2009年夏 お伊勢参り

2009年08月21日 | 風の旅人日乗
7月中旬、逗子のMオーナーと2人で、海路を辿ってお伊勢参りの旅に出た。
梅雨前線が居座っていた遠州灘では、豪雨、向かい風、稲光の中、ひたすら神のご加護を願いながら伊勢の五ヶ所湾に向かった。

五ヶ所湾に到着した翌日。
そこまでの航海が無事に終わったお礼を込めて、朝から伊勢神宮にお参りしたその一日は、パーフェクトな一日になった。

毎年ご夫婦でお伊勢参りをしているというMオーナーにガイドをお願いして、朝一番のバスを降りておはらい町に入る。
参拝後の楽しみにすることにして、おかげ横丁は素通り。

平成二十五年の式年遷宮に備えた一連の行事はすでに始まっていて、内宮に入るために渡る宇治橋もすでに工事に入っている。
隣に架けられた仮設の橋を通って五十鈴川を渡り、境内に入る。

式年遷宮は20年に一度、正殿をはじめ橋や建物、御神体を収める船形などを新しく作り直す行事で、次回で62回目。
第一回は紀元690年に行なわれたのだそうだ。なんと1300年以上も前から連綿と続けられている行事、というか事業だ。
日本という国の歴史の古さと、祖先の偉大さを改めて思う。

京都には1200年ももっている木造建造物があるというのに、なぜ20年周期で作り変えるかというと、
「人間が世代から世代に技術を伝えていくにはこの周期でなければなければならないそうなんです」、とMオーナーが教えてくれる。

例えば、15歳のときに生まれて初めてこの事業を目の当たりにした宮大工見習いの少年が、親方から式年遷宮の工事に必要な技のイロハを学び、35歳のときに働き盛りとしてこの事業の中心プレイヤー的役割を果たし、55歳で総監督として工事全体を掌握する、と考えれば、確かに、20年周期でなければ、技術や心が正確に次の世代に伝わっていかないことが分かる。

作り直さなくても数百年はもつかもしれないけれど、それが壊れてしまったときには、それを再び作り直すために必要な数百年前の人間の技術や能力はすでに失われてしまっていて、もはや作り直すことができない、ということかな。
うーむ、何か、別の、もっと大きな、普遍的なことを暗示しているような気がする。

伊勢神宮というのは、日本中にある他のxx神宮と区別するときにだけ使う俗称で、正式には、ただ「神宮」というのが正しい、ということもMオーナーの解説で知る。すごいな、神宮、固有名詞なのか。恐らく、郵便物なども、日本国 神宮、だけで配達されるんだろうな。

まずは、Mオーナー絶対のお勧めポイントへ、ということで、五十鈴川橋という、とても姿の美しい木橋を渡り、風日祈宮(かざひのみのみや)へ。
13世紀の蒙古襲来の際に、台風をこしらえて九州に急行させ、神風を吹かせたのは、この風日祈宮に祭られている神様なのだそうだ。
台風でさえ自由に操ることができるこの神様にだけは可愛がられていたほうが、今後のためにも良かろうと判断し、多めにお賽銭も用意し、心をこめて祈る。
帰りにはこの神様のお守りも有難く頂戴した。

神宮内宮を歩いていると、こう言っては変に思われるかもしれないが、間違いなく、神が発するのか、森が発するのか、「気」を強く感じる。Mオーナーも鳥肌が立つという。
正殿の天照大神にもお参りし、そのオーラをカラダと心で存分に感じた後、いよいよおかげ横丁へ。

まずはここから行きましょう! とMオーナーが上半身を前傾させて一直線で向かった先は、おかげ横丁に入るか入らないかの所にある、カウンターのある酒屋さん。
伊勢神宮、いや「神宮」のお神酒はこの銘柄に限る、と厳しく定められているのは、灘の銘酒『白鷹』。その『白鷹』を、下々の者であるワタクシどもが、このお店で有難く試飲させていただけるのだ。

Mオーナーが「5勺にしましょうか? 1合にしましょうか?」と尋ねる。
酒豪のMオーナーらしくない弱気な質問だ。まだお昼ちょっと前、遠く関東ではうちの可愛い従業員たちが汗を流して頑張っているはず、という時間帯を気にしてのことであろう。
「1合にしましょう」と容赦なく提案する。昔の人であれば一生に一度あるかないかの貴重な旅だ。温情無用。あとさきの諸々を考えなくていいのなら、2合でも3合でもいきたいところだ。

『白鷹』は神宮様に御指名されるだけのことがあって、切れ味鋭い辛口の、潔いお酒だった。
(その後、鎌倉の、あるお蕎麦屋さんの品書きの中にこの『白鷹』の文字を偶然発見。そのときは昼ごはんとしての蕎麦だったから飲むのは我慢したけど、次の楽しみ)
そのあと、神様のお酒に癒されて神聖な酔いに抱かれた2人は、美味しいものを飲み食いしながら、おかげ横丁を2、3時間漂い歩き、最高の時を過ごしたのだった。

かつて、日本からアメリカズカップに挑戦した2つのチームの、マイナーなほうに所属して、的矢で寝泊りしながら伊勢湾で練習に励んでいたとき、休日は世間から隔離された時間を持て余していた。
あの頃何故ここに来なかったのだろうと悔やむほど、素晴らしい空間と時間をこの日伊勢神宮で堪能させていただいた。でも、若い時は、こういう雅(みやび)やかな趣味は、なかなか理解できないものなんだよね。

お伊勢からの帰りも海路を伝った。帰りの道中は、50回目の開催になるという外洋ヨットレースの2人乗り部門に参加することにしていたため、利島、江ノ島を経由して逗子に向かう。
逗子に帰るのに、利島を回ってから北上しなければならないので少し遠回りになるけど、1隻で帰るよりも周りにレース仲間たちがたくさんいるほうがなんとなく心強いし、楽しい。

約190海里、370kmの航程。自動操舵装置もないため、どちらかが怪我をして動けなくなったらマジに大変なことになるので、
「絶対に無理をせず、2人とも無事な姿で逗子に帰り着く」を合言葉に、出発。
スタート前に揚げた前帆と主帆だけで、翌日の朝、利島を回航、吹き上がってきた風に乗って大島、初島の横を通り、夕方早く、江ノ島沖のフィニッシュラインに無事到着。

そのまま逗子に戻って艇を上架して片付け、夕食を自宅でゆっくりと食べることができた。
あとで聞くと、レースの成績も良かったようで、早速お伊勢参りのご利益をいただいたと感謝する。

これで、おかげ横丁の宝くじ売り場で買ったサマージャンボが当たれば、2009年夏のお伊勢参りは完璧だったんだけど、それは欲張り過ぎ…

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