御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

橋本治「巡礼」

2010-04-25 10:04:46 | 書評
橋本治はいかにもおっさんといった感じの風貌と割と普通に常識的なエッセイばかりしか知らず、へえこんな人が小説かくのかい、なんて思っていたのだが、「巡礼」のあとの作品がわりと高く評価されていたので興味を引いた。しかしその作品は批評を検索しててネタを知ってしまったので一応おいておいて、その前の巡礼を買った。

巡礼はゴミ屋敷の主人の話。周囲がいかに迷惑しているか、周囲の間でも至近距離とちょっと離れている家での温度差、至近距離の家の内部の葛藤、マスコミの動きや役所の対応の鈍重さ(というより私有地への干渉の難しさ)が丁寧に描かれる。
そしてゴミ屋敷の主人忠市の生い立ちと人生に入る。荒物屋の長男として生まれた主人は終戦時に高等科の1年生。中学を卒業し高校に入るが、新制とはいえ高等学校は高等学校、尾頭付きで祝われる。荒物問屋に修行で入社、それなりに順調にすごす。多少惨めな初体験やうらやましい同僚の恋もあったがそれほどひどくその羨望を意識はしないですごすかに見える。
やがて見合いの話がある。八千代はおとなしい勤め人の娘である。お互い、いいとも悪いとも思わぬままの結婚であった。結婚を機に荒物屋から瓦屋への転業を図った実家に忠市は帰る。転業は実家の店が都市計画道路に引っかかったからでもある。また周囲の建築ブームを見てのことである。ところが忠市の父は脳出血で倒れ、新しい店の開店後、経営を忠市と妻に任せたまま2年後に死ぬ。
忠市の瓦屋はそれなりに繁盛した。しかし勤め人の家の出の妻は母から見るといささか鈍重で、いさかいが続いた。子供が生まれたことはある程度緩衝材になったが、その子供が不幸にも小児癌で5歳で死んだ。家の中で不遇な母は子供を独り占めし病状を誰にも語らなかった。子供が死んだ後、忠市の家に子供の骨を入れたくない一心から妻は離婚を申し出、実家に帰ってしまう。忠市は別れたくなかったが逃げてしまった妻に十分な慰留さえできなかった。
こうして忠市は孤独となった。弟が結婚して実家に入ってきた。ここでおそらく忠市は孤独さから弟の嫁に抱きつこうとした。それほど大騒ぎにはならなかったし兄の大変な人生を知っている弟は騒ぐつもりはなかったが、転勤を受け入れて家を出ることにした。
そのあとは忠市と母の暮らしが続いた。母は同年代の近所の主婦たちと荒物の在庫を分け合ったりしながら、昔を懐かしみつつ85歳で死ぬ。母がまだ生きている時代に、忠市は一時夜の街の女を引き込んで同棲したがこれは2年で男を作って出て行った。それからはひたすら働き、夜の街で金を使う日々であった。その忠市が50を過ぎ、母も80を過ぎたある日、道端に捨てられた「カタカタ」を修理しようと持ち帰った。母が「昔、秀俊(孫)がそれであそんでたなあ」と言われた忠市は、秀俊を、自分の息子を、遺骨さえも奪われた息子を思い出すまいと記憶に蓋をした。そして家の外ではどんどん時間がたった。母は85歳で死に、家の周りにはゴミが積みあがっていった。

2 コメント

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連休もおわりですね (かもめ)
2010-05-05 14:51:59
こんにちは またお邪魔します。
沢山本を読まれるのですね。時々参考にさせていただいております。橋本さんの作品は前に何か読んで気に入った記憶があるのですが‥是非これも読んでみたいと思います。
山に行くとうぐいすがいい声をきかせてくれます。お庭がおありとかでうらやましい。
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どうも、かもめさん (Cir)
2010-05-16 22:41:37
お越しいただきありがとうございます。
些か私事多忙でお返事が遅くなりました。
この「巡礼」の記事、実は途中でして、このあと主人公の実弟がある種救いをもたらしてくれます。すぐ書くつもりが間が空いてしまいました。が、今見るとその部分を書かないほうが寝たばれにもならないし余韻もありそうなのでこのままにしておきますね。
小生宅の庭はまさに猫の額ですが、昔からコメを撒いたりやみかんをおいてますので、すずめは毎日、メジロもたまに立ち寄ってくれます。
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