくれたんだよ、ホント。
嬉しいなあ。

神輿をカッコよく担ぐための戦力としても認めてくれたんだろうなあ。たぶん。
あぁ、思い出すと、今でも恍惚となるなあ。