Alohilani

何てことナイ毎日のつぶやき。
取るに足らない日常のアレコレ。

11月16日⑥ 午後

2009-11-16 06:00:00 | Weblog

お昼ご飯を済ませて、ベッドに横になった午後。
何度も助産師さんが出入りする。
検温だったり、問診だったり、点滴だったり、血圧測定だったり、まぁいろいろとやることがあるらしい。
けれど、それらは皆助産師さんがやってくださるので、私はただひたすらに暇だった。
ぼーんやりと、何をするでもなく、腰が痛くなれば寝返りを打ち、たまにトイレに立ち、用意して貰った濡れタオルを乗せ直し、こっそり携帯をいじるくらいだ。

助産師さん達は知らない顔も多かったけれど、サキタの出産時にお世話になった助産師さんもいて。
サキタを取り上げてくれたメイン担当の助産師さんは、入院中、何度も何度も私の部屋に足を運んでくれた。
助産師さん達は皆、笑顔で優しく、たくさん話しかけてくれたり、ちょっとした質問などに丁寧に答えてくれたり。
正直、ちょっとスゴイなと思うほどの気配りっぷりで。

やっぱり、元気づけようとしてくれているのかなー…。
それか、鬱や自殺の予防か?

何度か話をする中で、私が笑顔で普通に会話する様子に、助産師さん達は口を揃えて言うようになった。

「元気そうに見えるから心配」
「後で『来る』んじゃないか心配」
「あなた無理しそうだから心配」
(元気なサキタを見て、「上の子がいるから」ということだろうが)

どうやらプロの目から見て、私は「元気過ぎる」らしかった。
それはとてもイイことではあるのだけど、客観的に見て、私はちょっとおかしいようだった。
泣かない。沈まない。喋るし、食べるし、眠るし、笑う。
この「笑う」が、心配なのだと言っていた。
助産師さん達が、神妙な顔つきで励ましの言葉を口にしている時も、無理に笑顔を返す必要などナイ時でも、私は笑顔で返事をしていたからだろうか。

私は確かに、大きなショックを受けていたけれど。
取り乱して泣き喚いたり、自分を責めて蔑んだり、ということはなく。
卑屈になることも自虐的になることもなく、捻くれた考え方になることもなく。
周りから掛けられる優しい言葉は、素直に心に届いていた。

助産師さんに「あなたが悪かったわけではナイよ」と言われれば、「そうか」と自分を責めることはなかった。
先生に「全妊娠の1~2割は流産や死産になるものだから珍しい症例ではなく、治療してまた妊娠は望めます」と言われれば、「そうか」と絶望的な気分になることもなかった。

ハルトくんも、サキタも、千矢父も、千矢母も、皆優しかった。
私の体と心を気遣って、一緒に悲しんでくれて、テパのことを想ってくれて、冥福を祈ってくれた。
私の回復を、願ってくれた。

誰も、私を責めなかった。

私の周りには、優しい人しかいなかった。

テパだってそうだ。
千矢母の友人が「赤ちゃんがお母さんを助けたのよ。お母さんが亡くなるのは、もっとずっと大変なことだから」と言っていたそうだ。
テパは父に妻を、兄に母を、母に命と家族の可能性を遺して、感染症を引き受けて逝ったのだとしたら、なんて優しい子なんだろう。

これでは、うかうか落ち込んでもいられまいよ。
周りの優しさに応えるためにも、私はさっさと体を治す気満々だった。
気持ちは、前を向いていた。
過ぎてしまたことは、もう取り返しがつかない。
私にできることは、常に今より前にあるのだ。

夕方になって、またハルトくんがやってきた。
サキタは変な時間に叩き起こされたため、すっかり時間のペースが狂い、ただいま爆睡中だという。

「できれば、サキタには明日から保育園に行って貰った方がイイかもしれないな。
その方がサキタはいつものペースに戻れるだろうし、食事も遊びもお昼寝も、満足にできるだろうし。
俺もやることはいろいろあるし、お母さんも疲れているだろうから、時間を上手く使うためにもその方がイイと思うんだけど」


確かに、サキタが元気なら保育園に行っていた方がイイかもしれない。
千矢母も体調は良くないハズだから、無理しない範囲で手伝って貰いたい。

それから、ハルトくんは何をするでもなく傍にいてくれた。
ハルトくんも疲れていたので、ベッドの横の1人掛けソファで、座ったまま居眠りしていたりもした。
そんな時は、私も一緒になって眠った。
2人で、静かにじっとして、少しでも体と心を癒そうとしているかのようだった。

