Alohilani

何てことナイ毎日のつぶやき。
取るに足らない日常のアレコレ。

11月15日② 入院

2009-11-15 02:00:00 | Weblog

どこをどう走ったのか、天井と窓から見える空しか見ていなかったから、さっぱりわからない。
到着した病院は、キレイな大きい病院だった。
初めて来た病院なので仕方ナイのだけれど、ハルトくんが車を止めたのは救急受付の入口からかなり離れた場所だった。(実際には、その目の前に駐車場があった)
案内の矢印に従って進むが、私の歩みはサキタよりよほどのろい。
受付に辿り着くまでの道のりは、途方もなく長く感じられた。

受付に入ると、たまらずソファに倒れ込んだ。
小さい子ども連れが休日の朝っぱらからやってきたので、患者はサキタに間違えられたものの、サキタは元気一杯。
対してぐったりした様子の私に看護師さんが気付き、歩けなくなっていた私を車椅子に乗せると、診察室まで連れて行ってくれる。
突然の発熱に、私を含む誰もが新型インフルエンザを疑っていただろう。
しかし、検査では陰性。
妊婦ということでお腹のエコーも見てくれたものの、当直の医師は産科医ではナイため、「赤ちゃんが動いている、心臓も動いている」ことしかわからないと言う。
後は体温を測ったり、血圧を測ったり、点滴だったか血液検査だったか何か針を刺されたような気がするけど、詳しい話は聞かされていないか頭に入らなかったかで、もう覚えていない。
覚えているのは、その病院でしばらく寝かされている間、ハルトくんと先生が何か話す声や、サキタがはしゃいで走り回る音、看護師さんがサキタに構ってくれている様子などが聞こえてきたことくらいだ。

続いて、いつもの掛かり付けの病院へ移動することになった。
こちらの先生から掛かり付け病院へと直接連絡を入れてくださったので、詳しい診断結果や検査結果は間違いなく伝えられたことだろう。
車は救急受付入口の目の前までハルトくんが移動してくれ、私は車まで車椅子で運んで貰った。
車椅子に伝わる僅かな段差の振動が、呻き声が漏れるほど全身に響く。
情けないことに自力で立つことすら困難になっていた私は、貫禄のあるベテラン看護師さんにがっつりと抱えられて車に乗り込んだ。
移動中の車の振動に、私が呻き声をあげ続けたのはもはや言うまでもナイだろう。

ようやくいつもの病院に辿り着くと、助産師さんが車椅子を持って駐車場まで迎えに来てくれた。
そのまま運び込まれた部屋は、診察室ではなく陣痛室だ。
ベッドに横になると、超音波だのNSTだの内診だの診察だの血液検査だの、何だかいろいろやられた。
上を向くだけでもかなりツライというのに、痛む下腹部を押されたり内診されたりで、もう早く楽にしてくれという心境。
そして上がってきた血液検査の結果を見て、その場で入院が決まった。

「カンセンの値が高いので、腹痛もあることですし入院して様子を見ましょう。
この高熱の原因が何なのか…インフルエンザの検査結果はやはり陰性です。
ただ発熱してから24時間経っていないと結果に出ないこともありますから、また夕方にでも検査してみましょう。
後はバイヨウの検査をしますが、もともと結果が出るまで2~3日掛かる上に今日は日曜日で業者さんが(検体を)取りに来ないから、もう少し掛かるかも知れないです」


カンセンの値というのは「感染症の時に出る何かの値」か?
バイヨウってのは内診の時採取したらしい粘膜か何かの菌を培養して増やし、正体を特定するってことか?
よくわからなかったが、多分そんなようなことだろう。
いずれにせよ、そんな専門的なことはプロに任せておけばよろしい。

入院が決まったので、個室へと移動。
トイレに行くのもキツイだろうから、管を入れようかという看護師さんの言葉を全力で拒否。
寝返りを打ちまくることは想像に難くなく、既に点滴の針が刺されている上に導尿カテーテルなど入れられたら、気になって仕方ナイし寝返りを打つことすら怖い。
つーか陣痛中も自力でトイレに行き、産後も全力で拒否したのだ、発熱と腹痛と腰痛ごときで入れられてたまるか。

個室に横になると、まだまだ痛みや熱は続いているものの、ようやく少し落ち着くことができた。
サキタの食事やらおむつやらの世話がほとんどできなかったため、ハルトくんはサキタを連れて一旦帰宅。
比較的イイコにしていてくれたとはいえ、サキタの相手をしながら病院を回ったりして、ハルトくんはさぞ大変だったことだろう。
とか言いつつ、私は入院になったことに正直ほっとしていた。
この熱の正体は絶対新型インフルエンザだと思っていたし、もしそうならハルトくんや特にサキタにうつすわけにはいかない。
家にいるとサキタは飛びついてくるし、ハルトくんも「俺だって疲れてる」「寝てばかりも良くない」「サキタを風呂には入れるから、受け取って風呂上がりのケアくらい手伝って」などと言うだろうから、結局何かしら起き出して働くことになるのだ。
その結果長引いたりして、「まだ治らないの?」みたいな! みたいな!(被害妄想)

朝から何も食べていないためお腹は減ったし、そんなことより喉が渇く。
しかし、運ばれてきた昼食(ちょうどお昼時だった)を見ても、この私がどうにも食欲がわかない。
どんなに体調が悪くとも、食欲が落ちることのナイ(寧ろ体調が悪い時ほどUPする)この私がだ。
温かい麦茶とお粥を数口、後はデザートのキウイフルーツのみを口にして、食事を下げて貰った。
この時点で、何かおかしいと気が付くべきだったかもしれない。
私が食欲をなくした唯一の記憶が、サキタの出産の時だったことに、気が付くべきだったかもしれない。

