御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

「浪漫的恋愛」小池真理子

2005-03-26 21:35:59 | 書評
小池真理子にははまったようだ。余りほかの本を読む気もせず、「天の刻」などを読み返したりした。今日はいい午後を過ごそうと「浪漫的恋愛」を買ってきて今読了した。
確実にうまくなっている。自然さ、身近さが「恋」などの3部作や「冬の伽藍」などよりはるかに向上している。ヒロインの母の悲劇や「月狂い」なる短編と絡み合いつつも、占いで喜んだり落胆したりするかわいらしさ、下着を買ってしまう上気した気持ち、携帯の鳴るのを待つ心境など、どれもこれも納得でき、かつ身近に感じられる描写ばかりだ。平凡な中年女性の非凡で上質な恋愛。とっても素敵な話だった。
ところで、何でこんな題名なんだろう?もともとの「月狂い」の方がよっぽどいいけど。

小池真理子「欲望」

2005-03-22 05:52:24 | 書評
これで小池真理子三部作は終り。面白かったね。どんどんうまくなっている。描写と物語にどんどん引き込まれ、昨夕読み始めて昨夜じゅうに読み終わった。
今回は不能が「支点」となっている。ただねえ、この人ファイアベント読んでるかな?不能のプレーボーイの話を知っているとちょっと現実感がね。だから、不能者の官能の深刻さを共感を持ってみることはできなかった。女性の側の感覚はなんだか納得するところがあったが。
ま、それはいいんでしょう。オペラやバレエの稚拙な物語に文句をつけてはいけないように、基本背景の瑕疵は問題ではなかろう。歌や踊りが主役なのであるから。作者はその領域に達していると思う。

小池真理子「冬の伽藍」「天の刻」「無伴奏」「恋」

2005-03-21 17:10:02 | 書評
確か先週の火曜だったか、仕事ついでに本屋に寄って冬の伽藍を買った。金曜日までにこれを読み終え、土曜に「天の刻」を買って読み終わり、日曜に「無伴奏」「恋」「欲望」を買い、前2冊を読了した。あとは「欲望」を残すのみである。
みな面白い。納得感のある人物の心理描写、ストーリーの展開、細やかな情景の描き方。「冬の伽藍」の解説で唯川めぐみが言っている「極上の女と男の小説」である。ただ、感触としては「無伴奏」「恋」に若干の生硬さがあり、「冬の伽藍」ではほぼそれがこなれ、「天の刻」では主人公たちが美男美女でさえない自在さがある。と思って奥付を見ると、無伴奏~欲望は1990-97年の作品、冬の伽藍は1999年の作品、天の刻は1998年から2000年にかけての作品集だった。歳を経るにつれ作家も熟していっているようだ。
小池真理子の顔は美人だが嫌いなタイプである。しかし悔しいことにその才能は本物だ。「冬の伽藍」のラストシーンはあらゆる小説の中でも屈指の美しくいとしい情景である。誰か映画にしてくれないものか。完全な映画化が難しければ朗読劇のようなものに仕上がらないだろうか。
さて、忘れぬうちにヒロインぐらいは書いておこう。
冬の伽藍:悠子、義彦、英二郎、聡美
天の刻:
 月を見に行く:三輪子
 蝋燭亭;   由岐子
 天の刻:   蕗子
 襞のまどろみ:多恵
 堕ちてゆく: なっちゃん
 無心な果実: 多美
無伴奏:    響子、渉、佑之助、エマ、勢津子
恋:      布美子、信太郎、雛子、大久保

あと、無伴奏と恋が生硬と思った理由を書いておく。無伴奏では渉と佑之助の同性愛、恋では信太郎と雛子の近親相姦がそれぞれ重大な意味を持つ禁忌の侵犯として描かれていた。率直に言ってその扱いはやや大げさな印象がある。今の世の中、ということもあるが、それ以上に小説世界ではすでに禁忌ではなくなったことがやや後生大事に扱われすぎているかもしれないと思う。
冬の伽藍ではそうした禁忌の役割を美冬のひそかな淫乱さと義彦のけじめのつけ方に負わせている。それはずいぶんな進歩だと思うが、ただもう少し納得がゆく形がほしい。美冬はなぜ自ら縊れ死んだのか、義彦は本当は何にこだわっていたのか。ま、問わぬがよいのかもしれないが。



「介護地獄アメリカ」大津和夫

2005-03-15 17:52:38 | 書評
介護、医療、貧者保護、高齢者差別、につきアメリカの現状を探っている。表題は第一の介護のみに焦点を当てた形。
どれもみな日本でもすんなりできている分野ではないので参考になった。要はアメリカはこのあたりは後進国のようだ。アメリカで福祉、弱者保護の思想が弱いのは自己責任原則の裏返しなんだろう。しかしこの本に出てくる例を読んでいると、自己責任原則なるものは全くフィクションだと思う。貧困黒人家庭の子と富裕白人家庭の子が持つ差は生まれた瞬間から大きく、歳が経つにつれ極端に大きくなる。自己責任原則の裏には機会均等と「資質均等」の原則が必要だ。前者はよく言われるが後者は言われないね。ま、どっちにしろフィクションだけど。
福祉先進国ではなく後進国に焦点を当てた着眼は大変面白い。ただ、まだ取材ノートの域を出てないのではないかな。これに日本の現状や他国の現状を取り入れて消化し、更に正義・公正・平等といった思想的背景の彫りこみをすれば陰影のある重厚な論考になるように思う。
多分数年内に著者は書きたくなるのでは。

メディアを支配する?

