Alohilani

何てことナイ毎日のつぶやき。
取るに足らない日常のアレコレ。

旅立ち

2009-11-18 23:59:07 | Weblog

今日は久しぶりに、外へ出る。
テパの旅立ちを見送る日だ。

朝早く富山を出て午前中にこちらに着いたというハルトパパとハルトママが、お昼前に病室へ来てくれた。
2人とも突然のことに戸惑いながらも、心配してくれていたようだった。
そして、私の大きくなっていたお腹やテパを見ていないためだろう、実感がわかない様子だった。
妊娠を知らせた時の2人の喜ぶ姿が思い出されて、思わず涙がこみあげる。
2人目の孫を、抱かせてあげられるはずだったのに。
こんな風に、心配掛けるつもりなんてなかったのに。

「ごめんなさい…」

喉の奥から押し出されるように漏れた言葉に、余計に涙があふれ出た。

「なんなん、何も謝ることないんよ、そんな泣かんで?」(「なんなん」は、確か「いやいや」みたいな意味の富山弁だったと思う)

ベッドの傍まで来て、そっと寄り添うように声を掛けてくれたハルトママ。
その向こうで、壁際に立ったハルトパパは、励ますように笑顔を作っていった。

「またきっとな、次があるんやちゃ。元気出していかんとな!(^-^)」

優しい言葉も励ましの言葉も嬉しかったけれど、今の段階で笑って次のことを考えることができるのは、やはり実感が湧いていないからではナイのかな、と思った。
テパを軽んじるつもりはきっとナイだろうけど、私を心配するあまりのことだろうけど、何だかテパを「見ていない」気がして、ほんの少し引っ掛かった。
なので、言葉そのものは少し遠ざけておいて後で消化するとして、今はとりあえず気持ちだけを受け取っておくことにする。

先に家に行って貰い、病院での昼食を済ませた1時頃、私も外出許可を得た。
昨夜ようやくシャワーの許可が下りていたから(単純に私がシャワーの間立っていられるようになったため)、さっぱりした姿で外出できて良かった。
汗だくのどろどろだったもんな…。
夏じゃなくて良かった…。

入院した直後から、点滴用の針が腕に刺しっぱなしになっていた。
これは、何度も針を刺さずに済むよう樹脂製の針を刺してテープで固定し、点滴などの時にはその接続部に繋ぐようにして、使っていない時には血が固まらない薬を入れて留めておく、というもの。
これが、邪魔でねぇ…。(T-T)
使っていない時は、チューブを纏めて腕にテープで留めておき、保護用のネットみたいなのを被せておいてくれるのだけど。
テープを張られたままの肌は気になるし、ぶつかったり引っかけたりしそうで気を遣うし(小心者)、たまにチューブを逆流した血がちらりと見えるのが嫌で嫌で!!(注射の時、視線を逸らすタイプです)
外出に際して、この針を外してくれたのが、実は相当嬉しかった。
どっちみち刺してから4日で外さなければいけないらしく、明日には1度外して貰えることになっていたのだけど、早く外れるならその方がイイ。
外してみると、固定されていた腕には、針の跡と部品(?)の押しつけられていた跡が青黒くなって残っていた。
(2010年1月4日現在、まだこの跡が残っています…。orz)

ハルトくんに用意して来て貰った服に着替え、化粧をしてナースステーションへ。
簡単な手続きをして戻り予定時刻を告げると、病院を出る。
久しぶりに外へ出たけど、天気は良く晴れていて、ちょいちょい雲が出るという感じ。
ここ2日ほど雨が続いていたようだから、私はまずまずの晴れ女だと思う。
テパを送る日の空が、明るく晴れていて良かった。

帰宅してしばらくすると、千矢父・千矢母もやってきた。
ハルトパパとハルトママも交えてしばし談笑し、喪服に着替えると時間通りに斎場へ移動。
そこは、普段からよく行く公園の一角にあったのに、全く気にも留めていなかった施設だった。
中は驚くほどに広くキレイで、スタッフも感じよく、平日ということもあってか周りはとても静かだ。
案内されるままに進み、指示されるままの手順を踏んで、テパとのお別れの時がやってきた。
病院にいたテパを連れて来てくれたのは業者の方なので、産後すぐ会ってから、しばらくぶりのテパとの対面だった。
あの時はぷりぷりつやつやとぴちぴちしていたテパは、今は何だか疲れているように見えた。
重力が負担だったのか、ハリが少々なくなって、手や足の指が小指の方からくたりと曲がってしまいそうだった。
そうだよね、まだまだ温かい羊水の中に漂っているはずだったのに、いきなり空気の中に放り出されて、冷たいところに寝かされていたのだ。
そりゃ、疲れちゃうよね。(;-;)
やっぱり金曜日とかじゃなくて、今日にしておいて良かったんだ。
テパ、今度は熱いところに入れられてしまうけど、もうちょっと頑張ってちょうだい!

