御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

吉田拓郎と尾崎豊

2008-02-14 23:03:08 | 書評
橋本努氏の本で60-70年代の象徴として「あしたのジョー」が取り上げられたのを見て、そういえば吉田拓郎の「人生を語らず」がシンクロしているように思われた。それで探したら歌詞に感動。これは大変な傑作と思い更に探るとYou Tubeに3っつもアップされていた。この中では85年7月の嬬恋オールナイトライブの分がとてもよかった。重く歌いたくなるこの曲を軽々とまた振りつけやポーズも最小限に淡々と歌い上げ本当に格好がいい。

それで、橋本氏の本の流れで尾崎豊もついでに見た。確かに声はいいしかっこいいな。しかし、拓郎の軽々とした無頼のかっこよさを見たあとではさすがに演出過剰であり歌詞もわざとらしい。メロディはとてもいいと思うが。彼は成熟したらかなり良くなっていたのかもしれない。惜しいことをした。

橋本努「自由に生きるとはどういうことか」

2008-02-12 23:05:28 | 書評
のっけから恐縮だが、この題名は適切でない。時代ごとの「自由」というよりも「精神的理想」の推移を語って非常に面白かった。

①戦後:エログロナンセンスの氾濫とその反動としてのパブリックスクールの理想化
②-60:ロビンソンクルーソーを理想とするリベラル型個人

実はこの辺まではそれほど面白くない。所詮小泉信三だの大塚久雄などインテリが語っていることの考証であり、どれほど時代をリードしたかがよくわからない。

③60後半:あしたのジョーの「真っ白な灰燃え尽きる」精神。

これは見事だった。僕が長年持ってきた全共闘世代への疑問がすっきり解消したような気がする。もう他の人が論じているのかもしれないが、この世代の若者には好い子として振舞ってきた自分を否定しつくしたい、燃え尽きて溶解したい志向があったそうな。そうかそうかとうなづいた次第。
ところでたくろうの「人生を語らず」を思い出し調べたら74年に出ていて少しあと。それにしても歌詞のすばらしいこと!

④70-80:この支配から卒業せよ。フーコー的閉塞からの脱出

これはいまいち。というか、中心題材に取り上げた尾崎豊が、どうしてもたくろうと比較してけち臭く小物で悲しげに見えてしまった。学校のカラスを割るだのバイクを盗むだのそんなことしかできなくて閉塞感を歌うとはどう言う了見だ?さっさと家出でもして土方でもやれよ、といいたくなるね、ごたごた言ってないで。これが受けた時代というのはどうにか理解したい気もするが。まあ、わかるけどね、そのくらいのけちなことしかできないで閉塞を歌うへなちょこさが「私と一緒!」と共感を呼んだのだ。いま受けてる便益を損なってまでその閉塞を破る程の勇気もない、サラリーマンの居酒屋での愚痴と変わりはない。同じ勇なき心情が共鳴したんだよ。

⑤90年代:オウムとエバンゲリオン - グノーシスの願望とその拒否 -

この章はエヴァを僕が知らないこともあり難解であった。90年代はオウムとエヴァによる宗教的終末感が支配した。そしてそこにあったのは死(=滅亡)と魂の救済を願う、たとえば一億総玉砕のような、グノーシス的願望であった。 しかしその願望はエヴァの中では最終的には否定され、シンジは「自由主義者」としてつらく散文的な現実をあゆむ、ということのようだ。

⑥そして現代:創造性を手がかりに

率直に言ってこの章は未消化だと思う。橋本さんのゼミに行って終章を共同で書いて見たいね。

竹森俊平「1997年ー世界を変えた金融危機」

2008-02-11 00:19:32 | 書評
うーん、これは。ちょっと困ってしまったな。
最初の70ページぐらいはけっこう面白い。当時切歯扼腕して渦中にいた金融危機(日本、アジアとも)の記述はとてもよくまとまっているし、IMFの過剰干渉政策の背景などこの本にして知ることのできたことは少なくはない。

しかし、である。74ページからナイトの不確実性が出てきてからもうだめだ。第一にどんな現象もナイトの不確実性と言ったのでは話にならないし、第二に不確実性と「リスク」の問題をもう少しまともに掘り込んでおかないとなんのこっちゃわかる話じゃなくなっちゃう。
そう思って見ると、29ページでいっている「引き当てするとすぐに清算しなければならないと銀行は誤解していた」(僕の理解では無税償却の前提が清算であったにすぎない)ということをしっかりした裏をとらずにいっているように見えるのはずいぶん気になる。
もうひとつ。132ページで「ギルボアとシュマイドラーは、エルスバーグの指摘した行動原理を、マキシマン原理として表現できることを証明したのである」と言っている。第一に、マキシミン「原理」といえばロールズが出てきそうだ。学者ならマキシミン「戦略」と言って欲しいな。第二にこれは証明というほどのことじゃない。これも学者らしからず。

率直に言って竹森さんは実質を言えばもと学者いまジャーナリスト、というところじゃないだろうか。率直に言って月刊誌に載っている「金融ジャーナリスト」なる人々の論とた大して変わらないのではなかろうか。

しかししかしこの本は評価高いよなあ。そこは3月号の文芸春秋で加藤陽子さんが言っていた「経済は難しいので専門家は不安感を背景にいかようにもいえる」「1月下旬まで日本株だけが下がっていた状況で国内の改革の遅れを指摘する声がかびすましかったが、以降他国の株価が下がったらすっとそういう声がやんだ」という痛快な指摘がヒントとなろう。
経済は難しくないんですよ。皆さん堂々と論じてくださいね。それにきっちり反論したり教育するのが専門家の役目です。それは経済の分野に限りませんよね。

マックス・ウェーバーの哀しみ

2008-02-10 23:49:31 | 書評
「マックスワーバーの犯罪」で犯罪事実を立証した著者が、更にその動機に迫ったもの。氏はソウシャルワーカーの仕事をしている(いた?)ので、通常の学者・研究者には見られない独特の視点と嗅覚から迫っている。
しっかしまあ、ウェーバーに母親との葛藤、それを原因とする精神病があったとは知らなかった。

なるほど、とは思うな。でも、その葛藤への答えが「倫理」を膨大な著作とその捏造(?)である必要があるのだろうか。その点への必然性は今ひとつ弱い気がした。もう少し素直に、講義に難儀を抱える学者が手っ取り早く捏造を含む著作で名声を得ようとした、という風には見られないのかな、とは思った。