(大山ゲート前での中頭青年団OB会の座り込み。有銘政夫さんがカンカラ三線にあわせて「艦砲ぬ喰えーぬくさー」を歌う。)
10日(水)、早朝6時から大山ゲートに向かう。今日は、30名ほどの参加。オスプレイの配備強行から9日が経過したが、まだ人々はあきらめてはいない。
基地に入る米兵の車は、午前6時~8時で、600~800台ほど。複数の米兵らが乗っている車も多いし、バスもやってくるので、延べにすれば、1000名ほどの米兵らが、「ヤンキーゴーホーム」等の抗議を受けていることとなる。野蒿ゲートでも終日、同じ行動が続いているから、基地に出入りする米兵たちのほとんどは、自分たちに突きつけられている沖縄県民の怒りを痛感しているにちがいない。
8月頃は、手を振ったり、笑いかける米兵らが多かった。しかし、もう、米兵らの顔に笑みはない。皆、緊張した顔をして通りすぎていく。沖縄の人たちは優しいので、今まで、米兵らは、沖縄での基地暮らしが快適そのものだっただろう。しかし、もう風向きは完全に変わった。
そして、9時頃、野蒿ゲートに向かう。ここでも、50名ほどの人たちが集まっていた。平和運動センターとしての取組は終わったが、人々は、今週になってもゲート前に集まり続ける。
午前10時頃、また、大山ゲートへ。中頭青年団OB会の座り込み行動だ。復帰運動の際は、労働組合だけではなく、こうした地域の青年団の活動が大きな役割を果たしたという。
挨拶もそこそこに、カンカラ三線が登場。有銘政夫さんの反戦島唄・「艦砲ぬ喰えーぬくさー」が素晴らしかった。