ひとは何故、海から離れられないのか

2006年09月28日 | 風の旅人日乗
9月27日の朝、東京汐留で記者会見を終えたナイノア・トンプソン氏は、どうしてもカヌーを漕ぎたいと希望されていたそうです。
しかしその日は、あいにく朝から雨交じりの天気。
昼過ぎになると、東京品川は、前線通過に伴ってカミナリ交じりのかなり強い雨。
記者会見の当日に何でまたこんな雷雨なのかと思いきや、午後になって、なぜか雲間から日が差し始め、日が暮れるころにはすっかり雨も上がって秋の空。
その様子を、品川のオフィスの窓から眺めていましたが、スコールが去った後のような、何とも不思議な光景でした。
カヌーに乗りたいという希望が天に届いたのでしょうね。
東京海洋大学の品川キャンパス前の天王洲運河でカヌーを漕いだことを後で知りましたが、何とか仕事の合い間に駆けつけて、ナイノアさんにお会いしたかった。

さて、今日から3回に分けて、2006年のCaptain's World No.100に掲載された『海とセイリング‐ひとは何故、海から離れられないのか』を紹介したいと思います。読み応えありますよ。(text by Compass3号)

Captain's World

『海とセイリング‐ひとは何故、海から離れられないのか』

文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura

この4月、サンフランシスコから横浜まで、セーリングによる太平洋横断最短記録に挑戦するフランスの大型トリマラン艇(3胴艇)に乗って太平洋を渡ってきた。幸運なことに我々は14日と22時間という記録を作り、これまでの記録を5日近く縮めた。
ぼくは、その栄えある記録を作ったクルーの一員になることができた。しかしそのこと以上に、ヨーロッパ人クルーの中で唯一の日本人クルーとして過ごした2週間のこの航海は、日本人と海とセーリング文化について深く思いを巡らせる貴重な機会を、ぼくに与えてくれることになった。

地球上のいろんな地域で人類が進化させてきた、人類と海を繋ぐ技術文化が、現代の時代にスポーツとして引き継がれている。
セーリングである。
セーリングそのものは、人類が長い時間をかけて種の拡散と生存のために培ってきた技術と経験である。その技術を、最新の科学技術と理論によってさらに進化させながらスピードを競うのが、現代におけるセーリング競技である。
セーリング競技の世界で、最も古い歴史を持ち、そして、一般的に最も広く知られているのは、アメリカズカップである。アメリカズカップとは、そのヨットレースの優勝トロフィーの名称であると同時に、そのレースそのものの呼び名でもある。
セーリングというスポーツの歴史の深さをそのまま象徴するかのように、アメリカズカップは、地球上のあらゆるスポーツ・トロフィーの中で、最も長い歴史を持っている。

アメリカズカップの最初の争奪戦は、1851年に行なわれた。つまりアメリカズカップは150年以上の、3世紀にまたがる歴史を持つことになる。
その大会規模は回を追う毎に大きくなり、レースそのものも熾烈さを増しつづけている。カップの争奪戦が熱を帯びるにしたがって、アメリカズカップには、極めて高度なプロフェッショナリズムが導入されるようになった。艇の設計や建造には、通常の競技ヨットでは考えられないような、莫大な費用がかかる最先端の科学技術や材料が投入される。そしてそれらの艇に乗り組むクルーたちも、数年単位の長期契約で雇われるフルタイムのプロフェッショナル・セーラーで占められるようになった。
アメリカズカップに勝つための研究開発の過程で導き出された新しいセーリングの理論や技術は、ソフト、ハードを問わず、少し時間差はあるものの、一般のセーリング分野にフィードバックされ、セーリング全般の進化を推し進めている。
つまり、アメリカズカップは、最も歴史の深いセーリング競技という一面のほかに、セーリング文化にとってもうひとつの重要な側面を持っている。すなわち、アメリカズカップは、その参加艇の研究開発を通して、セーリングのメカニズムを高度なレベルで解き明かしたり、セーリング艇の性能を時代に即して引き上げていくことに貢献する、という役割も担っているのだ。言い換えれば、丸木舟から始まった人類のセーリング文化の進化を現代において牽引しているのが、アメリカズカップの、もうひとつの姿でもあるのだ。