夕飯もキレイに食べた私は、昼間これだけ動かず寝てばかりいたくせに、21時にはもう眠たくなっていた。
この上もなく強烈な1日だったのだ、それもまた仕方ナイと思いつつも、普通に眠れる自分がおかしかった。

私が眠くなったのを見てとったハルトくんは、また明日来てくれると言って、帰って行った。
寝る前に携帯をいじっていると、昼間報告日記をUPしていたmixiで、メッセージやコメントが寄せられているのを目にした。
その中に、「テパくんがいたことを忘れない。最初の赤ちゃんも」と言ってくれたメッセージがあった。

初めて、1人でいる部屋の中で、涙がこぼれた。

もうこれだけで、テパも最初の赤ちゃんも、消えてなくならない、と思った。
生きて生まれては来なかったけれど、私達家族以外にも、覚えていてくださる人がいる。
サキタのように元気に産まれて育っていく子供は、これから家族以外のいろんな人たちに囲まれ関係を持って、生きて行くことになる。
本来なら、テパも最初の赤ちゃんも、家族の胸の中にだけ生きて行く存在であったかもしれナイ。
でも、私がmixiやブログに書いたことによって、家族以外の人達の優しさに触れ、ネットの世界かもしれないけれど、テパや最初の赤ちゃんが、家族以外の方々と関係を持てたことが、私には嬉しかった。
テパも最初の赤ちゃんも、消えてなくならない。
私達家族だけの、夢や幻で終わらない。
きっと優しい人達の祈りは届き、幸せに過ごしているとさえ思える。

ああ、泣いてイイんだな、と思えて、込み上げる涙を我慢せずに泣けた。

我慢しているつもりなど微塵もなかったけれど、「やっと泣けた」という思いがそこにあった。

11月16日⑤ 手続き

2009-11-16 05:00:00 | Weblog

私が幻覚に翻弄されているうちに、時間はどんどん過ぎていた。
今日は月曜日なので、本来なら出勤しなければならナイところ。
当然ながらしばらくの入院を言い渡されているし、こんな状態で行っても何の役にも立てナイため、仕事は休み。
休みの連絡は、ハルトくんが入れてくれたようだった。
電話を受けた上司も、さぞ驚いていたことだろうよ。
上司も客先の部長も私のことを大層心配してくれたようで、ゆっくり休むように言ってくれたそうだ。
すいません…。
富山のハルトパパ&ハルトママには、もっと早い時間、2人が出勤する前の時間に連絡を入れていたらしい。
こちらも、さぞびっくりしただろうね…、心配掛けてしまっているだろうな…。

他にも、入院の手続きやら、テパの今後やら書類上の手続きやら、ハルトくんが助産師さんに説明を受けたらしく、その内容を掻い摘んで話してくれた。

「ちやは動くのもキツイだろうし、手続きなんかは俺がやっておくから、心配しないで。
ゆっくり休んで、まずは体を治さなきゃな。
俺も休みを貰えたから、サキタのことも心配しないで。
それに、ちやのお母さんも手伝いに来てくれると言っているから、この際甘えさせていただこうと思っているよ」


こんな時のハルトくんは、本当に頼りになる。
諸々の手続きなどは、ハルトくんに任せてコケたことはナイのだ。
本来なら、入院手続きくらいは私が自分でやるべきなのかもしれナイけれど、腹痛と腰痛で満足に歩くこともままならない今の状態では、代行してくれるというのは心底ありがたかった。

さて、そんな手続き関係の中に、テパの火葬についての話があった。
確かにいつまでも冷たいところに置いておくわけにはいかないし、やるべきことはやってやらなければ。
最初は「ツライだろうから、ちやはイイよ無理しないで。俺が聞いてやっておくから」と言っていたハルトくんも、「やっぱりちやにも一緒に聞いてもらいたいのだけど」と言い出した。
確かに、テパにしてやれる数少ないことになら、私も参加しておきたいと思うし、体はツライが頭は動くので、もちろんそれでイイと答え、個室内で業者さんの説明を聞くことに。

火葬は病院に言われるままに市の火葬場で行うこととして、そこの担当者という男性がやってきた。
別にどっかの火葬場でなきゃ!みたいな拘りなどナイし、そもそもこんな時にどうしたらイイのかなんて知るわけもナイから、もうプロにお任せする気満々で説明を受ける。
すると、アレコレ選択肢があるわけでもなく、「こうこうこうですが、よろしいでしょうか?」みたいに、あらかじめ決まっているスタンダードな流れの説明を受け、それを承諾する、というスタイルだった。
市役所に提出する死産届も、ハルトくんが行くものとばかり考えていたけど、業者さんが行ってくれるのだそうだ。
ハルトくんも、「正直、行くの気が重かったから…頼めるのは良かった」と言っていた。
因みに、お値段も驚くほどリーズナブルだったよ。
テパのためならそんなところケチるつもりもナイけど、ほとんど棺桶代と必要経費で、人件費こんなもんですか?という感じ…。
担当者の男性も、清潔感があって信頼できそうな人だったし、誠実な対応、という印象だったよ。
よろしくお願いします。

