御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

従軍慰安婦決議案下院外交委員会可決に思う

2007-06-27 11:06:24 | 書評
なんだかものすごくむしゃくしゃする話だ。いろんな意味で。

だいたい他国の過去の所業にいまだにごちゃごちゃ言うのなら18世紀あたりから蒸し返してやろうじゃないか。インデアンを虐殺しハワイや西海岸を略奪、日本に原爆を含む無慈悲な戦略爆撃を行い、ベトナムで300万人を殺したアメリカのどこにそんなことを言う権利があるのか?恥を知れ!

外務省はなにをやっているのだ。安倍首相の「20世紀は云々」の談話は素晴らしくポイントを得た話であり、間接的にアメリカを含む西欧各国の暴虐を指している。この発言をうまく生かせないとはどういうことなんだろう。

それから、米国政府の沈黙。何とかすべきではないのか。発言ぐらいしろよ。アメリカのマスコミ。靖国神社が中国にあると思ったり、安倍首相の写真を間違えているようなやつらにえらそな論説を言われる筋合いはない。ばかものどもが!

広島市議会よ、長崎市議会よ、原爆投下非難決議と謝罪決議をせよ。東京都議会とその他空襲を受けた都市の市議会よ、無差別殺人爆撃非難と謝罪要求決議をせよ!沖縄県議会よ、占領下の米軍の悪行を暴き非難決議と謝罪要求決議と米軍撤収決議をせよ!!!


額田 勲 「がんとどう向き合うか」

2007-06-19 10:32:09 | 書評
神戸で病院を経営している人。こういう人を見ると、あ、金持ちだなあ、と最近は思う浅ましさ(笑)。

それはともかく。内容としては非常に良かった。この医師は1940年に生まれたので60台後半。団塊前の世代、この時代の医者、という事である種無意識の傲慢さを持っており、そのことが迂闊にもいろいろなことを正直に語らせていると言える。またこれは美点だが思弁による装飾をするタイプではなく実務家寄りであるということも正直さにつながっている。

ある患者のことを語るのにその奥さんのことを「妻」と簡単に呼ぶ世代ではある。一瞬誰のことかわからなかった。また尊厳死などを「高度な技法により人為的な生をもてあそぶような虚構」とし、「人間的な自然な生と死を追求したいと念願している」そうな。人為的な、人間的な、自然な、と並べ、前者が後2者と対立概念であるなどとよく言えたものだ。思想的な錬度はかなり低い人だね。あと、自分ががんとなって「医者の有利さ」を自覚し、罪滅ぼしもありこの本を書いたそうな。でもねえ、これも内省が足りないよね。医者の有利さは医学知識以上に、どの病院の誰が信用でき、誰はだめだ、ということなんだよね。冒頭にがん患者の集会の件を出しているのでいい線行っているんだけどねえ。もうひと覚悟して、死ぬ前にだめな医者といい医者の一覧表を書いてほしいね。それこそが患者のほしいもの。

とまあ、迂闊な部分が多いだけに正直な医者と治療の様子がわかる。やはり過酷で見通しが薄くても治療を進める方向のバイアスはかなり強いようだ。脾臓がんの人の話など、次男が医者で手術予後の悲惨さがわかっているのに、それで次男は拒否しているのに、それでも希望を託すがごとく説得して手術をして案の定の結果となった。ま、これも医者だけの話じゃなくて本人や他の周囲の人の意思もあったんだろうけど、それでも医者がもっと中立的に話せぬものかなあ。この手の話が何件も出てきて、そこに患者のわらをも縋る思いと治療を職業の習性として優先させたい医者の共犯的関係が見て取れる。それにしても意外なまた悲惨な副作用、再発の可能性の高さなどは患者はどこまで知らされているのかなあと思わぬでもない。もちろん直る可能性のほうに目が行ってしまっているのはよくわかるが。

もう一つ迂闊なことだが、こういう例で関与した著者の反省の言葉が軽いね。著者は内科医であり紹介・推奨までのところなのでそうなのかもしれないが、もう少ししっかり反省して、できればその後に生かしてもらいたい。なんだか軽く反省しては同じことを繰り返しているように見える。

あと、決定的な無神経を一件。著者はある人を最後のほうで称揚している。確かに才覚と品格に満ちた人だが、その人を称揚するあまり、たくさん患者を診ていてもそんなに印象に残っているわけではない、という趣旨のことを言っている。「あ、センセイの本だ」と思って買った患者はどういう気持ちになるのかな。かなりの人を傷つけたね。ことほどさように迂闊な人である。デリカシーのなさが髣髴としてくるこういう人の患者にはなりたくないね。


東郷和彦「北方領土交渉秘録」

2007-06-04 12:54:38 | 書評
鈴木宗男、佐藤優らとともに悪者にされた外務省元欧亜局長。終戦外務大臣東郷重徳の孫であり、父親(娘婿)も次官・駐米大使を務めた。
外交というのが大変な労力の末行なわれいるいろいろなニュアンスの積み重ねでありまた交渉当事者の心情というか志に多分に負うところがおおく、志の一致が多大な成果に結びつくのだ、ということをよく理解した。

とはいえ、ド素人評論で申し訳ないのだが敢えて言うと、やはり客観情勢なきところに領土交渉のWindowは開かない。終戦直前わずか2-3週間のソ連の極悪事の象徴である北方領土。それは日本にとってではあるが今のロシアにとって見れば実効支配をしているのは自分であり返すなどという義理はない。交渉に応じるかどうかはメリット・デメリットベースで考えればよいことだ。いまのロシアにとっては。今朝報じられたプーチンのそっけなさもよく理解できる(とはいえいっていることは複雑だと思う。新聞の解釈と違い案外良いメッセージかもしれない)。
様々なニュアンスや友好関係の下地に支えられたとはいえ、やはりソ連崩壊と経済的混乱を含めた新生ロシアの不安はチャンスだったし、この大きさのチャンスは当分想像がつかない。
①ロシアの成立直後はソ連時代の考えと行為を否定することができるチャンスであったし、実際に内政・外交ともに数多く行なわれていた。そこには今後の実利という観点もあったとは思うが、その一方で長い間の理不尽な状況への反発として磨かれた高邁な理想論の数々もあったに違いない。エリツィンの本気の背景もこの辺りにあったと思われる。
②やはり経済と政治的孤立。経済がむちゃくちゃで国際的にも他国が様子見でいるときこそがチャンスだった。
③日本国民、海外世論。どれだけ知ってるのかなあ、日本人でさえ。「1945年、日本」という映画でも作ったらどうだろう? (米国と)ソ連の犯罪的攻撃をまざまざと知るべきだよな。いつまでも居座ってるんじゃないよ!ぐらいのことをいっていい相手であることは知らないとねえ。

次のWindowはいつくるのかなあ。それまで外務省の職員や政治家を含む心ある人々の長い長い助走(であればよいのだが)がつづくのだろうなあ。

それにしてもそういう地道な努力の積み重ねが検察に挙げられるとはねえ。悪い先例を作ったものだと思う。