Alohilani

何てことナイ毎日のつぶやき。
取るに足らない日常のアレコレ。

葬儀。

2012-05-28 23:36:18 | Weblog
先週の木曜日、伯父が亡くなりました。
千矢父の1番上の兄にあたる人で、先祖代々の農家を継いで家と土地と墓を守ってきた人でした。
千矢父とは確か1周りくらい年が離れているので、子どもの頃はちょっと怖いと感じることもありました。
けれど本当は、怖そうな顔をしていても目の奥が優しく、暖かい光を持っていることは知っていました。
木造平屋の大きな家の、居間の定位置にどんと座り、いつも同じく威厳を放っている人でした。
飛びついて甘えたりというようなことはしたことはありませんでしたが、学校の話をしたり成績表を見せたりすると、感心したように褒めてくれたものでした。

大人になって結婚して、両親の実家に行ったり親戚に会ったりすることはほとんどなくなりました。
結婚式とか、法事とか、そんな冠婚葬祭の場でしか、顔を合わせなくなっていました。
伯父は1番の高齢ということで、そんな場にも出席することが難しくなり、従兄がその代理を務めるようになってどのくらいが経ったでしょうか。
ここ数年は、入退院を繰り返していたそうです。

サキヒナを連れていくには遠く、結婚式ならともかく葬儀という場で押さえ込むことも困難と判断し、私だけが電車で出掛けました。
サキヒナはいつも通り保育園に連れて行き、お迎えはハルトくんに早退なり午後半休なりで対応して貰おう、と。
結論から言うと、この判断は正解でした。
他の従兄弟達にもサキヒナくらいの子ども達がいるけれど、連れて来ている人はいなかったから。

何年も会わずにいた伯父の顔を見て、私が中学生の時に亡くなった祖父にそっくりであることに驚きました。
私の記憶の中の伯父は、年を重ねても祖父とは違うなという印象だったのですが、棺に眠る伯父は、祖父の血を引く長男であることを主張するかのように、祖父そっくりの顔をして眠っていました。
私が最後に伯父に会ったのは、結婚式をした数ヵ月後、高齢のため結婚式に来られなかった伯父に、ご挨拶に行った時でした。
その時は、やっぱり祖父に似てるなんてことは全然思わなかったのに。

伯父はね、栃木の田舎の農家にしては、イケメンだったのですよ。
すっと鼻筋が通って、目が明るい茶色で、子どもの頃は「ちょっと外国人みたい」と思っていました。純日本人のはずですが。
2番目の伯父も千矢父も、普通のおっさんって感じなのに! (オイ)(因みにこの2人はよく似ています)

滞りなく式は進み、火葬を終えて、解散となりました。
久々に会う親戚とのお喋りも、「大人の話ツマンナイ」と遊んでばかりいた子どもの頃とは違って、一緒に楽しく会話することができました。
子どもの頃以来会ってなかったんじゃナイ!? という従姉もいて、「ちやちゃん、大きくなっ… ってナイねぇ~!」「そこは大きくなったって言えよ!」みたいな会話も弾みました。
千矢父は5人兄弟の4番目で、従兄達もほとんどが弥生さんよりもずっと年上。
従兄弟達の中で私は下から2番目なのですが、全員が大人になった状態でこうして集まるのは、ある意味初めてだったかも?
近況などを話したり、思春期に気まずくなったりしていた思い出話をしたり、これまで相手が大人過ぎてまともに話せなかった従兄弟達とも自然に話せるようになっていました。

時は、流れています。
人は、成長し、やがて老いていきます。

伯父さんは、亡くなった姿を見ても、火葬してお骨になったことも、目の当たりにしているのに実感が湧きません。
千矢父の実家の、あの大きな木造平屋の家に行ったら、いつものポジションに座って新聞を広げ、テレビのリモコンを探しているような気がしてなりません。
どうか安らかに、お休みくださいますように。

帰りも駅まで送って貰って電車で帰ろうと思ったのですが、高速の入口と駅との関係上、私を駅まで送った車は高速に乗り損ねることが判明。
千矢父に「ちやは弥生達に便乗していけ! そこから電車で帰ればイイだろう!」と言われ、素直にその通りに。
あき兄の運転する車の中ではまんまと爆睡してしまいましたが、渋滞にはまったりすることもなく、順調に東京に戻ることができました。

家に着いた時は、ハルトくんがサキヒナをお風呂に入れて出たところでした。
普段私が1人でやっていることとはいえ、ハルトくんは大丈夫だったかな? 夕飯はどうしたの?
尋ねてみると、夕飯は牛丼買って済ませてやがった…。
平日の夕飯を買って済ませる、というのは、私が最後の最後に切り札的に使おうと思っているのにー!

疲れたけれど、良い1日でした。

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