御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

増田ユリヤ「家族で選ぶインターナショナルスクールガイド」

2005-06-22 13:17:16 | 書評
一応いわゆるガイド本であり、後ろ3分の1は学校のリストである。また記事は親と学校へのしっかりした取材に裏打ちされている。
とはいえ、おもねる軽薄な言い方はほとんどない。むしろ作者の本音は安易な英語志向と日本の学校への偏見を持つ人々への警鐘ではないかと思われた。終章の「インターナショナルスクールに学ぶ事」にかなりはっきりと現れている。曰く
・英語を除けばインターナショナルスクールで行われている教育に目新しい物はない。
・評判の悪い「総合的な学習の時間」は、実はまさにインターナショナルスクールで行われていることである。
・ただ、IBを典型として、そういう授業のための体系的仕組みというか、マニュアルがある事がインターナショナルスクールの強みである。
などなど。このあたりが本心のように思われた。
取材先への配慮等もあり難しい点もあるかもしれないが、筆者の価値観を前面に打ち出した次作を望みたい。

派生して思うのは、英語コンプレックスの根深さである。それはどこから来るのか?思うに、日本語と日本人である事に対するゆったりとした自信があれば、英語にも「海外のやり方」にも中立で必要に応じた対応ができるのだろう。つまり、自らのあり方に対する自信の欠如が英語ブームの背景にあるのではなかろうか。個人的には海外かぶれは大嫌いだが、その理由は海外が嫌いなのではなく、海外の威を借りる卑しさが嫌いである。「みんな、もっと自信を持とうじゃないか!」っていいたくなるな。形態はともかく、自らの文化を知り誇りを感じる機会がもっと必要なのかもしれない。大人も子供も。

「患者力」 南淵明宏

2005-06-19 22:27:54 | 書評
車や家を買うときのように、疑問を一つ一つ明らかにして、納得した上で医療サービスを購入しよう、というのが趣旨。当たり前といえば当たり前なんだけど、その当たり前を迫力を持ってこなしている人々の実例を見るにつけ、また医師である筆者の激励を見るにつけ、万一のときには頑張ろうと思う。
といっても、けっこうむつかしんだよなあ、入院してての自己主張。脳卒中のときに思ったが、結局こっちは寝そべっているというハンディは大きいね。外来と違い、話を切り上げて立ち去る権利は圧倒的に相手側に握られている。その中でけっこう騒いだわけだが、どこまでの結果が出たというのかな。看護婦だって医者の手先みたいなのもいるしね。
と、著者に言うと多分「ああそうなんですか・・」と拍子抜けするほど素直な反応が返ってくるに違いない。いい人だと思う。

菅野覚明「武士道の逆襲」

2005-06-15 19:59:16 | 書評
読了後間が空いたのでやや印象が薄れまた変形しているかもしれないが書いておく。
・世でいう武士道とは本来の武士道とはかけ離れたものである。
・それは明治のまさに本来の武士道が衰退していった時期に、国民国家としての統合倫理の要請や対外的な固有性主張の必要から「作られた」ものである。
・では本来の武士道とはなにか。乱世の中で暴力に囲まれつつ、集団として勝ち延びてゆく者たちが身につけてきた処世術であり覚悟の持ち方であり関係の持ち方である。それはたとえば、主君が戦場で死んだ場合にその首を雑兵に持ち去られる不名誉を生じさせないために、主君の顔の皮を剥ぐ剥ぎ方を知る、といったすさまじくかつ実務的な方法論さえ含んだものである。
・そのような原始的な荒々しい迫力を秘めた体系が本来の武士道である。ただ潔い死を求めるとの解釈は明らかに後世のものである。

てなところかな。面白いがまとめにくい本ではある。いちいちのエピソード等がとても面白く、あまり一般論にするとそれこそ原始的迫力を失ってしまう。「道」の類は本来そういうものだろう。その「道」を文書化して伝えるにおいてはかなり成功している本だと思う。

上場廃止基準論議の虚妄

2005-06-14 09:01:27 | 時評・論評
14日の日経によれば、金融庁は東証・大証に上場廃止基準の緩和を求め、東証は拒否、大証は企業統治・法令順守状況の改善次第では、と前向きの対応を示したようだ。この論議はカネボウの上場廃止を機としたものには違いない。それが東証の上場問題に絡めて浮上してきたということだろう。
 しかし、上場廃止問題は入り口から間違っているように思う。上場廃止で一番困るのは、市場で処分ができなくなる投資家である。経営者がとんでもないことをしていたことが発覚したことにより、だまされていた投資家が処分不能になる(したがって早めに処分する→値下がりする)という被害を受けてもいいものだろうか?いったん上場され持ち主が分散してしまうと、本来は少々の理由では上場廃止をすべきではないのである。「この銘柄は監査報告が意見留保である」とか「この会社の経営陣は過去こんなうそをついたことがある」といったことを開示した上で取引を継続するのがよい。
 カネボウの前の西武鉄道の際は会社の対応も悪く東証を怒らせたため廃止が確定した要素もあるやに聞いたが、この場合の「会社」とは経営陣である。その一方で会社の持ち主である株主の声はほとんど反映されなかった。損害を受けたら株主代表訴訟でもしろということなのか。
 ともあれ、本当の被害者・犠牲者がどこにあるのかがまったくだれもわかっていないで論議しているかのように見える。東証も金融庁も馬鹿ではなかろうか?