熱はあるものの超音波で確認する限りテパは元気に動いていたし、腹痛も腰痛もとりあえず点滴で落ち着いたせいか楽になった気がする。
昨夜から満足に眠れていないし、やることはなくて暇だし、意識を手放している方が楽なので、午後も夕方も夜も、ほとんど寝て過ごした。
排尿回数や排便回数を記録する紙を見ながら、そういえば便秘だなぁ、でもお腹が痛くて踏ん張れナイなぁ、でも何か溜まってる(?)感じはするね!などとのん気に構えていた。
一段落したらしいハルトくんがサキタを連れてまた来てくれたりもしたけれど、つくづくやることがナイ。
サキタが生まれて以来、こんなに暇なことはなかった。
家にいると、何だかんだとやることも多いし、遊ぶものも多いしな。

そんな暇を持て余しつつ、入院初日の夜は更けていったのだった。


<続く>

11月15日① 異変

2009-11-15 01:00:00 | Weblog

イライラに任せたまま、ネットして遊んで寝たのは1時。
これから起こる異変を、全く想像もせず、ベッドに入った夜。

寒さに震えながら目を覚ましたのは、その1時間後、2時くらいだった。
既に全身に力がこもっていて、ガチガチに震えていた。
温かいはずの布団からは一切の温もりを感じられず、末端がひどく冷え、手足は小刻みに震える。
関節が痛み始めていたから、熱が上がっているのだと理解した。

これはヤバイ。絶対ヤバイ。
昨日病院でサキタを追い掛け、内科待ち合いにも行ったから、ついに新型インフルエンザを貰ったか?
(冷静に考えれば潜伏期間などもあるから、それはナイのだけど)

とりあえず朝まで眠ろうとしても眠れず、寒さはどこまでも止まらない。
たまらずハルトくんを揺り起こし、「寒い」と訴えるけれど、事態の深刻さを理解せずに「よしよし」と頭を撫でると再び寝てしまう。
コノヤロウ、私が我儘だけで起こすわけがなかろうが!
しばらく耐えたが限界に達するのは早く、今度は強めにハルトくんを揺り起こす。

「悪いけど湯たんぽを入れてくれる? すごく寒いから、熱が出ていると思う。布団が温かく感じられないし、手足が冷たいし、震えて力が入っちゃうせいかお腹と腰も痛い」

そう。
この時には、小さく刺すような痛みがお腹にあり、同じ態勢でいるのが辛い程度の痛みが腰にあった。
けれど、それは寒さを堪えるために全身に力を入れてしまっていたから、そのせいだと思い込んでいた。
今考えれば、それはもう「覚えのある痛み」であったのだけど、私は無意識にそれに気付かぬフリをしていたのだった。

寒さに耐えつつ浅い眠りと覚醒を繰り返し、ようやく朝になった頃、強烈な喉の渇きと尿意にベッドを抜け出した。
歩くだけで全身の関節が痛み、特に痛みの酷い腰には、階段を降りる振動が強烈に響いた。
トイレを済ませて水を飲み、ついでにと体温を測る。

39.4℃。

やっぱりな、という思いで寝室に戻る。
降りるだけで一苦労だった階段は、昇るには相当の努力を要した。
やっとベッドに辿り着くと、ハルトくんに現状を伝える。
ようやく事態を理解してくれたハルトくんは、まず掛り付けの産科に電話をし、指示を仰いでくれた。

「本人に代われるかって聞かれてるんだけど、(電話に)出れる?」

寝室で電話に出ていては、せっかくイイコに眠っているサキタを起こしてしまう。
再び体を引きずって、寒さと痛みに耐えながら階段を降り、リビングへ。
電話に出ると、助産師さんらしき女性が幾つかの質問をしてきた。
熱が出たのはいつか、お腹の痛みに波はあるか、出血はあるか、妊娠週数は、出産予定日は…。
カルテを見ればわかるだろうことまで聞かれたのは、私の意識が正常に保たれているかを確認しているように思えた。
何度か「先生に確認します」と待たされた後、出された指示は「休日診療を受け付けている病院でまず内科に掛かり、そこでの診断結果をこちら(産科掛かり付け医)へ知らせてください」というものだった。
この病院は内科・小児科・産科・婦人科が診療科目だけれど、日曜日でしかも早朝なので、内科の先生がいないのだ。

仕方なく市の保健センターに電話して幾つか病院を紹介して貰い、今度はそちらへ電話を掛ける。
寝室に戻る元気はもはやなく、タオルケットに包まってソファに転がり、寒さに震えながら電話を掛けまくるハルトくんの声に耳を傾けていると、なかなか診てくれる病院は見つからないようだった。
初診の患者はダメ、妊婦はダメ、当直の先生が内科じゃナイからダメ、などなど。
やっと見つかったのは、30分以上が経った頃だったように思う。
もうこの頃の私は、高熱と体中の痛みで、何が何だかわからなくなっていた。

ハルトくんがサキタを起こして着替えさせ、私は寝ていた恰好のままパーカーやらダウンジャケットやらを着込み、ミルモコを突っ掛けて車に乗り込んだ。
いつもなら運転席の後ろに設置したチャイルドシートに並ぶよう、後部座席に座るのだけど、今日は助手席を倒して寝転がるように乗り込む。
この頃から、1番の激痛を訴えるのは腰痛になっていた。
そしてさすがに鈍い私も、この痛みを思い出していた。
生理痛の時に襲う、腰痛に似ている。
だけど同じ態勢で横になっているのもツライこの痛みに、最も似ているのは、サキタを出産したときの陣痛の痛みだったと・・・。


<続く>