病院の方が入れてくれたお花の他に、千矢母が用意してくれたお花を入れて、私が折った折り紙の兜・手裏剣・紙風船に、助産師さんが折ってくれた鶴・船も入れた。
お焼香をして、手を合わせ、一生懸命冥福を祈った。
私にできる全部の気持ちで、これからのテパの幸福を願った。
ハルトパパとハルトママは、ここで初めてテパの姿を目にし、やはりショックを受けたように見えた。
ハルトパパは上手に感情をコントロールするのでよくわからなかったけれど、ハルトママはストレートに涙を浮かべていたよ。
千矢父と千矢母も、既に会っていたとはいえ、やはりその姿を見たら悲しみが込み上げる様子…。
ハルトくんはもうはっきり涙を浮かべていたし、私はというと泣くまいと必死になっていた。
泣くのはいつだってできるから、テパの姿を見ることのできる最後の機会であるたった今、涙で視界を失うのは嫌だった。
テパの姿を目に焼き付けるように、瞬きもせずに、私は棺の中を覗き込んでいた。
「こっちからじゃテパの顔全部がよく見えない!」などと、立ち位置を変えたりまでして。

「時間です」

スタッフの声を合図に、テパは扉の奥へ入っていった。

テパの火葬が済むまでは、待合室のような和室に通された。
窓の外にはキレイな庭が見え、小鳥が枝をちょいちょいと渡るように跳ねていた。
ハルトママが入れてくれたお茶を飲んだり、咳をしていた千矢母の背中を擦ったり、キレイに磨かれたガラス扉に突っ込もうとするサキタを止めたりしながら(キレイだからガラスが見えナイのね)、どこか空虚な時間を過ごした。
大人の火葬は1時間半くらい掛かるというが、小さなテパはそんなに焼くと骨も残らず焼けてしまうため、30~40分程度の時間だ。
ガラス越しに見た空は高く青く、テパは迷いなく昇っていけるだろうと思えるような色をしていた。

再びスタッフの方に案内されて、テパのところへ戻る。
扉から出てきたテパは、びっくりするほど小さな欠片になっていた。
細くて小さい骨の欠片達は、普通のお箸(?)で掴むことはできないため、トングのようなもので拾う。
当然、2人で1つの骨を摘むなんてことも無理だったので、それぞれが何とか摘みやすい骨を拾っては、小さな可愛らしい骨壷に納めていった。
全てを拾い終え、スタッフの方が残った灰を集めてくださっても、骨壷はまだまだすかすかだったよ。
テパはそれだけ、小さいのだ…。

両掌にちょこんと載るくらいの小さな骨壷は、私が抱えて車に乗り込んだ。
さぁテパ、お家に帰ろう。
冷たいところや熱いところで、よく頑張ったね。
この後君をどうしてあげたら1番イイのかまだわからないけれど、しばらくは温かいリビングで、皆と一緒に過ごそう。
きっと、君に1番イイようにしてあげるからね。
私達がしてあげられることは多くはナイだろうけど、一生懸命考えるから、もう少し待っていてね。

帰宅すると、もう病院へ戻る時間が迫っていた。
テパをリビングのメインで使う棚に載せ、手を合わせて、骨壷を撫でて声を掛けると、喪服から平服に着替えた。
黒いストッキングは普通用のものだったので、まだ大きさの戻らないお腹を締め付けて苦しかったし痛みもあったけど、とりあえず耐えられて良かった。
病院から喪服を着なくて良かったよ…。
また、他のママから変な目で見られるところだった…。

病院へ戻ると、1時間もしないうちに夕食だった。
食後に体温を計ると、動いたせいか熱も上がっている。
どうりでちょっとしんどいわけだ、と思ったけれど、テパを無事に送ってやることはできたし、後はゆっくり体調回復に励めばイイだけなので、気持ちは随分と楽になっていた。
シャワーを浴びて眠る頃には、少し穏やかな気持ちで、テパに語りかけられるような気がした。

テパ、お疲れ様…。