Alohilani

何てことナイ毎日のつぶやき。
取るに足らない日常のアレコレ。

11月16日⑥ 午後

2009-11-16 06:00:00 | Weblog

お昼ご飯を済ませて、ベッドに横になった午後。
何度も助産師さんが出入りする。
検温だったり、問診だったり、点滴だったり、血圧測定だったり、まぁいろいろとやることがあるらしい。
けれど、それらは皆助産師さんがやってくださるので、私はただひたすらに暇だった。
ぼーんやりと、何をするでもなく、腰が痛くなれば寝返りを打ち、たまにトイレに立ち、用意して貰った濡れタオルを乗せ直し、こっそり携帯をいじるくらいだ。

助産師さん達は知らない顔も多かったけれど、サキタの出産時にお世話になった助産師さんもいて。
サキタを取り上げてくれたメイン担当の助産師さんは、入院中、何度も何度も私の部屋に足を運んでくれた。
助産師さん達は皆、笑顔で優しく、たくさん話しかけてくれたり、ちょっとした質問などに丁寧に答えてくれたり。
正直、ちょっとスゴイなと思うほどの気配りっぷりで。

やっぱり、元気づけようとしてくれているのかなー…。
それか、鬱や自殺の予防か?

何度か話をする中で、私が笑顔で普通に会話する様子に、助産師さん達は口を揃えて言うようになった。

「元気そうに見えるから心配」
「後で『来る』んじゃないか心配」
「あなた無理しそうだから心配」
(元気なサキタを見て、「上の子がいるから」ということだろうが)

どうやらプロの目から見て、私は「元気過ぎる」らしかった。
それはとてもイイことではあるのだけど、客観的に見て、私はちょっとおかしいようだった。
泣かない。沈まない。喋るし、食べるし、眠るし、笑う。
この「笑う」が、心配なのだと言っていた。
助産師さん達が、神妙な顔つきで励ましの言葉を口にしている時も、無理に笑顔を返す必要などナイ時でも、私は笑顔で返事をしていたからだろうか。

私は確かに、大きなショックを受けていたけれど。
取り乱して泣き喚いたり、自分を責めて蔑んだり、ということはなく。
卑屈になることも自虐的になることもなく、捻くれた考え方になることもなく。
周りから掛けられる優しい言葉は、素直に心に届いていた。

助産師さんに「あなたが悪かったわけではナイよ」と言われれば、「そうか」と自分を責めることはなかった。
先生に「全妊娠の1~2割は流産や死産になるものだから珍しい症例ではなく、治療してまた妊娠は望めます」と言われれば、「そうか」と絶望的な気分になることもなかった。

ハルトくんも、サキタも、千矢父も、千矢母も、皆優しかった。
私の体と心を気遣って、一緒に悲しんでくれて、テパのことを想ってくれて、冥福を祈ってくれた。
私の回復を、願ってくれた。

誰も、私を責めなかった。

私の周りには、優しい人しかいなかった。

テパだってそうだ。
千矢母の友人が「赤ちゃんがお母さんを助けたのよ。お母さんが亡くなるのは、もっとずっと大変なことだから」と言っていたそうだ。
テパは父に妻を、兄に母を、母に命と家族の可能性を遺して、感染症を引き受けて逝ったのだとしたら、なんて優しい子なんだろう。

これでは、うかうか落ち込んでもいられまいよ。
周りの優しさに応えるためにも、私はさっさと体を治す気満々だった。
気持ちは、前を向いていた。
過ぎてしまたことは、もう取り返しがつかない。
私にできることは、常に今より前にあるのだ。

夕方になって、またハルトくんがやってきた。
サキタは変な時間に叩き起こされたため、すっかり時間のペースが狂い、ただいま爆睡中だという。

「できれば、サキタには明日から保育園に行って貰った方がイイかもしれないな。
その方がサキタはいつものペースに戻れるだろうし、食事も遊びもお昼寝も、満足にできるだろうし。
俺もやることはいろいろあるし、お母さんも疲れているだろうから、時間を上手く使うためにもその方がイイと思うんだけど」


確かに、サキタが元気なら保育園に行っていた方がイイかもしれない。
千矢母も体調は良くないハズだから、無理しない範囲で手伝って貰いたい。

それから、ハルトくんは何をするでもなく傍にいてくれた。
ハルトくんも疲れていたので、ベッドの横の1人掛けソファで、座ったまま居眠りしていたりもした。
そんな時は、私も一緒になって眠った。
2人で、静かにじっとして、少しでも体と心を癒そうとしているかのようだった。

夕飯もキレイに食べた私は、昼間これだけ動かず寝てばかりいたくせに、21時にはもう眠たくなっていた。
この上もなく強烈な1日だったのだ、それもまた仕方ナイと思いつつも、普通に眠れる自分がおかしかった。

私が眠くなったのを見てとったハルトくんは、また明日来てくれると言って、帰って行った。
寝る前に携帯をいじっていると、昼間報告日記をUPしていたmixiで、メッセージやコメントが寄せられているのを目にした。
その中に、「テパくんがいたことを忘れない。最初の赤ちゃんも」と言ってくれたメッセージがあった。

初めて、1人でいる部屋の中で、涙がこぼれた。

もうこれだけで、テパも最初の赤ちゃんも、消えてなくならない、と思った。
生きて生まれては来なかったけれど、私達家族以外にも、覚えていてくださる人がいる。
サキタのように元気に産まれて育っていく子供は、これから家族以外のいろんな人たちに囲まれ関係を持って、生きて行くことになる。
本来なら、テパも最初の赤ちゃんも、家族の胸の中にだけ生きて行く存在であったかもしれナイ。
でも、私がmixiやブログに書いたことによって、家族以外の人達の優しさに触れ、ネットの世界かもしれないけれど、テパや最初の赤ちゃんが、家族以外の方々と関係を持てたことが、私には嬉しかった。
テパも最初の赤ちゃんも、消えてなくならない。
私達家族だけの、夢や幻で終わらない。
きっと優しい人達の祈りは届き、幸せに過ごしているとさえ思える。

ああ、泣いてイイんだな、と思えて、込み上げる涙を我慢せずに泣けた。

我慢しているつもりなど微塵もなかったけれど、「やっと泣けた」という思いがそこにあった。


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