御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

島本理生「ナラタージュ」

2015-08-09 22:16:09 | 書評
ナラタージュ、とは映画などである人物の回想の形で過去の出来事をつづってゆく形式のことらしい。フランス語かスペイン語かで地味な植物とかを意味するのかと思っていたが最後まで出てこなかったので調べたらそういうことだった。まあでもナラタージュの意味は知らなくても読めますよ。

どっからいえばいいかなあ。主人公の女性は自分でもわからずいじめにあったことがあるような孤立しやすいしかし感受性の高い女性。その子が高校から大学2年までの間に恋するのが葉山という先生。繊細で感受性が強く、主人公のような人は極力守ろうとするいい人。しかし事情あって別居中の女房とまだつながりを保とうとしているのに主人公に気があるそぶりを見せる、優柔不断というかある意味ずるいやつでもある。小野君という主人公の恋人に一旦なる人間、強姦のトラウマを引きずって結局自殺する下級生、これはおそらく健全世界の象徴と思われる、米国に留学する同級生とその恋人(これも同級生)あたりが主要人物。

ストーリーはまあ読めばわかるのだが、いろいろと思うことがある。小野君がもう少し寛容な男だったら主人公は幸せに葉山先生を諦められただろうし、葉山先生がもう少し男らしい男だったらそもそもこれは悲恋にはなってなかったろうし、主人公がもう少し強引で、たとえばラスト近くで電車で引き返したところで葉山先生に駆け寄り胸に飛び込んでれば葉山先生もかわっていたんじゃないかなあ、とか思うなあ。強姦がトラウマで自殺した子も、もうちょっと考え方が違っていればなあ、と思う。しかしここに登場する人たちにはそれが運命であり必然なのだろう。そしてそのほんのしばらくの経験がこれからの人生で皆に反芻され続けてゆくのだろう、特に主人公にとっては。こういうことを思うのは弱さを抱えた人たちに関してばかりである。留学した男とその恋人みたいに、おそらくその辺の道の石ころでつまずいても「本来のコース」がかわらなそうに見える健全派にはそういうことは思わないな。

こころとこころに関連した行動や情景の描写がとても細やかで精密だ。余白も含めて。三島の天人五衰を2回目に読んだときに情景描写の長さと精密さに感服したが、それに近い感想を持った。「若い心のふるえが瑞々しく描かれている」なんていう人も多いんじゃないかと思うが、まあそういう言い方は少々ベタで作者にとっても不本意なんじゃあないかな。そういうことじゃなくて精密なんだよね、リアルというべきか。ちょっと衝撃のある切ないラストなんて情景と会話とこころの動きと所作がとても精密に、そのまま映画のシナリオにできるように描かれている。これこそこの作品の真骨頂だな。

ちょっとわかんないところ。最後の近くの主人公と葉山先生が体を交わす場面は必要だったのだろうかなあ? まるで両方のそれぞれが片思いをしている見たいな、お互い好きだけど何かがすれ違う恋は、肉体の交わりなしでも良かったのじゃないかなあ、と思う。あるいはそのすれ違いを肉体の交わりが明らかにしたということでいいのかなあ。確かにコトがすんだあとに泣き出しそうな顔で「これしかなかったのか、僕が君にあげられるものは。ほかにはなかったのか。」なんていうやつはぶん殴ってやりたくなるがなあ。確かにそのあと彼女はきついことを彼に言う。でも愛想尽かさないんだよねえ。さらにそのあと男はちょっと抜けて電話料金を払いに言ったりしているのにね(笑)。と書いているうちに少し理解が変わったかな。こういう記述がなんかリアルなんだよね。そういうことなんかなあ、と改めて理解。

なお、中年さえも後期に入っている小生にとっては、こういう青春群像はとてもまぶしかったな。感受性高きあのころに、こういう空気をもう少し吸ってみたかったという気がする。