何だか、妙に体調の悪い1日。
風邪とかそういうことではなくて、何故か1日中、気持ちワルイとかリトドリン副作用が酷いとか、何だかそんなようなこと。
昨日悪天候で出掛けられなかったハルトくんは、サキタを連れてお出掛けだ。
正直、車を出していたなぁくらいで、どこに行ったのかまでは聞いたけど覚えていない。
お昼には私のリクエストしたパンをコンビニで買って帰って来てくれたから、そう遠くまで行ったわけではナイだろう。
午後も、どこかに出掛けていたかな?
私はほとんど寝て過ごしてしまったようなもんだった。
サキタは朝9時過ぎまで寝ていた(勿論家族揃って寝ていたことになる)せいか、今日はお昼寝をしなかった。
眠そうな素振りはあっても、パパと遊んでいたいようで、頑張って寝ないでいるような。
おかげでハルトくんはサキタの相手をしながら家事をやったり買い物に行ったりすることになったので、夜にはぐったりと機嫌も悪くなっていた。
普段なら気を回して自然にやってくれているようなことも、疲れとイラつきに目隠しをされ、気がつかないでできない、といった様子。
自分でもそれがわかっていて、「気を遣って遠慮しているのかもしれないけど、俺が思いつかないことでやっておいて欲しいこととかやっておいた方がイイようなことに気付いたら、言うようにしてよ。そのくらいできるだろ」と。
うん。うん。うん。
そうだね。
でも疲れた顔を見たら、これ以上何かを頼むのは躊躇われた。
だけど明日からまたヘルプを頼まなきゃいけないから、そちらの負担も減らさなければならなくて、かといって自分でできることは本当に僅かで。
ツライのが自分だけで、しんどいのが自分だけで、自分が頑張れば済むというだけなら、いっそその方が楽だった。
私がただ何かの病気で、私だけの体だったら、ちょっとくらい無理して動いても、その後寝込めばそれで良かった。
だけど、お腹が張ればしんどい思いをするのはイクで、万が一早産にでもなったら命や障害を背負う危険に晒されるのもイクだ。(私も死ぬかもしれないけど、日本には母体優先の原則があるから、多分イクよりも優先的に処置・救命されてしまう)
周り皆に助けて貰って、体はとても楽に過ごせている。
このまま行けば、きっとイクは無事に産めることだろう。
だけど周りの負担は確実に積み重なっていて。
もう少し、私も動かなければならないと思う。
ただ、お腹の張りはわかるようになったものの、痛みはなく、その気になればいくらでも無理が利く。
切迫早産に繋がらないボーダーラインはどこだろう。
イクが苦しまずに済むボーダーラインはどこだろう。
内子宮口が開く感触や、子宮頸管が薄く(短く)なる感触は、ナイ。
自覚症状がナイ切迫早産の進行に、私がどこからどこまで動いて安全で、どこまでいったら危険になるのか判断するのは不可能に近い。
元気いっぱいの時には「とにかく動かず横になって、安静にした方がイイ。無事に産むまで、体が1番大事」と理性と感情が一体化できていても、疲れ始めた周りの正直な気持ちは、私にも「安静は必要にしても、もうちょっと動けや」だと思う。
だけど動いていて、万が一のことになった時、「それ見たことか。じっとしていないからだ」と、誰も言わないのだろうか?
考えても仕方ナイことだとわかってはいても、どうしてこんなことになってしまったんだろうという思いがぐるぐるする夜。
何が、どこから、悪かったのだろうか。
どうして、お腹はこんなにも張る様になってしまったのだろうか。
どうして、内子宮口が開き掛けてしまったり、子宮頸管が短くなってしまったりしたのだろうか。
薬で危機は去ったけれど、またそうなる可能性がくっきりと残ってしまったのだろうか。
私が、何か悪かったのだろうか。
もう、天使を産みたくはナイ。
だから素直に、周りに頼らせていただく。
とても心苦しいけれど、動けない分思考ばかりがぐるぐるしてしまうけれど、イクを守るために、図太く甘えさせていただく。
そして「ありがとう」と「私は大丈夫♪」を繰り返す。
笑顔で。
風邪とかそういうことではなくて、何故か1日中、気持ちワルイとかリトドリン副作用が酷いとか、何だかそんなようなこと。
昨日悪天候で出掛けられなかったハルトくんは、サキタを連れてお出掛けだ。
正直、車を出していたなぁくらいで、どこに行ったのかまでは聞いたけど覚えていない。
お昼には私のリクエストしたパンをコンビニで買って帰って来てくれたから、そう遠くまで行ったわけではナイだろう。
午後も、どこかに出掛けていたかな?