日取りはこの時点で空いているのが水曜日の午前10時半か午後3時半、その後だと金曜日の午後3時半になるという。
こんな場合は両親だけで見送ることも多いようだけど、多分千矢父・千矢母は参列すると言うと思うので、富山からハルトパパとハルトママが来るかどうかをその場で連絡して確認。
来てくれるということで、朝富山を出発すれば間に合うようにと、水曜日の午後3時半を抑える。

「燃えるものなら一緒に棺桶に入れることもできますので、何かあればそれまでにご用意ください。お花は病院様がご用意くださるとのことでした」
「あの…私、多分それまでに退院はできないと思うのですが、母親が参加しないなんてこと、あるんでしょうか…」
「お母様は体調の回復されない場合も多いですが、病院の許可が出れば一時的に外出ということで参加なさる方もおられます。
大人の方ですと、1時間半ほど焼く時間がか掛かるのですが、小さなお子様の場合は骨を残すためにもっとお時間は短く、30~40分程度です。
3時半の場合は3時頃お越しいただいてお別れの時間を取り、焼く間お待ちいただいて…そうですね、遅くとも5時には病院へお戻りになれると思います」


たまたまやってきた助産師さんに伺ったところ、当日の体調を見て外出許可を出せると思う、とのこと。
テパの旅立ちの見送りに、私が行けなくてどうするよ。
それまでに可能な限りの回復をしておくぜ!!

話が一通り纏まり、業者さんが出ていくと、ハルトくんは大きく息を吐いてベッドの横にある一人掛けのソファに深く腰を下ろした。
溜め息を吐いて顔を両手で覆ったハルトくんは、疲れた様子でしばらく顔を上げなかった。
話をしている間、時間を聞いた直後に忘れていたり、何かと聞き返したりしていたから、ハルトくんもいつもとちょっと様子が違うように思える。

「…お疲れ。大丈夫? いろいろやってくれて、ありがとうね」

私の声に顔を上げた時、ハルトくんの目は潤んでいた。

「ゴメン、ちやが1番ツライんだと思うんだけど…。いろいろ人に説明したり、手続きとかあったりして、実感が湧いてきて悲しくなってさ」

こんな時、母親が1番ツライというのは、誰が決めたんだ?
1番ツライ思いをしたのは、間違いなくテパだ。
そして、それに続くツライ思いをしているのは、私だけではなくハルトくんだってそうだろう。
私は確かに肉体的にすごく痛い目にあっているけれど、悲しみを体と心に分けているようにも思える。
だけどハルトくんはその悲しみを心だけで受け止めなければならず、更に体が動けるというだけで人に説明をしたり、手続きをしたり、サキタの面倒も見て、うちの親にも気を遣って、テパのことをゆっくり考えながら落ち着く暇もナイ。
悲しみは言葉にすると、急激に実感を伴って来るものだ。
ハルトくんは職場に報告と休暇の説明をすることで、私よりもずっと早く、自分の口にした言葉によって、悲しみを具体化させてしまっている。
忙しく動き回っているうちはイイかもしれないが、今のようにふっと休む時間ができたときに、ツライ気持ちが込み上げてくるのは当然のことだ。

号泣することもなく、静かに少しだけ涙を流したハルトくんは、その気持ちをどう整理したのだろうか。
しばらくすると、気持ちを切り替えるように立ち上がった。

「じゃ、お母さんにサキタを任せてしまっているから。
サキタにご飯を食べさせてあげなきゃいけないし、お父さんとお母さんは一旦帰るそうだから、俺も1度家に戻るね。
お母さんは、着替えとか泊まりの支度をして、また来てくれるそうだよ。
ちやをちょっと1人にしてしまうけど、また来るからね」


ちょうどその頃、病院でもランチタイムに。
部屋に食事が運ばれてくると、入れ替わるようにハルトくんは出て行った。
残された私は、目の前に出された食事をどうしたかというと、やたら多かったお粥を残したくらいで、平然と平らげたのだった。
体を起こすと腰やらお腹やらが痛んだけれど、昨日は結局ロクに食べていないし、今日も気が付けば何も食べずにいた。
お腹が減った、とは思っていなかったけれど、食べていたらお腹が減っていたことに気付いた感じ。

