御託専科

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戦争責任、じゃなくて敗戦責任、ってのを論議しないとね

2014-01-13 23:29:44 | 書評
高木俊朗氏のインパール3部作がKindleで手に入ると知り買って読んだ。あわせて飯田進氏の「地獄の日本兵ーニューギニア戦線の真相-」もKindleで読んだ。こういう本が簡単に手に入るようになったのは電子書籍時代のとても素敵なところだ。早く高橋和巳も電子書籍にしてもらえないものか。

それはさておき、高木氏のインパール3部作からは本当に補給を軽視し、無茶な作戦をしたことがこれでもかというほど良くわかる。結局インパールもガダルカナルと同じで、補給ままならぬところに兵を進めて補給で苦しんでいること、コンクリート壁に卵を投げつけるみたいなほぼ無駄な突撃をさせていること、などはかなり共通している。牟田口という愚か者の専横が際立つインパールだが、ガダルカナルとは全く構造が同じである。無駄な死を次々と生じさせているのである。ニューギニアの話は、無駄な突撃の話はほとんどないが、補給のない軍の大変さは前2者同様である。

しっかし、なんでこんなことが起きたのか不思議である。どう見てもあほとしかおもえぬ用兵をして兵を無駄に殺し、あるいは飢え死に、病死させて切腹さえしない司令官どもは一体なんだったのか。なぜそれでのうのうと生き延びて畳の上で死んだのか?
戦後、「戦争責任」ということが裁かれた。これは敵国による裁きであるから負けたものは受け入れざるを得ないが、それで終わりだったのではない。なぜあのようなことをしてしまったのか、ということを徹底的に国民の手で検証すべきだったのだ。用兵であり敗戦の責任である。その中には上に挙げたような愚かな作戦の責任者への査問はもちろん含まれる。海軍で言えば栗田提督にも真相を語ってもらわねばならぬ。戦艦武蔵を沈め、小沢艦隊を全滅させてようやく作戦目的を果たそうとしたそのときに「謎の反転」なるものをしてしまうんだから、それは語ってもらわねばなるまい。そうした用兵・作戦の吟味に加え、戦略のグランドデザイン(あるいはその不在)のよしあし、政治も含めた当時の決定に関する反省、責任追及は行われるべきだったと思う。なんで牟田口みたいな問題児が出世する構造があったのか、牟田口一人があほでもそれを周りがなぜ制御できなかったのか、といった話も含まれよう。

しかしそのチャンスはもはや失われたかもしれない。社会党が一定の勢力を持ち非現実的な左派が強すぎた時代は終わったが、その一方で戦時は遠くになってしまった。当事者のほとんどが没している。残念なことである。
ただ、やはり敗戦責任はどこかでよく見ておくべきだろう。第二次大戦が自存自衛の戦いであったと認めてもよい。大東亜共栄圏の理想さえも認めても良いかもしれない。しかし、日本軍のあの弱さと非合理性を認めてはならない。当たり前のことだが、国は、強い軍隊を持った上で政治的・外交的目的を最大限に達成する、勝てる戦をするべきなのである。心情に流れることなく、そういう観点からあの戦争を反省・吟味して、東京裁判がどうのこうのとか自虐史観がどうのといった話も吹き飛ぶような冷徹にして徹底した論議を積み重ね、今後の国民の共通財産としたいものである。