御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

「千年の愉楽」中上健次

2009-06-15 06:49:27 | 書評
6篇の「中本の一統」の物語。解説が吉本隆明と江藤淳、挿絵が横尾忠則とはまあ豪華な顔ぶれである。オリュウノオバハは路地の産婆という人物でありつつかつ路地を、中本の一統を讃じまた嘆じる精霊でもあろう。語られる物語は現実と異界を行き来し、また決して当たり前の倫理観で律せられてはいない。江藤のいうとおり、今昔物語やギリシャ神話のような不思議をそのままとする素朴にして骨太な話たちである。
不倫も泥棒も人殺しもしかるべき人間のしかるべき所作なら問題ではない、というのはいかにも超人思想的ではあるが、そういってしまうと何かつまらぬ。もちろん、江藤の言うように序列の根源が能力でもなく徳でもなく偏に血にあるというのが路地でありまた日本である点において、貴種崇拝思想と超人思想は綺麗に重なるわけなのだが、それが特権でもなく義務でもなく、悲劇として生きられてゆく、それが路地の人々そのほかとの濃密な交わりの中で演じられてゆくところがすばらしい。

さて、てなことをいっても始まらないかな。ギリシャ神話や今昔物語のように、語りに耳を傾けるのが一番だろう。何度か読み直すうちにまた何かが啓けて着そうな気がする話である。

「枯木灘」中上健次

2009-06-11 07:02:06 | 書評
前は容易に挫折してしまったが最近本を丁寧に読むせいかしっかりと頭に入った。
驚いたのは、僕はこの世界を知っている、と感じたことだ。

昔の話を昨日のように繰り返したりあることないことを語ったりするおばさん。それと本気で話したり合わせたり反発したりする親族たち。親戚のあちこちで商売がうまくいったりいかなかったりする、大企業や役所の勤め人なぞ居ない。うまくやった連中は大きな顔を平気でする。大勢で酔っ払う。昔の家の格を持ち出して威張ったりけなされたり。対立と嫉妬、名誉と恥への過敏さ、それが生じさせるわずかなことでの反目。しかしもちろん、それらを包み込む大きな親愛があるようにも思われた。いや、というよりも、血から・家からの逃れられなさが全員を捉えていたか。こうした中で、噂や物語と事実が渾然となった精神世界がそれぞれの中に形成されていたように思う。表立った激しい暴力こそなかったが、後妻での嫁入りなども多くあり小説内の話と同じぐらい血縁は複雑化している。

父や母は間違いなくこうした世界からやってきてそれからつかず離れず暮らしてきた人間である。僕は地元に居たころはその中に引きずりこまれそうな感覚に戸惑い、おじ・おばやいとこたちとの交わりにはやや及び腰であった。というより、その粘着感と論理性のなさを恐れまた嫌い、強く反発していたといえよう。父とおじでやっていた会社が健在であればいやおうなく巻き込まれた世界なのだろうが。親離れとか子離れとか言うが、こういう世界ではそんなことは起きない。親はいつまでも親で子はいつまでも子である。独立した個人とは自由だが孤独な世界のものであり、そのような世界は血縁の精神世界の外にあるのだ。

さて、本に戻ろうか(笑)。それにしても濃い本だ。著者の書き方が不親切な面もあるが、中身が濃いので結構丁寧に読まないといけない。秋幸の血統をめぐる、実父龍造へのこだわりと反発を軸に話は進むが、女郎に売られて家族を救ったユキ、都合5人の子をなした秋幸の母フサ、嫁ぎ先の兄弟間での殺人事件で気がふれた美穂、その娘で16歳で妊娠した美智子、昔自殺した兄の郁男、ユキを身請けしたユキの弟の仁一郎、彼らの弟にして秋幸の義父の繁蔵、その子で秋幸の義理の兄の文昭、仁一郎の妾腹の子の徹などなど、いったい誰が主役なのかもわからぬほど個性が強くあくの強い面々が登場する。いや、実は主役は秋幸じゃあなくて秋幸を含む路地の人々ということなのだろう。そのように素直に読めた。そしてその空気は、僕が地元に居たころ、恐る恐るながら近くで吸っていた空気である。

あれこれの評論で言われているようなことは正直言って机上の空論に見える。この空気がしみるかどうかということではなかろうか、と思う。

また読み直すことがあるだろう。僕はこの空気は好きだ。

「5分後の世界」村上龍

2009-06-03 22:21:40 | 書評
村上龍読み直し第二弾。
これは良かった。オープンで自己主張がちゃんとできるがストイックな規律に生きるアンダーグラウンドの日本人たちはカッコいい。特に兵士たちにはこれに「べらぼうに強い」が加わって最高である。著者の記述する切れ長一重瞼のストイックな顔をした若い男をついつい探している自分に苦笑してしまう。もちろんそういう趣味はないが。
日本人であることだけでそれが誇らしく感じられる生き方、行(ぎょう)としてすべての瞬間を生きる充実と清々しさは素晴らしい。なにか自分でもその片鱗を生きたいと思わせるものがある。
それにしても村上龍の戦闘場面やワカマツのコンサートの場面の記述は実にリアルで生き生きとしている。そのまま映画の場面になるのではなかろうか。その一方で今回は性的悪趣味やグロテスクなものはほとんどないに等しかった。それで僕も消化しやすかったと思う。あと書きで本人はヴィジョンが見えてそれを書いた、というようなことを言っていたし、自分としては傑作だとも言っていた。確かにそのような作品だと思う。