渡邉 美樹 「さあ、学校をはじめよう」

2005-06-11 08:23:28 | 書評
ワタミ創業者が学校を買い取って運営した経験談である。
まずは序文を書いている校長の小林節さんには驚いた。ちょうちん記事を書く記者なみの序文を書いておいて、最後に
「2004年9月27日 アメリカ合衆国ワシントンDC 
ホワイトハウスからの会合から戻って
キャピトル・ヒルのホテルにて  小林 節」
などときたもんだ。いまどきこんな形で自分の重要性を誇示したがる精神の持ち主がいるとは思わなかった。そしてワタミ氏の本文が始まったらすぐに「カンボジアの子達がすばらしい」などとのたまう。カンボジアの子達が示す類の輝きは、実は悲惨の泥池の蓮の花であることをご存じないのか?そんなことを言うなら日本で内戦でもおっぱじめればよい。20年後の10歳児は多分輝く目で知識と富と社会的役割への熱い思いを語るだろう。ただし、彼らの半分は孤児か片親だろう、きっと。
今の日本の問題はそういうことではなく、むしろ豊かさのトップランナーのひとつとしてどのように「価値」とか「意味」とか、さらに「夢」とかを再構築してゆくか、ということなんだよ、と、気分的にはちょっとうんざり。

とまあ批判的気分での読み込みとなったが、予想外に面白かった。教育論としてではなく、組織の再活性の実例として読めばとても面白い。「荒れた」というよりも「だれた」学校をいかに再活性化するかということだ。最低限の規律の徹底(挨拶や掃除)、組織の目的の明確化(東大合格20人、夢を語れる生徒輩出)、各人の機能の再定義(教師はよりよく教えるために存在する)、メリハリのある評価と賞罰の導入、といったことは多くの組織に当てはまる普遍的な方法のようだ。
 もちろん、そうしたことを妥協なく行えるためには権力の保持が必要だし、それに加えて毅然たる精神を持つ、迷いのない存在が必要だろう。この例の場合その精神の持ち主は小林氏でありワタミ氏であった。

疑問・批判を並べておく。
・ワタミ氏の損益・キャッシュフロー関係の説明:あいまいというか間違っていると思われる点もある。「償却負担がなくなるからその分で借金が返せる」←償却はキャッシュフローではない!
「生徒の研修に使うことでホテル施設の低稼働問題は解消した」←稼働率は上がるが、生徒からかなりお金を取らないと収支改善には結びつかない。などなど。
・確信した人たちの独善:ワタミ氏も小林氏も勝ち組で確信を持って人生を振り返っていると思う。そういう人の善意の独善も感じられる。特に小林氏の授業干渉の仕方はやりすぎである。10のうち8は正当な干渉であっても、不当あるいは論議の余地のある干渉が2割あれば干渉全体が否定されかねない。前の体制の悪い記憶が残っている中で初期の熱気が立ち込めている現状ではあまり反発もなかろうが、「前よりはまし」という思いが徐々に薄れて行く中で、今後は真っ当なものも含め反発がありうるのではなかろうか。権力と確信を持った人のパワーが学校を変えたのは認めるが、その後の治世はまた別物かもしれない。
・持続性:今言ったことと一緒だが、テンションをある程度下げて巡航速度に入った状態での持続可能性をやや疑う。
・「夢教育」への疑問:やはり「夢」およびその「必要性」については疑問を禁じえない。僕は、元「やりたいことがわからなかった若者」である。「夢」とか「やりたいこと」を特定できない人間がダメ人間であるという空気の中で居心地悪く暮した覚えがある。そう思って、夢があるという人に夢を聞くとたいしたもんでもなく、「何でそれが夢なの?」と何回か重ねて聞くと怒り始める。という経験をした。夢なんて弱い人間のつっかい棒かもしれないと思う。「夢」でなく「目標」といってもらうとちょっと納得するのだが。

とまあ、あれこれ文句を言ったが、全体としてはとてもいいことなのだろう。こういう人がたくさん出れば、ビジネス・商売への評価が肥大化した現代の風潮は多様化に向かい、よりすみよく知的な世界になってゆくだろう。
「成功者よ、「夢」をおこなえ」だな。「Successers be ambitious」かな。

「ブームはどう始まりどう終わるのか」中川右介

2005-06-01 06:58:14 | 書評
クラシックカメラブームの渦中で潤い、傷を負った当事者(雑誌編集者)の話。さすが雑誌の編集者だけあってまとめ方が大変整理されている。
ブームは仕掛けられるのではなく発見されるということ、ブームには教祖が必要で、「実務的」には2人だと助かるということ(対談記事が作れる)、ブームには聖地が必要であること、ブームの加熱自体が記事の質の低下(同じ人ばかりが取り上げられる)や復刻版のようなけったいなものを作り出す誘引を作る、などなど。
それ以上に、中古品の意味が少しわかった気がする。確かに中古品はもう作られていないのだ。そしてさまざまな人の手を経て唯一性を一つ一つが獲得しているのだ。それに凝ろう、という気持ちもほんとよくわかった。
物趣味の骨頂はどうやら(絵画等も含め)骨董にあるらしい。