たった一日の党首討論が終わった。じつに空しい会談だった。以前からそうだったが、 国会などの討論を聞いていても、どうしてこんなに議員たちは味気ない討論ばかりして いるのか、少しはプロの人に教えてもらったらどうかと皮肉の一つもいいたくなる。
遂に党首討論の意義はもう終わった、と告白したのだから、あきれてしまう。 国会の各種委員会も何をゴールにしているのかさえわからない討論を繰り返している。 むろん政権と与党は自分たちの法案を通したい。しかし、野党の質問に丁寧に答える 姿勢が見られず、生煮えのまま強引に扱ってしまう。
「高度プロフェッショナル」の法案も、過労死を知る人々が納得されないまま強行採決 してしまった。ぼくもおかしいと思っている一人だ。与党や一部の政党の議員を含めて 本当にわかっているのか、と聞き正したい思いさえする。与党の質問と言っても聞くに 耐えない内容だが、野党の向き合い方も今一迫力がない。
市民に変って質問をしているのだからしっかり理解するために鋭い質問してもらいたい、と 願っているのだが、限られた時間内だから仕方がないのだろうか。さらに輪をかけて不信を 募らせるのが、政権の解答姿勢だ。
政権側の官僚や大臣でさえまともに答えられず、立ち往生する場面もしばしばあり、 失望することが何度もあった。必ずしも万全を期して提案されていないにもかかわらず、 それでもすべてよしという姿勢からか、相手の質問に対してすり抜け、誤魔化し、排除 しようとする。これでは納得することはできない。
下原稿は国民目線で準備しているとは思えない。この一年、ウソの資料で論じ合う姿を 見て、まるで騙しあいの国会を見てきた気分だった。最後は数の力で法案を強行採決して しまう。これが民主主義だというのなら出直してほしい。
多数決がすべてよしとする考えは一強の思いあがりである。議員たちは誰のための政治 をしているのか、という原点を忘れているようだ。こんな醜態を見せる中で、教育では子ども たちに民主主義は何かを教えているのである。最も模範を示すべき国会が最も情けない姿を 見せるのは困ったものだ。これが日本の政治の世界なのだ。やはりここはぼくたち市民が 立ち上がるしかない。そのために議員一人一人の言動を観察して、期待にそむくような人物を 二度と国会に送らないことだろう。
やさしいタイガー
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