これはまだぼんやりしたアイデア。大学時代にミクロマクロ金融など一応みっちりやった小生から見ると、90年代半ば以降のちゃちなマネタリズムや乱暴な新自由主義は噴飯物としか見えずいずれ正されると思っていたら金融危機までなんと20年も続いちゃった。金融危機で多少修正されつつあるが、中央銀行に間接的に実物投資させるなんて荒業やってるんだからまあ聞いてあきれる。先進国に需要の伸びはないのだ、伸びのない中でいかに気持ちよく生きてゆくかが最大の課題である。なんて正論がまったく通じない。
で、もうあきらめていたんだけど、最近村上隆の言う現代美術の文脈の形成のされ方とこうした経済の言論というのが案外似た要素を持っているのかと気が付いた。いや、単なる気まぐれな移り変わりというわけではなくある種の創造された需要がありそれに対応する、或いはそれを仕掛ける仕掛け人がいて、その中で言説なり作品が浮遊する。そんな構造をともに持っているように思う。
経済論議のばかばかしさに腹を立てていたが、たとえば美術史を外から俯瞰するがごとく眺めて整理する必要があるかもしれないと思っているこのごろである。
で、もうあきらめていたんだけど、最近村上隆の言う現代美術の文脈の形成のされ方とこうした経済の言論というのが案外似た要素を持っているのかと気が付いた。いや、単なる気まぐれな移り変わりというわけではなくある種の創造された需要がありそれに対応する、或いはそれを仕掛ける仕掛け人がいて、その中で言説なり作品が浮遊する。そんな構造をともに持っているように思う。
経済論議のばかばかしさに腹を立てていたが、たとえば美術史を外から俯瞰するがごとく眺めて整理する必要があるかもしれないと思っているこのごろである。