アメリカズカップは長い間、参加する国々が、それぞれの国の造船技術の粋を集めた艇を造り、その艇にその国の国民を代表するセーラーたちが乗り組んでセーリング技術を競う、という形でレースが行なわれてきた。つまり、国と国とが、その国の海洋文化や海洋技術の優劣を競うヨットレース、とも表現することができるセーリング競技だった。
しかし最近になって、そんなアメリカズカップの性質を変えるようなルール変更が行なわれた。新しいルールでは、これまでの一世紀半と異なり、挑戦艇の設計者の国籍や、その艇に乗り組むセーラーたちの国籍が一切問わなれないことになった。さらに、かつては挑戦チームが自国内で、自国の技術を使って建造しなければならなかった挑戦艇も、どこの国で造っても構わないことになった。
このルール変更を受けて、アメリカズカップに挑戦するチームのほとんどが、世界中の国から設計者や造船技術者やセーラーを雇い入れるようになった。艇の設計者の名前や、乗っているクルーの顔触れを見るだけでは、そのチームのベースが一体どの国にあるのか、どの国からの挑戦チームなのか、皆目見当がつかないようになったのだ。
このアメリカズカップの様変わりは、古くからこの伝統のヨットレースのファンであった人たちの間では不評だ。古き良きアメリカズカップの味わいがなくなってしまったというのだ。個人的な意見を言わせてもらえるのなら、ぼくもそれに同感だ。
しかし、ルールが変わって、国籍に関する枠が取り払われた現在も、自分の国の海洋文化を背負った挑戦を意識して、自国で開発した艇、自国セーラーにこだわっているチームも、まだある。ぼくは、個人的には、そういうチームに高い存在価値を感じている。例えそれで戦力が落ちたとしても、構わないではないか、と思う。そういう、自国の海洋文化に誇りを持った上でのアメリカズカップ挑戦に、とても意義深いものを感じるのだ。

ブイを周回する短距離コースで競うアメリカズカップの歴史が始まった頃、外洋を走る大型帆船の分野では、インドの茶葉や東洋の香辛料などを積んでヨーロッパまで運ぶ、クリッパーと呼ばれる快速帆船の一番乗り争いがヨーロッパの人々の関心を集めていた。
船主にとって、そのスピード競争は、高価格で取り引きされるその年の一番荷を目指すという実質的な利益だけが目標ではなかった。大洋を渡ってヨーロッパを目指す先着争いに勝って、世界一速い船の船主としての名誉を得ることの方が、彼らにとっては重要なことだったのだ。そのために、彼らは有能で才能に溢れた設計者を雇い、優秀な造船所に高額の建造費を支払って新船を建造した。そしてその船に、評判の高い船長をライバル船から引き抜いて乗せた。

そんなクリッパーレースの伝統と精神を、現代に引き継いでいるセーリング競技がある。そのレースは、現在のレーススポンサーの名前から「ボルボ・オーシャンレース」と呼ばれている。アメリカズカップは、ブイを周回する短距離コースで競われるが、このボルボ・オーシャンレースは、地球に広がる5つの大洋が競走の舞台だ。このレースは、ヨーロッパをスタートして、世界各地の数箇所に設けられた寄港地毎にレグを分け、地球を東回りに一周して再びヨーロッパに戻ってくるコースで競われる。
『ボルボ・オープン70』というクラスのヨットがこのレースの制式艇である。この艇は、これまでのヨットのスピードの常識を覆す外洋高速艇で、これまでのヨットのスピード記録を次から次に塗り替えている。
高性能だが暴れ馬のようなこのクラスのヨットを、一般のアマチュアセーラーが操ることはほとんど不可能だ。したがってこのボルボ・オーシャンレースも、世界トップクラスのセーラーたちだけで競われている。しかも、アメリカズカップ艇には17人のクルーが乗り込むが、それとほぼ同じサイズのこのレース艇には10名のクルーしか乗ることができない。その10名だけで、夜も昼も、休みなく艇を走らせ続けなければならないのだ。
このレースでは一つのレグを走り抜けるのに2,3週間を要するが、その間ずっと、クルーたちは交代で休みを取りながら航海を続ける。セーラーたちにとって、このレースは肉体的、精神的にアメリカズカップ以上に厳しいレースである。
さらに、アメリカズカップではレース中にクルーが命を落とす危険はほとんどないが、このボルボ・オーシャンレースでは、セーラーは常に生命の危険にさらされる。特に制式艇が『ボルボ・オープン70』に定められてからは、その危険がさらに高まったといえる。実際に今年行なわれたこのレースでは、1名のクルーが海に流されて死亡し、1隻の参加艇が沈没した。
ボルボ・オーシャンレースに参加するセーラーは、トップクラスのセーリング技術と強靭な肉体を持っているだけではなく、命の危険にも立ち向かう勇敢な精神も兼ね備えていなければならない。つまりこの長距離ヨットレースは、数万年前に初めて海に乗り出していった人類たちが、かつて当たり前のように持っていたに違いない、強い精神力と身体能力を、現代に生きるセーラーたちに要求するのだ。

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2 コメント

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残念! (west)
2006-09-29 01:05:16
そんなにオフィスが近いことがわかっていれば、事前にお知らせしていました。スミマセン!
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記念写真 (Compass3号)
2006-09-29 09:38:13
みんなで肩を組んで写した写真を見せていただきました。ナイノアさん、満足そうな笑顔で、何よりです。
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