我が家の近くに創立132年の山鼻小学校があります。そんなに大きな学校ではありませんが、開拓期はこのあたりを「山鼻界隈」といわれ、高級官僚やグレイドの上の人たちが住んでいた静かな住宅街だったようです。この学校の横に植えてある樹齢100年もする赤ちゃんの手のようなもみじの葉が目にも鮮やかな深緑で歩道を被っています。
小さな看板には京都嵐山から200本の苗木の贈呈があったと記してありました。ちょうどこの辺りを行啓されていた明治天皇が一休みされたところのようで、それは大きな石碑に刻まれています。明治14年の事です。昔は天皇が通過した所やお話しをされた事を地元の人たちは光栄な事と後に記念の碑を作ったのでしょう。だからこの通りを「行啓通」と称します。
この話しを2,3ヶ月前のぼくのラジオ放送でゲスト出演してくださったSさんが紹介してくださいました。札幌市内のいたるところをぷらっと歩き、歴史を紐解き、楽しみながらウォーキングを兼ねるアルキニストとぼくが名づけたのですが、8月9日最終日を前に、いままでの5回の放送はとても興味深い話題ばかりでした。こんな歴史を持つ学校や恐らく周囲にはまばらな住宅が点在する程度の殺風景な小さな町に、天皇がやってこられたといえば上を下への大騒ぎだったと想像されます。ここにしか見られない京都のもみじも、もしかして天皇のアイデアかもしれないと想像すると、なかなか粋な計らいだったなあと勝手に思ってしまいます。
日ごろよく通る道ですが、ふと見あげた樹の鮮やかさの裏にこんなほのぼのとしたエピソードがあったのかと思うと、歴史の面白みにますます興味が湧きますね。
やさしいタイガー