こういう時ってさ、眠れなくなったり、何も食べ物が喉を通らなかったりするんじゃナイの?
助産師さんだって、しきりに「無理しなくてもイイんだよ。食べられなくたって点滴をしているから、体は大丈夫なんだからね。気持ちで無理はダメだよ」なんて言っていたのに。
私ってヤツは、こんな時でもご飯を食べるし、麻酔のせいもあったかもしれないけど、ガンガン眠っていたよな?
その方が回復は早いに違いナイけど、テパがいなくなってしまったというのに、私の体はどれだけ生に対して貪欲なのか。

食後に飲めと言われた薬を飲み、またベッドに横になった。
目を閉じたら、このまま眠れそうだった。
それがまた、自分がテパに対して薄情なのかと思えて、げんなりした。
早く元気になるには、もちろん食べて眠ったほうがイイ。
だけど、それができてしまう自分が、おかしいような気がしてならなかった。


<続く>

11月16日④ 幻覚

2009-11-16 04:00:00 | Weblog

時刻は、7時半を回っていた。
途中で何度も助産師さんがやってきて、様子を見てくれたのだけど。
陣痛がひどくなったり出血が多くなったりはしても、胎盤が出てくる様子はナイ。
無駄に体力のある私も、睡眠不足と長く続く痛みと高熱(多分40℃近く)に、さすがに疲れた。
(待っている間に、全力で拒み続けた導尿カテーテルも1回入れられたし。orz)

病院側としても、さすがにもう自然に出てくるのを待ってはいられなくなったようだ。
当直の先生が変わったのか、知らない女の先生がやってきた。

「胎盤、出ないようですから手術で取り除きましょう。私が担当します。麻酔をするから同意書にサインをいただきたいのだけど、書けるかしら」

こんだけ長いこと陣痛に耐えたのだから、自然に出て欲しいと思ったけれどそうもいかないらしい。
弱くて脆い胎盤なので、もしかしたら自然に出てくることができないのかもしれないとのことだった。
だったら最初から手術で出してくれりゃあ良かったのに…。orz

私が同意書にサインをし、家族としてハルトくんもサイン。
テキパキと助産師さん達が準備を始めると、手際良くストレッチャーに乗せられ、分娩室を通過して手術室へ。
この病院には手術室は1つしかナイそうなので、2年半前のあの部屋か…と思うとうんざりした。
もうこの部屋に厄介になることは、一生あるまいと思っていたのに。

助産師さんは、3,4人で寄ってたかってアレコレと準備をしてくれているようだ。
その様子は2年半前とそう変わらず、ただ違うのは、助産師さんが何やら積極的に話しかけてくれることだった。
元気づけようとしてくれているのだろうか…?
やがて先生がやって来て、点滴の針が刺しっぱなしになっているところから麻酔を入れられる。
ひんやりとした冷たい腕の感触を最後に、私は眠りに落ちて行った。

気が付いた時は、いつだったのかわからない。
多分、部屋に運び込まれる前だったのだと思う。
何故そんなすら分からなかったのかというと、その時の私は、激しい幻覚を見ていたからだ。
意識はある。
けれど目を閉じると、「CGか!?」というような超映像が瞼の裏でめまぐるしく展開し、妙なハイテンションに襲われていた。
周りにハルトくんや千矢父・千矢母がいることはわかるし、何か会話していることもわかる。
目を開ければそこにいる皆の姿が見えるし、部屋の様子や音も聞こえるし、会話もできる。
ただ、頭がぼんやりゆらゆらとしていて、瞬きをすると現実と幻覚の両方が混じり合い、音も現実と幻覚が混ざり合っているのでやたらとうるさく聞こえ、変に気分が高揚し、すげぇぇぇ!!という感じ。
麻酔に、何か変な薬が入っていたんじゃねぇだろな。
また、体に残る感触も幻覚としてあった。
具体的に言うと、腕に針を刺される感触と、助産師さん達の内診の感触と、血圧計で腕が圧迫される感触。
しかし目を開けると、処置どころか誰も私に触れてすらいない。
なのに目を閉じると、途端に体にその感触が甦り、忠実に再現され続けるのだ。
そんな状態であることをハルトくんに訴えてみても、どうコメントして良いやらという顔をされる。
麻酔が効いていることや、精神的にショックを受けているであろうなどと考えてなのか、うわごとを言っているような扱いだ。
頭がとにかくぐるぐると回って、現実と幻覚に視界が回り、高熱も手伝って頭と目が痛い。
冷たい濡れタオルを用意して貰い、目を覆うように額に置くと、とりあえず幻覚のみになって落ち着いた。(というのか?)
目を瞑って瞼の裏に移る映像を眺めていると(目を閉じても休めない)、幻覚なのか現実なのかわからない声が耳に飛び込んできた。