私はほとんど寝て過ごしてしまったようなもんだった。
サキタは朝9時過ぎまで寝ていた(勿論家族揃って寝ていたことになる)せいか、今日はお昼寝をしなかった。
眠そうな素振りはあっても、パパと遊んでいたいようで、頑張って寝ないでいるような。
おかげでハルトくんはサキタの相手をしながら家事をやったり買い物に行ったりすることになったので、夜にはぐったりと機嫌も悪くなっていた。
普段なら気を回して自然にやってくれているようなことも、疲れとイラつきに目隠しをされ、気がつかないでできない、といった様子。
自分でもそれがわかっていて、「気を遣って遠慮しているのかもしれないけど、俺が思いつかないことでやっておいて欲しいこととかやっておいた方がイイようなことに気付いたら、言うようにしてよ。そのくらいできるだろ」と。
うん。うん。うん。
そうだね。
でも疲れた顔を見たら、これ以上何かを頼むのは躊躇われた。
だけど明日からまたヘルプを頼まなきゃいけないから、そちらの負担も減らさなければならなくて、かといって自分でできることは本当に僅かで。
ツライのが自分だけで、しんどいのが自分だけで、自分が頑張れば済むというだけなら、いっそその方が楽だった。
私がただ何かの病気で、私だけの体だったら、ちょっとくらい無理して動いても、その後寝込めばそれで良かった。
だけど、お腹が張ればしんどい思いをするのはイクで、万が一早産にでもなったら命や障害を背負う危険に晒されるのもイクだ。(私も死ぬかもしれないけど、日本には母体優先の原則があるから、多分イクよりも優先的に処置・救命されてしまう)
周り皆に助けて貰って、体はとても楽に過ごせている。
このまま行けば、きっとイクは無事に産めることだろう。
だけど周りの負担は確実に積み重なっていて。
もう少し、私も動かなければならないと思う。
ただ、お腹の張りはわかるようになったものの、痛みはなく、その気になればいくらでも無理が利く。
切迫早産に繋がらないボーダーラインはどこだろう。
イクが苦しまずに済むボーダーラインはどこだろう。
内子宮口が開く感触や、子宮頸管が薄く(短く)なる感触は、ナイ。
自覚症状がナイ切迫早産の進行に、私がどこからどこまで動いて安全で、どこまでいったら危険になるのか判断するのは不可能に近い。
元気いっぱいの時には「とにかく動かず横になって、安静にした方がイイ。無事に産むまで、体が1番大事」と理性と感情が一体化できていても、疲れ始めた周りの正直な気持ちは、私にも「安静は必要にしても、もうちょっと動けや」だと思う。
だけど動いていて、万が一のことになった時、「それ見たことか。じっとしていないからだ」と、誰も言わないのだろうか?
考えても仕方ナイことだとわかってはいても、どうしてこんなことになってしまったんだろうという思いがぐるぐるする夜。
何が、どこから、悪かったのだろうか。
どうして、お腹はこんなにも張る様になってしまったのだろうか。
どうして、内子宮口が開き掛けてしまったり、子宮頸管が短くなってしまったりしたのだろうか。
薬で危機は去ったけれど、またそうなる可能性がくっきりと残ってしまったのだろうか。
私が、何か悪かったのだろうか。
もう、天使を産みたくはナイ。
だから素直に、周りに頼らせていただく。
とても心苦しいけれど、動けない分思考ばかりがぐるぐるしてしまうけれど、イクを守るために、図太く甘えさせていただく。
そして「ありがとう」と「私は大丈夫♪」を繰り返す。
笑顔で。