御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

現代美術とファッションと言論のこと

2011-01-10 20:39:26 | 時評・論評
これはまだぼんやりしたアイデア。大学時代にミクロマクロ金融など一応みっちりやった小生から見ると、90年代半ば以降のちゃちなマネタリズムや乱暴な新自由主義は噴飯物としか見えずいずれ正されると思っていたら金融危機までなんと20年も続いちゃった。金融危機で多少修正されつつあるが、中央銀行に間接的に実物投資させるなんて荒業やってるんだからまあ聞いてあきれる。先進国に需要の伸びはないのだ、伸びのない中でいかに気持ちよく生きてゆくかが最大の課題である。なんて正論がまったく通じない。
で、もうあきらめていたんだけど、最近村上隆の言う現代美術の文脈の形成のされ方とこうした経済の言論というのが案外似た要素を持っているのかと気が付いた。いや、単なる気まぐれな移り変わりというわけではなくある種の創造された需要がありそれに対応する、或いはそれを仕掛ける仕掛け人がいて、その中で言説なり作品が浮遊する。そんな構造をともに持っているように思う。
経済論議のばかばかしさに腹を立てていたが、たとえば美術史を外から俯瞰するがごとく眺めて整理する必要があるかもしれないと思っているこのごろである。

美術めぐりの半日

2011-01-09 11:08:04 | 時評・論評
昨日はふと思い立って清澄白河の小山登美雄ギャラリーに行ってみようと思い出かけた。
清澄白河の駅から10分ほど歩いて目的地に着いたが、あたりは倉庫街なので最初は間違いかと思った。いやいやそんなことはなく、ギャラリーもその倉庫一角にあった。さすが倉庫用らしき巨大なエレベーターに乗って6階のギャラリーらしきところに入ると山口百恵の写真が多く飾ってあった。モダンアートの旗手もこういうのありかと思いつつでも待てよと見直すと違うギャラリーだった。たまたま出てきた女性(きれいな人だった)に聞くと小山ギャラリーは7階ということで1階上がる。と、どうも準備中のようで22日からの展覧会までは開いていないということのようだった。でかえろうとすると呼び止められ22日からの展覧会のパンフというかカードをもらった。

このまま帰るのもつまらないので5階のギャラリーに行く。3つのうちひとつは誰も居らず、後2つで写真をやっていた。
そのうちひとつがシュワゴアーツで、写真家は中平卓馬。なんだか身内の人が多く集まっているらしく割りと盛り上がっていた。ワインをサービスされたのでありがたくいただく。
率直に言って写真の出来不出来などは小生はまったく論じる資格はないのだが、この人の写真は何か合意できるものがあった。こんがらがった船のロープのもつれ具合だとか、讃岐うどんの看板のおかしさと妙な寂れ具合や傾き、植え込みの向こうに見える観覧車などなど。ぼくはこういう景色を見て傍らに気安い人がいればねえ面白いね、と言っていたような気がする。長じてそれがほぼ徒労と認識してからはそんなことは言わなくなったが。この人もそういう思いをしつつとり続けているのだろうか? 「視点がAgreeできるかどうか」という鑑賞のポイントを知ったような気がした。
その隣のギャラリーではレオ・ルビンファインという人の写真。この人の写真も面白いと思ったが、ただ被写体の多くが白人で、その白人を見慣れていないのでそのことによるインパクトのほうが強かったように思う。

これでギャラリー倉庫を後にする。江戸資料館の通りを歩いて次は現代美術館へ。遅かったので常設展だけを見る。ピピロッティ・リストという人の、ねっころがって上に映った映像を見る作品は面白かった。人間的・生理的な汚れというか、それに対する愛着と言うか、そのようなものを比較的中立な景色と織り交ぜつつ見せる映像作品。案外はまった。次の作品の説明書きに「生理の血をイメージした映像」云々とあったが至極納得。作品は以上。後は詰まんなかったな。
ただし現代美術館はとてもよい。図書館もありレストランもあり、隣には大きな公園もあって大変すごしやすいと思う。また清澄白河あたりへの道も店がおおく、特にヘアサロンがあったりしゃれた古本屋があったりする。でも青山六本木あるいは山の手の町のようなきざなところがなくすごしやすいね。

英語帝国-要は戦勝国の言語ってことだね

2011-01-08 12:04:36 | 時評・論評
先日同僚と雑談していて、自分らの子供たちは英語ができないと苦労するよねえ、って話になった。まあ大東亜戦争に勝つということはありえなかったにせよ、米国との正面衝突を回避してロシアともゆるく結んでおけば、もしかしたら中国・韓国・台湾・日本の共栄圏ができていたかもなあ、そこで流通する言語はおそらく日本語、あるいは中国語だったんだろうなと思う。地理的な近隣性から東南アジアなどもじわじわ取り込んだりして(宗主国がうるさかったろうけど)。
そんな夢想をしていると、結局戦争に負けたというのは大きいな、というあたりまえのことになった。英語以外にも大航海時代の覇者スペインの言葉とか欧州の中心フランスの言葉とかも候補だったと思うし、実際フランス語は大戦後もしばらく外交語の地位を失わなかった(今は実質どうなんだろう?)。スペインは早々とイギリスに負けてるし、ドイツ、イタリアは周知のとおり枢軸側で第二次大戦で負けた。フランスは同盟国側だけど威張っていられないのは結局すぐ降参してほとんど戦ってないからだ。あれこれ考えると結局第二次大戦はソ連と英米のおかげで勝ったわけで、だから世界語の候補は英語かロシア語しかなかったんだよね。で、そのロシア語も結局は冷戦への敗北で勢力圏を狭めつつある。
まあこんなことは当たり前のことなんだが、改めて考えて気が付いたしだい。気が付いたからといって何とかなるわけじゃあないが、英語の言語としての優秀性を世界語として普及した理由に挙げる輩を鼻で笑うことはできるかな。最近この手のアホあまり見ないけどね。