「いかがですか?」
「え、○○先生? 本物?」

検診で何度かお世話になっている先生の声が唐突に聞こえ、思わず本人に「本物?」などと問いかけてしまった。
しかも目はタオルで覆われたままで、声だけで判断してそう言った私に、ご本人はえらく驚いたようだった。
慌てて助産師さんが「まだ麻酔が覚めていなくて…」などとフォローを入れてくれたのがわかった。
先生は、入院患者の回診に来たようだ。
時間はわからなかったけど、これで「早朝」から「午前中」になっていたことだけはわかった。

「…で、どうですか? 大変だったね。
少しお腹を見ますねー…(お腹を触って)…はい、痛みは大丈夫かな?
何かあったら、すぐ呼んでくださいね」

「はぁ…で、この幻覚はいつ治まるんでしょうか」
「幻覚?(^-^; 麻酔なら間もなく覚めますから、そうしたら大丈夫じゃナイかな」

こんな幻覚の中、何だか何度も聞いたような説明を受けた。
子宮内でバイ菌の感染が広がり、今回の流産を引き起こしやがったこと。
おそらく、普段から膣内や子宮内にいる少数のバイ菌が風邪や疲労などで体が弱ったところで繁殖し、通常なら自然に抑えられるはずのものが抑えられずに広がってしまったのだろうということ。
感染症自体は決して珍しい症例ではなく、今回のように流産に至るケースもよくあることなので、特別変わった病気になったというわけではナイこと。
今出ている高熱は、おそらく感染症によるものだと思われるので、今やっている抗生剤の点滴で効果が出てくれば、下がるだろうということ。
きちんと治療して、何度か生理が正常に来るようになったら、また妊娠に挑戦しても大丈夫なこと。
血液検査をしながら抗生剤の点滴を続けて、子宮収縮剤を飲んで様子を見ていくので、しばらく入院が必要なこと。
そして、今朝の胎盤を取り除く手術では、完全に胎盤を取り切ることができなかったということ。

「やはり胎盤がひどく脆くなっていてね。
こういう場合は、無理に全部を取ろうとすると子宮の内側に傷をつけてしまう可能性があるから、途中で切り上げるんですけどね。
今回もそんな状態だったので、全ては取れていないかもしれません。
明日の診察で確認して、残っているようなら再度取り除きます。
子宮に傷をつけてしまうことの方が大変なことだからね、安全策を取っているんですよ。
最終的には感染した胎盤を全て取り除かないと治らないから、ちゃんと出します。
それと、手術の時に剥がれたものの掻き出し切れなかった胎盤が、トイレに行った時などに出てくることがありますから、そうしたら教えてください」

「胎盤見たことナイんですけど。見たらわかるものですか?」
「では、見たことのナイものが出たら、教えてください(^-^)」
「なるほど」

サキタの出産の時には、出すのはちょろかった胎盤。
病んだ胎盤がそんなにも脆く、面倒なものだとは。
結構しぶといぞ、胎盤。

ともあれ、私に今の段階でできることは何もナイらしい。
高熱のために全身の関節は痛むし、出産を終えたとはいえ感染症のせいかお腹も痛い。
骨盤がおかしくなっているのか腰痛だってまだまだキツイし、足の筋肉が強張っていて満足に歩くこともできない。
しかしやはり導尿カテーテルは全力で拒否し、気合で個室についているトイレへ歩くようにした。
少しでも体を動かせるようにしたいし、ぶっちゃけそれくらいしかやることもナイ。
今の私に必要なのは、ひたすらに休養らしかった。
かといって、何もせずぼんやり横たわっていては、ロクなことを考えナイ。
いつ退院できるのかもわからない今、どうやって時間を過ごすかが大きな課題になりそうだった。


<続く>

11月16日③ 対面

2009-11-16 03:00:00 | Weblog

やがて助産師さんがやってきて、「赤ちゃんに会われますか?」と言ってくれた。
私はハルトくんと顔を見合わせ、「ハイ」と答えた。
テパに会わずにいるなんて選択肢は、なかった。