2005-03-08 19:27:53 | 時評・論評
ホリエモンの活躍で資本市場はかなり世で有名になったものだ。株はトレードするもの(博打)か経済・企業の発展により上昇したり下落したりするもの(「有価」証券)というだけでなく会社を支配するもの(支配証券)であることが世にこれだけ認識されたこともあるまい。その点では結果的には功績大である。
ただ、一連の報道で無批判に使われている「メディアを支配する」という言い方はちょっと気になる。松下を買収したら「家電を支配」したことになるのかな?そんなわけはない。市場を支配できるかどうかはその会社の腕にかかっているのである。正確には「メディアを業とする会社を支配する」のである。更に言うとに、株主であるというだけで会社を支配できるかどうかははなはだ疑問である。特にメディア会社は言説を中心とする発信情報が商品である。言説の「ステークホールダー」は通常の商品以上に複雑で多様である。そうであれば株主が支配しているという擬制は怪しい。かつて鹿内家はフジ・サンケイグループを「支配」していたらしいが、その「支配」の実効性はどんなもんだったんだろう。グループの言説そのものを「支配」できたとはとても思われないが。
そんなこと考えていると、ホリエモンは何でこんなことをおっぱじめたのかという最初からの疑問に戻る。大したメリットもない話に大博打を打つことはなかろうに。どこかで認識を間違ってここまで進んでしまって後に引けなくなったのかな?かわいい女の子に「フジテレビのアナウンサーが好きなんなら会社買っちゃえばいいじゃん」とか言われて「そうだな」って乗ったのかな。娼婦にせがまれ町に火を放ったアレクサンダー大王みたいだね。ま、大王は反省しただけで火の粉はかぶらなかったけど。

市場を語る卑しき人々

2005-03-06 16:42:17 | 時評・論評
言説に有用性か覚悟のどちらかがなければ雑談に過ぎない。雑談に過ぎないものを雑談以上のものと思っている人たちは卑しい。
何のことを言っているかといえば、市場を語る人々のこと。市場で稼ぐつもりもなければ市場を手がかりに世の問題を掘り起こす勇気も自覚も意思もなく、市場を手がかりに世を語る。お前はいったい何様だ。稼いでこい、思い切りぶつかれ。言説の高貴さは勇気の量で決まるのだ。卑しさは勇気のなさに比例するのだ。当たり前のことだ。

「文脈病」 斉藤環 ほんの一部

2005-03-06 16:37:27 | 書評
うーん、この本最後まで読まないかもしれないな。でも面白い部分はとても面白い。
「メディアセックス」が二重の書物であること、つまり表面的にはサブリミナルを問題にしつつ、サブリミナル的にはそんなモンあてにならない、という仕掛けがある本であこと。
有名なポップコーンとコーラの実験がでたらめであること。メディアは自らの影響力を常に過大に評価するからこそその影響力への自主制約の問題を論じてしまうこと。などなど。

ただ、宮崎駿を論じた「運動の倫理」は同意できない、というよりちょっとこりすぎで一面的だとしか思われない。フッサールの世界I,II,IIIの区分があまりに恣意的と感じられたのと同じ感覚である。

拾い読みすればよいかな。ベイトソンの読み忘れも思い出させてくれたし、上記のような有用な指摘もある。

「教養としての<まんが・アニメ>」

2005-03-03 12:41:35 | 書評
大塚英志+ササキバラ・ゴウ

面白かった。僕自身は漫画・アニメへの造詣は深くないが、全体的歴史を俯瞰できた。

手塚治虫
・手塚漫画は「うまい」のだと思っていたが、むしろ「記号化」にポイントを置いていて面白かった。昔ミケランジェロの絵をみて手塚を思い出し、共通点を「うまい」でくくったが、実はミケランジェロも「記号化」という要素があったのかな。ちょっと結論は先延ばし。
・アトムが粗製濫造アニメとは初めて知った。
梶原一騎
・いわゆる成長物語(教養小説)の類、というまとめはいいと思う。
吾妻ひでお
・この人は未来を既視していたのかもしれない。ルーズソックス、不条理、バーチャルと現実の混在、かわいいギャル。偉大だ。研究余地あり。
石ノ森正太郎
・この人の前衛性を初めて知った。

うん、読みが浅いかな。原典あたってまた読もう。