ブログ人 話の広場

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葉っぱのフレディを思い出す

2011-11-16 09:24:53 | 日記・エッセイ・コラム

 札幌の大通公園の大きな木々は、殆ど葉っぱが地上に落ちて、来春までしばらくは眠りに着くのだろうといつも思うのです。ひらひら舞い落ちる葉っぱは精一杯枝にぶら下がりながら、からからになるまでしがみついて、ついに枝から離れていくのだろう、と人の一生を一年に凝縮したようにも捉えることができます。

 レオ・バスカーリアの「葉っぱのフレディ」は命を継ぐという大人も子どもも楽しめ、考えさせられる作品で、今ではミュージカルに仕立てられ、いろんなところで上演されています。僕もこの作品を何度も読み、感動したことを憶えています。

 冬枯れの木々は、多くの人びとに春を楽しませ、夏には木陰となって憩わせ、秋には美しい着飾った姿で和ませてくれたのです。でも冬になると、自分の一生を次の世代につないでいくために、地上に落ち、静かに一生を終えるのです。しかし、それは死ではなく、新しい命の誕生へのバトンタッチなのです。

 そんなストーリーですが、何度読んでも心を洗われる思いがします。そんな目で公園の木々を見ていると、舞うように地上に降りる葉っぱの姿がなんとも愛おしく感じるのです。

 急速に寒くなってきた札幌は、それでも外の空気を楽しむために、身をかがめながらでも街中を歩き、枝だけになった大きな木々を素通りしていく人びとで賑わっているのです。

やさしいタイガー