先日、テレビを見ていたら、「おもてなし」を海外に輸出しようとする老舗の旅館の話しを取り上げていました。既に日本企業は、多くの海外に進出していますが、そのほとんどの目的は自社の製品を買ってもらうという基本的な部分にだけ目標が置かれています。近年ではモノが売れたらそれでよいという我田引水の姿勢では商売は成り立たなくなっています。
ところが石川県の有名な旅館の店主は中国にあるホテルの売り込みのキーワードを「おもてなし」ということにして現地の中国人に猛特訓しているのです。いったい「おもてなし」という言葉はどこからきたのか、ぼくもよくわかりませんが、どうやら茶道が源流のようです。多分お茶の心をいうのではないでしょうか。
久しく「おもてなし」という言葉を使いもしないし、聞きもしない今の世間で「おもてなし」を輸出するという発想自体は突飛な印象を受けますが、なるほど日本人は「もてなす」事を大切にして来た歴史があります。つまり相手にいかに心地よさと喜びを抱いてもらうかは、表面的な言動では通じません。
頭の上げ下げ、お客が気にいっているか、不快に思っているとしたら原因は何でどう解決すべきか、これはすべてハートの問題なのです。つまり「日本の心の輸出」なのです。どんなに身分が高くても茶室に入るには低い戸口から頭を低くして入るのが慣わしのようです。それはいかなる身分の高い人も謙虚な心を持ってお茶の真髄を味わうということではと思います。
そういえば最近頭の高い人が増えたような気がします。日本人のよさを失ったのか、その人物の人格なのか、日本人特有のモラルも低下しているような気がします。「おもてなし」という精神は、お茶に限りません。言葉遣いも態度も普段の生活の中で自らを磨く上で、多いに取り戻す精神ではないかと思いますが。
やさしいタイガー