ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

アマチュアカメラマンとの出会い

2012-03-29 15:43:27 | 日記・エッセイ・コラム

 今日29日は待ちに待った小春日和とでも言えばよいのか、燦々と注ぐ太陽は周りのものさえ暖かくしているような日差しで、元気が出る日和でした。歩いているとほんのりと汗がにじんでくるほどでした。

 そんな中、昨日友人から札幌コンサートホールでの演奏会のチケットをいただいたので、早速ホールに行き、演奏日を決めてきたのでした。無事5月と6月の演奏会のチケットを手にしました。

 その帰り、まだたっぷり積もっている残雪の中島公園の鴨かも川の支流でしょうか、小さな橋の下は、春の小川がさらさらと流れていました。その脇を歩いていたとき、僕より若干年下の女性が重そうなカメラを肩から提げてまるで獲物でも探すようにあちらこちらを眺めているところでした。

 ぼくはその女性に、「いいご趣味ですね」と声をかけたところ、積極的に応答してくださって写真の話を一くさり。今撮ったばかりのコマを見せてくれました。水面から飛び上がろうとする水鳥の姿が実に美しく取れていました。もう一流のカメラマンのような風情です。

 「重そうですね」というと「持ってみますか」と手に持たせてくださり、「およそ10キロはあるでしょう」とのこと。僕などとてもこんな重いもの首から提げていたら、もうぐったりして首が上がらなくなると思ったほどです。

 カメラマンいわく。「子育てをしているときに、だんだん成長する子ども抱え、いろんな荷物も持っていたあのころは、重いともなんとも思わなかったんですが、こうしてモノを持ってみると違う重みがあり、確かに疲れますね」と解説してくださったのです。数分の立ち話でしたが、お互いに名前を交換し合って分かれました。

 またいつ再会する場面があるかわかりませんが、その方、ぼくがよくこの公園に来てスケッチをするのですよ、と話すと、「だからでしょうか。どこかでお目にかかったような気がしていたのです。わたしはそのそばのベンチに座っていて、ちらちら見つめていたのを覚えていますよ」と言われ、驚きました。本当かどうかはわかりませんが、不思議に思いました。

 ちょっとした声がけ、ぼくはときどき悪い感情をもたれない程度に小さなコミュニケーションをするようにしています。もちろん誰かれなくというわけではありません。今日は僕にとってもとても気分のよい時間でした。

 帰りに図書館まで歩いていき、また数冊借りてきました。

やさしいタイガー


希望のささやき

2012-03-29 09:12:32 | 日記・エッセイ・コラム

 季節の変わり目になると、つい口ずさむ曲があります。たぶんどなたもそんな気分になるのではないでしょうか。

 さあ、春がやってくる。といっても札幌はどうやら1ヶ月以上も先で、いまはわずかに長い冬の営みを終えようとしている季節です。でも確かに季節の移ろいを感じさせてくれます。

 自然は本当にありがたい、としみじみ思います。僕はそんな時若い時代によく歌った叙情歌や童謡などが口からついで来るのです。

 たとえば「早春賦」や「花」そして外国曲で「希望のささやき」などです。いいタイトルです。「希望のささやき」。いつごろ出来たのかは調べていないのですが、日本人の津川主一という牧師をしていた作詞家が訳しているのです。じつに美しい詩であり、メロディです。

 今でも多くのコーラスをたしなむ人々の間で歌い継がれています。

 「希望のささやき」という歌詞に目を通すと、ちょうどこの季節、肌刺す風にも、厳冬のときとは違う優しさを感じたり、小川のせせらぎもぬるむようです。冷たい山もだんだんと緑が芽生えて飾っていくのでしょう。

 そんなとき自分の眠っていた心が目覚め、なんだか明日がある、といった気分になります。希望かもしれませんが、それが形になって生まれてくるのではなく、自然のすべての姿によって指し示しているような気になります。まさに「ささやくように」明るくしてくれているのでしょう。

 この曲の冒頭は「あまつ御使いのことばさながら」となっていて、まるで神の使いがあらゆるものに感謝し、いつくしむように、と豊かな自然を与えてくれているのではないか、と思うのです。具体的なものではなく、風や水や光が希望につながっている。それは神のささやきなのだと作詞家は教えてくれているのかもしれません。

 すばらしい曲です。一度お聴きいただくことをお勧めします。

やさしいタイガー