連れられてきたテパは、白い艶やかな布でベッドにされた、木の箱に入れられていた。
上には布が掛けられていて、すぐにはその姿は見えない。
助産師さんは私の枕元に箱を置くと、上に掛けられた布をそっとずらし、頭から額に掛けてくらいがやっと見えるくらいにすると、一旦手を退けた。
あれ、見せてくれナイの?と思ったけれど、私達の顔を見て一呼吸置いて、また手を伸ばす。
きっと、一度にテパの姿を見てショックを受けないようにとの配慮だったのだろう。
その時点で、ちらりと覗いた頭だけを見て、私は正直驚いていた。
思っていたよりも、ずっと大きかったからだ。
そして布が全て開けられ、テパの姿を見た時、更なる衝撃を受けることになった。

本当は、私は少々ビビっていた。
テパはまだ妊娠15週の、所謂「胎児」。
本来、目にすることのない姿をしているのだ。
だから、私達とは違う、「ヒト」になる前の姿で、そんな姿を私がどう思ってしまうのかが怖かった。
テパを「気持ち悪い」「気味が悪い」なんて、ほんのひとかけらでも思ってしまったらどうしよう。
そう思って、ビビっていたのだけど。

そこに眠るテパは、それはそれは可愛らしい姿をしていたのだ。
思っていたよりも大きく成長していてくれたその体は、生まれたてのサキタをそのままミニチュアにした姿と言ってもイイくらい、すっかり「人」だった。
手や足の指も爪も、こんなにも小さいのにこんなにも精密に出来上がっていて。
つま先の形、膝下の脛のカーブはハルトくんやサキタにそっくりだ。
目を閉じていてもわかるツリ目は、私とサキタと同じ。
そして顔つきは、もうまんまサキタとそっくりだった。
テパは15週だけれど、検診でも16週くらいの大きさだと言われていて。
そのためなのか、妥当な週数なのか、超音波では見ることのまだまだできない、可愛いおちんちんが付いていた。
テパは、男の子だったのだね。うん、何かそんな感じしてたけど、やっぱりか!
頑張って大きくなって、ちゃんと性別がわかるようにしてくれたのかな。
強い子だね。

頭のてっぺんに、ちょっと擦り剥けたような傷があった。
産道を通り抜ける時に擦れてしまったのか、内診の時に先生の指が当たってしまったのかはわからないけど、痛々しい。
そして、確かに頭が赤黒く変色してしまっている。
けれどそれは、痣を作ってしまった時などに見覚えのあるような色で、そんなに「会わない方がイイかも」なんて言われるほどのものではなかった。
何だよ脅かしやがって、テパはそんなにスゴイ姿なんてしてナイよ失礼な!!

ベテラン風の助産師さんが、「頭がこんなにも変色してしまっているから、生まれるずっと前にもうお腹の中で亡くなってしまっていたのかも」と言っていた。
でも、直前の超音波映像では元気に動いて心臓もぴこぴこしていたよ?
先生は「生まれる途中で亡くなったかも」と言っていたし、結局テパがいつ天使になったのか、その瞬間はもう誰にも分からないことだったのだろう。

この時の私は、テパを見つめて笑っていた。
可愛い。可愛い。テパはこんなに可愛い子だったんだ。
すっごい可愛い。どうしよう、嬉しい。
私はこんな可愛い子のママなのだと思うと、誇らしい気持ちすらした。
その時の私は、どこかおかしかったのだろうか。
小さくて可愛らしいテパのその姿がたまらなくて、あれこれいろんな角度から見ては、ここがハルトくんに似てる、ここがサキタとそっくり、ここは私かな、なんて言い続けていたように思う。
それは、浮かれていたと言ってもイイのかもしれない。
テパを失って悲しいという思いは、その時なかったように思う。
テパを授かって、お腹の中で育てて、そしてその命の終わりまで、一緒にやり遂げた感すらあった。
そして、今すぐにでもまたお腹に戻っておいでよぉ~!!と、メロメロになっていたのだと思う。
2人の子のママになる自信は今一つ持てていなかった私だけど、「やっぱり私、赤ちゃん欲しい!!」と、改めて思っていた。

ぷりぷりとした肌のテパは、あまり長時間温かい部屋にはいられないらしい。
まだ私の処置が済んでいないこともあり、しばらくして助産師さんが「またちょっとこちらでお預かりしましょうね」と連れに来てしまった。
そこで、「不謹慎なのかもしれないけれど、赤ちゃんの写真を撮ることはできませんか?」と尋ねてみた。
すると、助産師さんは病院のデジカメを持ってきてくださり、テパの写真と、私とテパの2ショット、そして家族4人の写真を撮ってくれた。
絶対に誰にも見せることはできナイけれど、家族としての写真が残せたのは嬉しかった。

それから胎盤が出ないまま数時間が経ち、明け方になった頃、ハルトくんから連絡を受けた千矢父・千矢母が車を飛ばしてやってきた。
部屋に入ってきたときには既に涙目になっていた千矢母は、ベッドの傍らへやってくると、私の顔を覗き込んでたまらない様子で呟いた。

