御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

川北稔 「砂糖の世界史」「イギリス 繁栄のあとさき」

2014-04-07 09:21:42 | 書評
標記2冊を読了。
ウォーラスティンの「近代世界システム論」から砂糖の歴史を眺め、イギリスの歴史を眺めている。自分はあんまり持ち合わせていなかった視点だけに面白かった。
細かく言うといろいろあるが、地域ごとの発展状況の差として見えるものは、それは分業ゆえである。イギリスは発展しててハイチは砂糖プランテーションばかりなのは、別にハイチが段階が低い、ということではなく世界システムの中でそのような場所に置かれてしまった、ということのようである。イギリスが高度に開発されている「のに」ではなく「故に」ハイチは低開発に留め置かれている。日本の幸運(であり一部は意図的な鎖国によるが)はこのような世界システム構築がアジアまで広がってきた17世紀以降影響を免れていたということである。
このような考察はいろいろと応用が効くと思う。ちょろっと思うのは、こういう低開発と高度化が国内の地域の違いまたは人の階層により以前からあるいは最近は生じているのかも知れない。東京に集中する富と人材、供給者としての地方とか、派遣と正社員とか。なんて言い出したら世界システムといっても要は分業理論かな。ただ、イギリスがインドの綿織物工業を文字通り暴力的に破壊したように、システムの中心者が強制力を持って自らを富ませ周辺を貧困化することもありましょう。分業のオプティミスティックな局面を強調した「繁栄」とあわせて考えると、興味深い話である。

しかし「イギリス・・」の最後のほうでは川北稔さんにがっかりしたなあ。それまでも章の節目節目で語る現在の日本や世界への示唆に少々首を傾げてはいたのだが。氏の言うことを追って僕の感想を記述すると次のとおり。

①本の最後の章の最後の方で次のように言っている。
われわれが恐れるべきは、世界に輸出し、後世に残すべき「生活文化」上の資産を日本が欠いていることである。近年の「ジェントルマン資本主義」論と「世界システム」論が教えることはまさにこうした事柄である。
←生活文化の大切さというのは「ジェントルマン・・」とか「世界・・」から出てくるわけじゃあないんだがねえ。まあとりあえず聞いておこうか。これが1995年。

②その18年後、講談社学術文庫版のあとがきにはこうある。
「舶来」は高級品の意味であり、「メイド・イン・ジャパン」は「安かろう、悪かろう」の意味だと教えられもした。それからわずは半世紀後の今日、状況は一変した。歴史の動きは、われわれが想像するよりはるかに早い。学部生でさえ、卒論の材料集めに「ちょっとヨーロッパに」出かける時代となり、ヨーロッパは無条件のモデルではなくなった。「されどフランスは遠し」と萩原朔太郎を慨嘆させた、あこがれの「芸術の都」パリの若者たちが、キタノやオタクの文化にあこがれる時代になったのである。・・・・・しかし(ある人が家族連れで半年ロンドンに住んでみたあとの子供たちの感想である)「ロンドンなんて渋谷と同じだ」という評言にはいささか気になる一面もある。・・・・彼我の文化的差異の縮小の反映である限り、特に問題はない。しかし、それが、日本人の文化的感受性の退化を意味しているのなら、望ましいことではないようにも思われる。
←18年前に言っていた問題なるものはなんだかもう解決しているかのようなのにね。確かに僕もいわゆる「失われた20年」は文化的に豊かになった20年だと思う。でもいじいじと「日本人の文化的感受性の退化」うんぬんなどという話を持ち出して、西欧文明をあくまで持ち上げようとしているみたいだね。インドの豊かな文化をほんの部分的な物まねでコピーしたイギリスと比較して日本がとやかく言われる覚えはもともとないし、パリジャンをあこがれさせるオタクを生んだ日本を誇ることができない態度にはがっかりだね。西洋コンプレックス世代のげんかいかなあ、とおもう。

てなことで。ウォーラスティンはもう少し学びたい。が、できれば川北稔さん以外の人に導いてもらいたいなあ、と思う。