御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

「私という病」中村うさぎ

2006-05-14 23:54:38 | 書評
ほんとこの人面白いなあ、すごいなあ。なんか尊敬しちゃうよね。経歴はよく知らないんだけどおそらく堅めの人だよね、もともと。あれこれ考えるタイプで、おそらく心理学や哲学の本もよく読んでるんだろうな。話の端々にややそれが感じられるのと、やはりこういうタイプの人は心理学や哲学を教養ではなく実用的な知識として使いこなそうとするだろうと思う。ほんとは、自分の考えていることや感じてることを、脳みそ裏返して見てもらいたい、ってタイプじゃないかしら。平田オリザみたいに。
今回はデリヘル。いやあたいしたものです。本人にはそれなりの苦労がある話なんだろうけど、あっけらかんと外的・内的なじたばたぶりを誇張もなく遠慮もなく、ある意味で「さわやかに」さらけ出してるよね。ほんと、この人あと10年もしたら悟りの境地(マジな意味で)に達しちゃうかもね。頭だけで想像したり批評したりしている人間が決してたどり着き得ない境地にね。
ほんとを言うと自分もこれくらいじたばたして見たいね。というかして見たかったな。今は、たまに金がほんとに欲しくなるくらいで、つき動かされるような衝動も悩みもないからなあ。このまま枯れてゆくのかもしれないし、またムクムクと煩悩が現れるかなあ。そのときは弟子入りしよっと。
それにしても、この人の周囲の男どもはけっこうひどいな。ま、マスコミ・広告代理店系の人間はろくでもないと思うけど、出版系でもそうなのかな?うさぎさんももっと「普通の」男どもがいる世界も見て見たらいいのにね。それでまた感想を是非伺いたいもんです。

「ハードワーク」 ポリー・トインビー

2006-05-14 12:29:27 | 書評
カーディアンのベテラン記者・コラムニストの低賃金労働体験記。
突撃おばさんだね。経験した仕事は病院の運搬係、学校の給食係、託児所、テレフォンセールス、病院の早朝掃除、老人ホームなどなど。ただやるだけではなく住むところまで最低賃金近辺に合わせて生活もおおむねそれに合わせ、職探しも同じ条件で行なうなど、低賃金労働者の生活をできるだけ追体験しているのは天晴れである。
多くの職場で「逆境の連帯感」が存在したこと、いくら実力があっても上に行く道は閉ざされていること、低賃金労働者の大半は女性・主婦(シングル多し)、時間の都合が合う職場に低賃金で甘んじざるを得ないこと、公共サービス部門(病院、介護など)が多く実は政府の賃金政策次第であること、労働の過酷さと失職期の経済的問題とで、転職というのはけっこう困難であること、実は給与次第で肉体労働者は英雄にもされうるしどうでもいい人ともされうる、などなどである。

非常に勉強になった。あえて苦言を申し上げると、せっかくの経験がマクロ的政策に影響を与えるようなまとまり方にあと一歩でなっていないということ。ベテラン記者・コラムニストの手になるものとしては意外である。もちろん政策的話に突っ込みはあるし、介護会社の役員インタビューなども行なわれている。後一押し、役員の給与2割返上でどれだけの低賃金労働者が救えるか、なんてあると政治スローガンにはばっちりだけどなあ。

それと関連するが、最後は「こちら側」へ帰ってきた者の安心感がにじみ出た締めくくりとなっている。結局こちら側の仲間に配慮すれば、また自分のもらっている給料のことを思えば、「あんたがたの給与は高すぎる」と露骨には言えんのですよね。僕も含めて。こうして、認識されていても格差はなくならないのか。。。


「散るぞ悲しき」大宅賞受賞に思う

2006-05-11 13:07:56 | 時評・論評
これは書評ではない。硫黄島の知将、栗林中将「散るぞ悲しき」が大宅賞を受賞した。文春を読んでいて知った。

アマゾン上の数少ない批判的書評の中に「これはプロジェクトXだ」とあった。また選者の猪瀬氏の評に「いわば管理部門のエリートにより立案された青臭くて無責任な経営計画の失敗で本社が倒産寸前でありながら、少しでも会社再建のため寄与すべく創意工夫に徹する現場の工場長」であり、「坂の上の雲にも戦後の高度成長の立役者らとも響きあい、今日にも脈々と受け継がれている良質なストイシズムである」とあった。

なるほど。きっと読めばそれなりに結構感動するだろう。最近大戦期への興味が増していたことでもあるし買おう、とおもった。
が、とりあえずは思いとどまった。きっと今まで繰り返した種類の感動をするんだろう、と思ったから。それは悪いことではないが、もう素直に浸れる歳でもない。

僕を含めみんな、逆境にもめげず(まれには、順境にもおごらず)、職務に忠実にベストを尽くす人たちの物語が大好きだ。プロジェクトXもそうだろうし栗林中将はその典型だ。ノーベル賞の田中さんなんかは順境におごらなかった例である。

しかし、である。何でいつもそうなんだ?栗林中将の例で言えば、彼のような人が参謀本部に集まっていればもっと素晴らしい全体の作戦計画ができたはずだ。彼から見れば大本営は馬鹿ぞろいだったはず。で、何で馬鹿が知将に指示するんだ?そして、何で知将は最後まで馬鹿に馬鹿といえなかったんだろう? もちろん答えはわかっている。そんな空気はなかったに決まってる。でも、さらに問いたいことは、じゃあ何でそんなことになったのか?なぜまともな空気で話せなかったのか。なぜ馬鹿がえらくなるのか?

そこだよね、問わなければならないのは。変えなければならないのは。逆境の中でベストを尽くす偉大な人に(一部でも)自己を重ねてカタルシスを感じるのはやめよう。馬鹿に都合のいい人になるだけだ。「あんたが馬鹿げたことをしたおかげで生じた大問題になんで俺が付き合わなきゃならんのだ」と追及しよう。「負けるのが遅いのが勝利」などという持久戦には付き合わずさっさと逃げよう。逆境の中でがんばることを勲章と思うのは了見が狭い自己満足に過ぎない。逆境をおこしたものを糾弾しよう、陥れよう(笑)、だめなら逃げよう。

所詮凡人には栗林中将とその部下の人々のような偉大で美しく切実な敗北はできないのだから。そして、逆境に耐え抜くよりも逆境を生んだ人であり仕組に打撃を与えより良い仕組を模索することが対極的にははるかに人のためになるのだから。もちろんそういう努力は美しくなく政治性が高いだろう。しかしきっとそれは偉大なこだ。


マークスの山

2006-05-05 22:21:56 | 書評
いわずと知れた高村薫の直木賞受賞作である。
しかし、うーん、どうなんだろう。警察検察の内幕物としては面白く読める部分があったのだろうと思うが、もっともっと犯人や脅されている悪玉たちの方をより詳しく記述して欲しかったと思う。文体の重さと堅さはとても好みなので他の作品もいずれ読んで見たいとは思う。ただ、この作品にかんしては舌足らずの部分や「なんでそう来る?」と疑問な部分がかなり多く、率直に言っていただけなかった。
僕はどうも日本の小説がうまく読めないのかなあ、とちょいとがっくし来る。村上龍も村上春樹も宮部みゆきも福井敏晴も今ひとつだったしなあ。その一方でここでも書いてる小池真理子とか、この前読んだ奥田英朗なんかはすごくよかったね。
ハヤカワのハードカバーを借りて読んだ。文庫はかなり変わっているらしいが読む予定はない。