「どうして千矢は、お母さんが経験していないようなツライことばかり、経験してしまうんだろう…」

それはおそらく、最初の妊娠のことも言っているだろうな、と思った。
今にも崩れ落ちてしまうんじゃナイかと思えるような千矢母に、私は泣きごとは言えなかった。

「私が、それに耐えられるからなんじゃナイ?」

いつもの減らず口ではあったけれど、実際そうなのかもしれないとも思っていた。
私が流産のショックに耐え、乗り越えられるからこそ、与えられてしまった試練なのかな、と。
テパは、最初から自分の短い寿命を知っていたのかもしれない。
だからそれに耐えられるママを探して、私を選んだのかもしれない。
だとしたら、私はテパの期待に応えるためにも、立派に立ち直らなければならないのだ。
テパに、「超人選ミスなんだけど」とか幻滅されるようなママでいるわけにはいかない!

千矢父は私の心配をしてくれながらもどこか居心地悪そうに、どうしてイイかわからない様子で部屋の隅で腰掛けていた。
多分、私に何と声を掛ければイイのか、わからなかったのだろう。

2人も、テパに会ってくれた。
千矢母が「こんなに小さいのに…可哀想に…」と嗚咽を漏らすのを聞いて、私は初めてテパが「可哀想」なのかと思った。
そして、千矢母がテパにそっと触れたのを見て、「あ、触ってイイの?」と気付く。
助産師さんに「大丈夫ですよ。でも小さくて弱いですから、そっと触れてあげてくださいね」と言われ、テパの横たわる箱を枕元にまた置いて貰った。
指の腹が触れるように、そっとその頬に触れてみると、ぷりぷりとしたハリのある肌はひんやりと冷たかった。
それで初めて、私はテパの命がもうそこにはナイことを、やっと認識したように思う。
そうか、テパは「死んでしまった」のだな…。
何故だか、テパを失ったという感覚が、どうしても持てナイ私だった。
お腹の中からは確かにいなくなってしまったけれど、テパはずっと私達のテパで、確かに傍にいるような感じがするのだもの。

つーかな、イイ加減胎盤出てくれないかな。
しれっと何事もナイかのように書いているけど、陣痛は強くなったり弱くなったりしながら、しぶとくしつこく続いているのだ。
そろそろ、限界なんだけど。


<続く>

11月16日② 娩出

2009-11-16 02:00:00 | Weblog

私の答えを聞いた先生と助産師さん達は、私を内診台から降ろしてストレッチャーに乗せると、別の部屋に運び込み、そこにあった分娩台とも普通のベッドとも違うベッドに移動させた。
あのまま内診台に乗っていても仕方がナイし、そこで生まれてしまうのは論外だった。
周りに機械やら器具類やらがたくさんあるその部屋は、LDRと呼ばれる、陣痛室と分娩室が合体したような広い部屋。
腹痛も腰痛もさらに激化し、その頃にはもうすっかりはっきり陣痛と化していた。
移動の振動や痛みの波が襲う度、呻き声が漏れる口。
サキタの時の陣痛にはほど遠いが、それでも強い痛みには違いナイ。

「ご主人に連絡したんだけど、『上の子が寝ているから、ちょっと様子見で』とのことでしたよ」

何を言っているのか。
もはや、様子を見ている場合ではナイ。
多分何か、間違って伝わっているんだろうよ。

何回目かの陣痛の波に乗って、その時はやってきた。
ベッドに移動して、割とすぐだったように思う。
その絶望的な感触に、思わず私は叫んでいた。

「何か出る! 何か出るー!」

叫んだ私に応じるように先生と助産師さんが手を伸ばし、器具の準備が忙しくなったかと思うと、また数人の助産師さんが部屋を出たり入ったりと慌ただしくなる。

「ああ、もう生まれるね…ハイ、もうそこまで出てきてます…ハイ、頭…ハイ! ・・・生まれました・・・」

それは、ぬるりとした感触だった。
痛みは、ほとんどなかったと言ってイイ。

2009年11月16日、午前2時40分。
テパ娩出の、瞬間だった。

小さなテパは、私に陣痛以上の痛みをほとんど与えず、するりと出てきてくれた。
何か少しだけ大きなものが、ぬるりと滑らかに出ていった、そんな感覚だった。
私は呆然と、ただ仰向けになったまま、体に残る感触を思いながら、天井を眺めていた。
ああ・・・出てきてしまったのか、とだけ思った。
私の感情はぼんやりとしたまま揺らぐこともなく、ただそこに事実があるだけのようだった。

