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戦後73年 沖縄を想う

2018-06-23 18:58:34 | 国際・政治

 6月23日が何の日であるか、沖縄の人々以外はそう多く知る人は少ないという。                                       1945年6月23日、総攻撃をかけてきた米軍の容赦ない仕打ちによって沖縄は                                          壊滅的な被害を被り、軍部は敗軍を知りつつ、市民に玉砕を命じた屈辱の日である。

 jこの日沖縄に配備された日本軍の牛島満司令官と長 勇参謀長が自決したのである。                                             「軍司令部の機能が崩壊および全軍の組織ある防衛戦闘終止で玉砕の日に相当」と                                   したことからこの日となった。軍部は市民たちを道連れにしたのである。

 本来は軍部は市民を守るべき存在であるはずが、敗戦を知って責任放棄し、なすすべを                                        失った人々は、手榴弾を渡され、力ないものには青酸カリを手渡されるという残酷な扱いを                                受けたのである。死を道連れにされた人々は不本意ながら生きるべき命を断ち切られて                                 しまった。

 今その人々は摩文仁の丘に眠っている。この日を慰霊の日にしたのは1961年                                       (昭和6年)、日本に復帰する11年も前のことである。今年も翁長知事は病身を押して                                 メッセージを伝えた。米軍基地のために県民の意志を無視して建設しようとする辺野古                                     埋め立てに反対の意を唱えていた。

 肝心の首相は困難な中に置かれる沖縄のことを無視するかのように型どおりの挨拶だった。                             政府は苦悩する沖縄に本気で寄り添うような態度を見せないままだ。まるで日本では                                 ないかのような振舞いをみていると一国の指導者として悲しく映る。

 戦後生まれが90%を越える今、時と共に人々の関心が薄れ、風化し、後世に届かなくなる                              ことに危惧しながら、自分一人の力では何も出来ないもどかしさを覚えつつも、少なくとも                                自分の心だけは風化しないように絶えず沖縄に思いを寄せていきたいと銘じているのである。

やさしいタイガー


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