The Cheating Culsture が原題。前書きの日付は2003年7月、翻訳は2004年8月。
面白くまた重い本であった。インターネット株騒動の詐欺まがい推奨で巨万の富を得たアナリスト、エンロンやワールドコムの粉飾、ボウスキーなどの復活、でっち上げ記事で潤う記者、不正薬物に手を染めるスポーツ選手など。Winners Take Allのルールが強まる中で勝者と敗者の報酬がケタ違いに大きく、その一方で悪事を為した人間が十分に罰せられていないことは、一般の人にまさに悪事を働けと言わんがばかりのメッセージを送っているのであり、実際不正もふえている、というのが著者の指摘として要約できよう。そうした軽い悪事が高校生などにも影響を露骨に与えているのは恐ろしいとはいえ当然のことだ。学校は社会的価値観の縮図を反映する。
社会の設計が大きく間違っているのだろう。「機会均等・結果不平等」な社会ならまだしも、「正直者が馬鹿を見る」のではどうしようもない。それに、著者はそちらの方への触れ方はすくなめだったが、「機会不均等、結果差別的」世界でもある。日本も例外ではない。自由競争には厳格なルールが必要であり、アンパイアがしっかりしていなくてはプレーヤーはどんなことでもやりかねなくなる。
結局はアンパイアだな。事前の機会を均等化するため、相続税は圧倒的に大きくし、その一方で貧困層への学習援助を高める。学校も整備する。 その上で社会では不正に厳罰で臨む。それでこそ能力あるもの・努力したものが報われるという感覚を共有することができよう。なお、そのためには政治的過程にカネが物をいう度合いを極力減らす必要はある。
僕が10年ぐらい前に思っていたことは実はその先であった。上記の世界が実現しても頭の悪い子はのし上がれない。だから差がついていいか、というとそうではない。人間としての価値を尊重すれば、頭の悪い子にもプライドを持って生きる権利はある。であるから、ビジネスエリート以外の多様な価値観があることを示す必要がある。大平光代さんとか浅田次郎さんのような話は勇気付けられる面はあるが所詮かれらは「異界」からセレブに戻ってきた人である。セレブならぬ多様な「居場所」、町の酒屋さん、総菜屋さん、金物屋さんなどがいた時代を別の形で取り戻さなければなるまい。
とはいえ、10年で足元が崩れてしまった。ここから以前より良い土台を作り直さねばなるまい。
面白くまた重い本であった。インターネット株騒動の詐欺まがい推奨で巨万の富を得たアナリスト、エンロンやワールドコムの粉飾、ボウスキーなどの復活、でっち上げ記事で潤う記者、不正薬物に手を染めるスポーツ選手など。Winners Take Allのルールが強まる中で勝者と敗者の報酬がケタ違いに大きく、その一方で悪事を為した人間が十分に罰せられていないことは、一般の人にまさに悪事を働けと言わんがばかりのメッセージを送っているのであり、実際不正もふえている、というのが著者の指摘として要約できよう。そうした軽い悪事が高校生などにも影響を露骨に与えているのは恐ろしいとはいえ当然のことだ。学校は社会的価値観の縮図を反映する。
社会の設計が大きく間違っているのだろう。「機会均等・結果不平等」な社会ならまだしも、「正直者が馬鹿を見る」のではどうしようもない。それに、著者はそちらの方への触れ方はすくなめだったが、「機会不均等、結果差別的」世界でもある。日本も例外ではない。自由競争には厳格なルールが必要であり、アンパイアがしっかりしていなくてはプレーヤーはどんなことでもやりかねなくなる。
結局はアンパイアだな。事前の機会を均等化するため、相続税は圧倒的に大きくし、その一方で貧困層への学習援助を高める。学校も整備する。 その上で社会では不正に厳罰で臨む。それでこそ能力あるもの・努力したものが報われるという感覚を共有することができよう。なお、そのためには政治的過程にカネが物をいう度合いを極力減らす必要はある。
僕が10年ぐらい前に思っていたことは実はその先であった。上記の世界が実現しても頭の悪い子はのし上がれない。だから差がついていいか、というとそうではない。人間としての価値を尊重すれば、頭の悪い子にもプライドを持って生きる権利はある。であるから、ビジネスエリート以外の多様な価値観があることを示す必要がある。大平光代さんとか浅田次郎さんのような話は勇気付けられる面はあるが所詮かれらは「異界」からセレブに戻ってきた人である。セレブならぬ多様な「居場所」、町の酒屋さん、総菜屋さん、金物屋さんなどがいた時代を別の形で取り戻さなければなるまい。
とはいえ、10年で足元が崩れてしまった。ここから以前より良い土台を作り直さねばなるまい。