沖縄に旅する機会があった。空港から離れたところにある高級リゾートに宿を構え、あまり動かずにすごした。実に快適であった。広々とした部屋と庭、余裕たっぷりの建物全体の作り、案外リーズナブルで多様な選択が可能な食事、それからなんと言っても素晴らしいホスピタリティ。これで部屋の中から海が見えたら最高であったのだが残念ながら生垣が少々高かった。ま、1階ゆえの庭付きの贅沢の代償であり、まあやむを得まい。
ところで、そこで沖縄の経済状況の厳しさや問題を垣間見た。琉球新報が部屋に配られるのだが、見ると結構県内経済の問題を論じるものが多い。あるコラムによれば年収200万円以下の世帯が全国平均で7%、沖縄は22%だそうな。その一方で八重山諸島を初めとした地域では本土からの移住ブームで地価が高騰している。これでは植民地と変わらない、というのがコラムの趣旨であった。そういえばくる途中人材斡旋会社の広告で「県外」という言葉をしょっちゅう見た。テレビのコマーシャルでもやっていた。うーん、貧しいのか、と気分が重くなった。そうなると一流のホテルでも今ひとつ落ち着かなくなる。
どうすれば豊かになるか。まずは観光か。沖縄は確かに独特の文化があり、それは観光資源である。沖縄村なるところへいったが、意外に見世物小屋に堕していない運営だったのでほっとした。こういうことならプライドを持って売れる。しかし、きれいな海と言う沖縄の最高の観光資源はどう売るのだろう?ホテル作って観光客を接待する。いろんなレジャーに付き合ってあげてカネをとる。自然自体を売るというのは、結局下働きの雇用機会しか発生しないのだろうか。僕が泊まったところみたいにオペレーション丸ごと開発して本土進出というのもありえないことではなかろうが、稀有な例だろうな。
ここが奈良や京都と大きく違うところだ。文化を観光にすると住人は文化の守護者や伝達者のポジションを取れる。自然だとそうは行かない。山ならまだガイドとか山小屋といった伝達者・守護者のポジションがあるが、海は難しい。基本的に裸で寝そべったりじゃれたりしている連中に飲み物を運ぶことになる。海はとりわけ「リラックス」という観光目的を持たれるため、伝道することは何もない。
観光により豊かで誇り高い沖縄を生み出すことはずいぶん難しそうだ。と思ったのだが、なにか方法もありうるかな、と考え直した。京都・奈良は社会的なまた政策的な文化財保護により厚く守られている。如何に金持ちでも、金閣寺を借りて紅葉の秋にステイしたい、などとほざくことはまかりならん。しかし、海に関しては当然のごとく可能だ。この要素が「自然」による観光立地を「卑しく」してしまう要素なのかもしれない。ならば。海岸は売らないことだ。大幅に開発を制限し、渇望される場所としての立場を保とう。それだけで京都や奈良の誇り高きポジションになれるわけではないが、いまよりはずっとましだろう。自然系の観光立地がある程度カルテルを組む必要があるかもしれないが。
ところで、そこで沖縄の経済状況の厳しさや問題を垣間見た。琉球新報が部屋に配られるのだが、見ると結構県内経済の問題を論じるものが多い。あるコラムによれば年収200万円以下の世帯が全国平均で7%、沖縄は22%だそうな。その一方で八重山諸島を初めとした地域では本土からの移住ブームで地価が高騰している。これでは植民地と変わらない、というのがコラムの趣旨であった。そういえばくる途中人材斡旋会社の広告で「県外」という言葉をしょっちゅう見た。テレビのコマーシャルでもやっていた。うーん、貧しいのか、と気分が重くなった。そうなると一流のホテルでも今ひとつ落ち着かなくなる。
どうすれば豊かになるか。まずは観光か。沖縄は確かに独特の文化があり、それは観光資源である。沖縄村なるところへいったが、意外に見世物小屋に堕していない運営だったのでほっとした。こういうことならプライドを持って売れる。しかし、きれいな海と言う沖縄の最高の観光資源はどう売るのだろう?ホテル作って観光客を接待する。いろんなレジャーに付き合ってあげてカネをとる。自然自体を売るというのは、結局下働きの雇用機会しか発生しないのだろうか。僕が泊まったところみたいにオペレーション丸ごと開発して本土進出というのもありえないことではなかろうが、稀有な例だろうな。
ここが奈良や京都と大きく違うところだ。文化を観光にすると住人は文化の守護者や伝達者のポジションを取れる。自然だとそうは行かない。山ならまだガイドとか山小屋といった伝達者・守護者のポジションがあるが、海は難しい。基本的に裸で寝そべったりじゃれたりしている連中に飲み物を運ぶことになる。海はとりわけ「リラックス」という観光目的を持たれるため、伝道することは何もない。
観光により豊かで誇り高い沖縄を生み出すことはずいぶん難しそうだ。と思ったのだが、なにか方法もありうるかな、と考え直した。京都・奈良は社会的なまた政策的な文化財保護により厚く守られている。如何に金持ちでも、金閣寺を借りて紅葉の秋にステイしたい、などとほざくことはまかりならん。しかし、海に関しては当然のごとく可能だ。この要素が「自然」による観光立地を「卑しく」してしまう要素なのかもしれない。ならば。海岸は売らないことだ。大幅に開発を制限し、渇望される場所としての立場を保とう。それだけで京都や奈良の誇り高きポジションになれるわけではないが、いまよりはずっとましだろう。自然系の観光立地がある程度カルテルを組む必要があるかもしれないが。