呆けた私の足の方で、何か処置が施されながら、テパを取り上げた先生が言った。

「ああ…これは、見ない方がイイかもね」
「え? 会えないんですか?」
「うーん・・・狭い産道に挟まっていたせいだと思うけど、頭がもう鬱血して紫色になっちゃってるね。これは…生まれる前に亡くなっていたと思うよ」
「さっきまであんなに心臓動いてたのに? もう動いてナイの? 頭の色って、それは普通とは違うの?」
「体はね、普通のキレイな色だよ。ただ、頭がすっかり変色してしまってる。小さい体だから、その分弱いのは仕方ナイことだよ。会いたいなら、もちろん会えるけど…どうする? ご主人が来てからにする?」
「立ち会い出産の予定だったから、主人と一緒に会います…」
「わかりました。では、ちょっとこちらでお預かりしますね」

テパが連れられて出ていくと、まだ何か処置が続いていたらしい助産師さんに向かって、先生が何やら指示を出す。
もうテパは出てきてしまったのに、まだ何かあるのか…お腹も腰も痛い…。

「じゃあ、後は胎盤が出ないとね。お産は終わらナイからね。
ただ、感染症を起こしている胎盤はひどく脆くなっているものだし、へその緒も細くて弱い。
通常分娩ならへその緒がしっかりと太いから、ちょいと引っ張れば胎盤丸ごと出てくるんだけど、今回の場合、下手に引っ張るとへその緒が切れてしまう。
ちょっと時間が掛かるかもしれないけど、自然に剥がれて出てくるのを待ちましょう。
大丈夫、何時間掛かっても、自然に出るものだから。
あまり長く掛かるようなら、掻き出す手術もあるし、その時は麻酔をするから大丈夫だからね」


へその緒を止めているらしいクリップに、お腹の中をついついと引っ張られる奇妙な感触を感じつつ、先生の説明を聞く。
テパがいない今、胎盤なんぞにもう用はナイ。
とっとと出ていけ、ばっかやろう。
後陣痛が止まらないのは、要するにオマエのせいなんだろうが!
さっきよりだいぶマシとはいえ、それでも痛いんだよイイ加減!!

波はあるものの、先ほどまでに比べると格段に弱くなった陣痛。
それは、「陣痛が遠のいた」というのだろうか、子宮の活動が落ち着いてしまったということで、胎盤を外に出す動きも弱まってしまったということらしかった。
胎盤がまだ剥がれきっていないこともあり、このまま痛みを堪えながら、その時が来るのを待つことになった。
痛みが和らいで余裕が出たせいか、喉の渇きと空腹を感じるようになる。
空腹はともかく、熱もあって喉がひどく渇いていたので、助産師さんがリンゴジュースを出してくれた。
一気に飲み干し、2つ目のパックを枕元に置いて貰い、サキタの出産の時もこんな感じでジュースを一気飲みしたっけ、と思い出した。
自虐的な渇いた笑いが、口から空気と共に漏れていた。

ハルトくんがサキタを連れて来てくれたのは、それからすぐのことだった。
寝ていたハルトくんは病院からの電話に起き、サキタを起こして支度をし、すぐに来てくれたそうだ。(ほら見ろ、「様子見」なんてしてるわけナイだろが)
しかし間に合わず、テパ娩出の連絡は、病院までもう僅かというところまで来た車の中で受けたそうだ。
サキタは夜中に起こされたにも関わらず、特に不機嫌になることもなく、きょとんとした表情のまま、ハルトくんに抱っこされていた。

「大変だったね。間に合わなくてゴメンね」

そう言って頭を撫でてくれたハルトくんの顔を見て、私は初めて涙がこみ上げた。
テパが私のお腹から出て行ってしまった事実が、ようやく感情に届いたようだった。

「テパが出てきちゃった…」

泣きながら言った私の頭を撫でながら、ハルトくんは「大丈夫」「仕方なかった」「ちやのせいじゃナイ」を繰り返していた。
ハルトくんも目を潤ませていたけれど、涙を流してはいなかった。
サキタは、ハルトくんに「ママに『いいこ、いいこ』して」と促され、小さな手で私の頭を撫でてくれた。
そこに取り乱すような号泣はなく、ただ、静かな涙があるばかりだった。

サキタが私の枕元に置かれたリンゴジュースを目ざとく見つけ、それが欲しいと駄々を捏ねたりしたもんだから、一気に場が和んでしまった、というのもある。
助産師さんが、親切にもサキタにリンゴジュースを飲ませてくれたよ。
すいません…。orz


<続く>