御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

ハッピー・リタイアメント

2011-08-28 18:43:46 | 書評
非常におもしろかった。公的な信用保証機構に配置された自衛隊出身と財務省出身の56歳の親父が、庶務のおばさん/姉ちゃんと組んで債務の回収をはかり、これが案外にべらぼうな金を稼ぐ、という話である。公的な信用保証機構は天下りのパラダイスで、仕事をしない人を集めている。いや、仕事をさせないというべきか。その中でも主人公たちが属する「整理部」は、時効の過ぎた債権を管理する部署である。本来は何もしなくてもよいのだが、(法的には義務は無いが)道義的責任を感じて返す気は無いかどうかを債務者に確認して回り始める。最初に財務省出身者が回った作家(これは浅田自身がモデル)のところでは、もともとの債務400万円の債務に対して1千万円が返ってきた。これで調子に乗り、軽井沢在住のセレブのオピニオンリーダーのばあさん、いまはステーキチェーンのオーナーに収まっているエネルギッシュ親父などから回収をしてゆく。中にはいまの暮らしがかつかつの男もいたが、境遇に同情した自衛隊出身が置いた香典(母親の霊前)で大穴馬券を買い、億を超える返済をするという例もあった。ポイントは、多くの人々は迫られたわけではなく、過去の穢れを禊するべく、むしろ喜んで支払っている、或いは喜捨しているということ。
ということで3億を超える金を集めた三人だが、たくらみと行動は機構を支配する元財務官僚であり悪人の矢島の知るところとなり、三人はかねてのとおり海外高飛びを決行する。矢島および機構側は説得と抱き込みを計画したが、彼らは頑として応じず、辞表をたたきつけて高飛びする。しかしここでどんでん返し。海外口座への送金を頼んだばあさんが見事に金を我が物とし、モナコに飛んで若い男と暮らし始めた。3人組は予定通りハレクラニで集合。姉ちゃんは見事にやられたことを話したがったが、親父二人は機先を制してシャンペンを抜かせ、「ハッピー・リタイアメント!」と唱和した。親父たちには覚悟が出来ていた。金が手に入らなくても働きゃあいいんだと。「ハッピー・リタイアメント!」は汚れた世界から決別する自分への祝福であり、またこれからのすがすがしい人生へのエールでもあるのだ。

話の中では背景としての官僚機構の腐った様子が克明に、また実に面白おかしく描かれている。が、それ自身はテーマではない。むしろ本題は「天網恢恢にして洩らさず」ということだ。お天道様は見ているのだ。
この点においては最後の勝間和代の解説はまったくぼけている。浅田さん、こんなのに解説させないでくださいよ、といいたくなるね。せっかくの読後感に水をさした。
あと、これは浅田さんの小説にやや共通するのだが、後半、終わりのほうになってやや材料が多く消化不良気味になる感じがある。この本で言えば露見して以降の動きをもう少し丁寧に書いてもらえればよかったかなあと思うね。特にばあさんが愛人とモナコで過ごすところについては、愛人の目からでなくばあさんの目からの語りにすればよかったと思う。ま、ナポリの特有の徳性を紹介するには愛人の側から語るほうが好都合ではあるが。

などと少々文句を言ったが、浅田次郎氏は見直した。今後少々よんでみようと思う。 

桐野夏生「メタボラ」

2011-08-21 23:34:17 | 書評
カバーにある「底辺に生きる若者たちの生態を克明に描き、なお清新な余韻を残す傑作ロードノベル」というのはなかなかよい要約だ。「グロテスク」の女性同士の陰湿な鞘当や中国奥地からの不法入国者の生態、「Out」の死体面などもすごかったが、そういうディテルの書き込みはここでもすばらしい。
主人公が記憶を失ったまま失踪する沖縄の森の中の様子、その闇で感じる主人公の恐怖、若者のカリスマの様子と実態、半導体工場の実態、ホストクラブの様子などなど、これらのディテールが一つ一つおもしろく、あとで拾い読みしてもまた楽しめる小説となっている。
全体としてはどうかなあ。若者の多様さと救われなさが印象的といえば印象的。またホストまでやっていしまっている女たらしの昭光(ジェイク)の底抜けの楽天と純情が印象に残ったかな。でも話は記憶喪失からの回復の話やその原因でもある主人公の経験した家族崩壊の話、墓石屋の話やホストクラブ、半導体工場、若者宿の話などが混在していて盛りだくさんだがやや焦点ボケだったような。「グロテスク」や「Out」の筋の通った感じは少々薄いね。ま、それはそれでこの小説の味ではある。
なお、カバーにある「非情な社会のヒエラルキー」に若者たちの安住の地が見つからない、云々というのは的外れだな。どういう意図かは知らないが、作者は主人公たちを多少うかつな人物として描いている。「そりゃひどい目に遭いたくなければ、あるいは落ちこぼれないようにするためには多少は用心してかからなきゃあね」と普通に言いたくなるような場面は結構あるぞ。

福冨健一「重光葵 連合軍に最も恐れられた男」

2011-08-21 12:32:21 | 書評
終戦記念日前後の読書として買った。この時代の外交に関しては岡崎久彦氏の「東郷・重光とその時代」という名著があったことをあとで思い出したが、この本はこの本で重光の剛毅な様子をよく知ることが出来てよい本だった。
まっとうな見解を持ち、それを実現させるべくぶれず正直に剛毅に物事を進める。小細工をしない。とても気持ちがよい仕事の進め方である。大東亜会議の実現など現時点でもっと見直しが入ってもよいような話だと思う。戦後の吉田軽武装ドクトリンからの修正をもくろんでいた点も含め、あれこれ現在を照らす視座を提供する。

それにしても正直言ってうらやましいと思ったね。重光はエリートであり、戦前も戦後も常に一定の活躍の場を与えられている。そこが傍流を走ったため猟官をしたり鳩山と裏切りの約束をした吉田とは大きく違う。小生の社会人生活は、剛毅に過ごせば常にぶつかるし、また多くの場合剛毅に過ごすために力を入れようとしてもなかなかフルスイングが出来ない砂地や泥地に悩まされた感がある。このあと書く「メタボラ」の若者なんかもはるかにひどいよね。フルスイングできる環境を整えるのも力量のうち、といわれればそれまでだが、少々思うところはある。