御託専科

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山田詠美「無銭優雅」

2009-09-13 17:20:45 | 書評
たまたま、朝東京駅の本屋にふらりと立ち寄って「心中する前の心持で、つき合っていかないか?」という帯の言葉にすっと惹かれて買った。残念ながら僕には心中してくれる人はいないが、最近はなにやら死のことをちょくちょく考えるので、そのことが惹かれた根底にあったのかと思う。まあ、死を考えるといってもあんまり深刻なもんでもなく、あーあ、もう夏休みも終りだなあ、ってな感じに過ぎないんだけどね。
買って見て、あ、これは自分にとって山田詠美最初の本だ、と思い、これから入っていいのかなあ、と多少ためらいがあったが、ずいぶん面白く読んだ。

予備校講師の40男と花屋で親元でパラサイトしている40女の恋の話。大人の恋愛なんだが、それでも何というかな、セックスはあるのだけど性的な香りはあまり強くなくて子供や子犬がじゃれあっているみたいな感じが憶面もなく描写される。世間から離れたバカップルといえばそのとおりなんだが、そのことを誇示するわけでもなくかといって世間に対していじけているわけでもなく、なにやらとてもよい加減である。じゃれ方は触ったりなどの肉体的なものももちろんあるが言葉でもお互いを誉めあったり手をかえ品を変えて「すきすき」と言い合ったりしてばかりいて実に能天気。最後の方で女性の父親が死に、また男の家族のことがばれてひと悶着あるが結局もとの鞘にさっさと納まる。単なるバカップルではないのは、男は予備校の国語の教師であり、女は東京女子大の哲学出身だから、案外考えていることや会話が高度だったりする瞬間がある。下は女の独白。
「・・二人の嗜好の味方にあってくれた物理法則よ、感謝する。 うーん、物理法則って、十七世紀の科学革命期に生まれた概念よね、確か。でも知ったことじゃない。ご都合主義を極めながら、私たちはいろんな言葉を支配下に置くの。立証して行く。」
うん、これってポストモダン哲学の現代物理概念の濫用を皮肉っている話かいな、なんて思うね。

ホントに好きって感覚に従ってお互いをいたわり、あした死ぬかもと思って日々を過ごしていたらおじいちゃんおばあちゃんになっちゃった、なんていいよね、みたいな言い方を男がしているが、まあそのとおりだなあ、と思ったねえ。世間的義務とか立場を忘れてお互いを肯定できるパートナーとの世界さえあればそれでいいんだろうな。それがホント、恋愛のコアなんだろう。
そう思ってくると、より劇的な恋愛の話というのは世間的動きに(世間が強いのかあるいは本人たちが気にして)当事者が振り回されすぎるとか、あるいは当事者たちの心の病があってそれが(この小説のカップルのような平和な恋愛ではなく)激しさを高めているのかなあ、などと思う。

男女どちらも成功者ではないが、変な大人になっていないという意味において健全に育った子供。ほかの人たちも世間の背負い方でさまざま違うが皆健全な人たち。健全な人たちだけで成立している、とてもいい話であった。

追伸:ところどころ挟まれている古今東西の恋愛小説からの引用の意図はよくわからず。健全で平和な「睦みあい」の記述の中にこれらが置かれると、これらの病的な感じが際立つ気もせんでもないが・・・

追伸2:山田詠美の分はコンマが多くて息が短い。意図的? 最初は無駄に息苦しく感じた。